1-2 遭遇、立ち込める暗雲
「おい、そこのお前」
「は、はい?」
「身分証を見せろ」
門番に呼び止められた不知火は、思わずびくりと肩をすくませ、立ち止まった。
道中、スライムと『ホーンラビット』という角の生えた兎を狩りながら適当に歩いていた不知火。
『運:65535』というステータスを誇る彼は、適当に歩いているだけで早速人の住む街に辿り着いていた。しかしその街はどうやら身分証が無いと入ることはできないらしい。
「み、身分証、ですか?」
不知火はとっさにポケットに手を入れた。どうやら財布は家に置いて来てしまったらしい。免許証が無いとなると一体どうすればいいのかと、不知火の脳が焦燥に侵されていく。
「す、すいません。忘れてきてしまったみたいで……」
「ああ? 何だって? もっとはっきり喋ってくれ」
「ひゅっ! す、すいません、すいません、すいません……」
俯きながら、みっともなく謝る不知火に、門番はやれやれとため息をついた。不知火にとって、「はっきり喋る」という言葉はトラウマそのものだった。
「もしかして身分証が無いのか? その場合は一律50ゴルドだ」
「ご、ごるど……?」
苛立ちを覚えるレベルのきょとんとした呟きに、門番は訳が分からないといった表情で不知火を見た。
「お前、金だよ。カ、ネ。身分証なしで街に入る時には税金を支払う。常識だぞ?」
「え、あ、あはは。そうっすね。あはは」
不知火は困っていた。無論この世界の金など持ち合わせているはずもない。途中で拾ったりもしていない。そして身分証もない。そもそも免許証があればどうにかなった問題でもないのだが、とにかく不知火は困っていた。
(くっそぉ……! あんだけモンスター倒したってのに金が全然入ってねえじゃねえかこの糞ゲームモドキが……!)
妙なところでゲームらしからぬシステムに、不知火は並々ならぬ怒りを抱いていた。しかし不満ばかり言っていても仕方がない。全ての街がこの税金制度を取っているとなると、不知火はまともに人としての生活を送ることが非常に困難になってしまう。何とかしてこの街で身分証を作らなければならない。
ちらりと門番の顔を伺う。怪訝そうに不知火を見返す門番。そしてその際、門番の情報が不知火のステータス表に流れ込んできた。
────『フィリップ・オルレアン Lv.48』
(よ、48! ぷっくくくっ。ざっこいなあ。まあ上限100だとしたら半分くらいか。いずれにしても俺より雑魚なのは確定! しかもオルレアンとかカッコ良すぎかよ! よし、お前は今日からヨンパチと呼ぶことにしよう!)
不知火は口元が緩むのを抑えきれなかった。そんな気色悪い笑みを見て、門番ことヨンパチは思わず後ずさる。不知火は知らず知らずのうちに、目の前の門番への恐怖心がすっかり消えていたことに気が付いた。知らず知らずも何も、ステータスを覗いたことが切欠である。
余談だが、Lv.50に至ると、世間一般的には一流の実力を持つと評価される。ヨンパチもまた、一流かそれに準ずる実力の持ち主だった。
「よんぱ……んんっ、門番さん。身分証をここで発行していただくことはできませんか?」
「え、ああ。それはできない。身分証は基本的に街の役所か、ギルドを通さなければ発行できないんだ」
突然饒舌になった不知火に、またしてもヨンパチは気味の悪さを感じていたが、先程よりはマシかと思い直し、何とか対応する。
対して不知火は相手が格下だと分かった途端、驚くほどに頭が冴え渡っていくのを感じていた。
(ここでは無理か……。ともあれ、とりあえずギルドに行けば何とかなるということは分かった。これは良い収穫だ)
やはりここを何とか乗り切れば、街にさえ入ってしまえば何とかなるのだ。そう思った不知火は、自身のステータス表を眺めていて、あることに気付いた。
「すいません、実は野盗に襲われてしまい、今は持ち合わせが無いのです」
「何? この辺で賊が現れたという話はあまり聞かないんだが……まあそういうことなら分かった。となると身分証もその時に?」
不知火は内心でほくそ笑んだ。うまい具合に信用してくれた。なんとちょろいヨンパチだろうか。不知火はヨンパチに気付かれないように、ステータスからアイテム一覧を呼びだした。これが先程気付いた物の正体、『アイテムコマンド』である。
「ええ。そうなんです。しかし多少のアイテムは残っていますので、それを換金して頂けませんか?」
「ええっ? うーん、しかしそれは……」
不知火の提案に、なぜか渋るヨンパチ。顎に手を当てて困った表情をしている。
基本的に市場に流通する物資は『商工ギルド』が管理する事となっている。個人間での売買は私的利用の範囲においても原則認められない事となっており、ましてやそれを納税の代替手段として用いるとなると、正義感が強く、誠実なヨンパチとしては、自身の一存では承服しかねる提案だった。
と、そんなやり取りをしていた時だった。
「ヒイイイイインッ!」
「ひ、ひいいっ!」
蹄のような音と、獣の甲高い音色のような雄叫びが響き渡る。そしてそれに紛れるように不知火の悲鳴も。
一体何が起きたのかと、不知火が腰を抜かしながらも気配のする方へ視線を向けた。するとそこには──
「あ……」
雄々しい一本角を生やした白い馬が、鋭い眼光で不知火を見下ろしていた。美しい毛並みに、逞しい四肢。しかしそんな獣臭いケダモノなど不知火の視界には入っていない。不知火はその上──一角獣にまたがる、美しい金髪を靡かせる女性に釘付けになっていた。
女性は颯爽と一角獣から降りると、呆けた表情で腰を抜かしている不知火を無視して、ヨンパチにカードのような物を見せた。それを受け取ったヨンパチは何やら呟くと、カードを女性に返却し、道を開けた。その際間抜けにも身動きがとれていない不知火を回収することも忘れない。
女性はちらりと不知火を一瞥。その深い海のような瞳に射抜かれ、不知火は顔が熱を帯びていくのを感じていた。
しかしそこから何かが始まるというわけでもなく、女性は路肩の石を見るような視線を不知火に向けた後、一角獣を引き連れ、無駄のない足取りで街へと姿を消した。
「……え?」
思わず呟く不知火。不知火の脳内は軽く混乱していた。
(あ、あれれ? 助けてくれないの? そこはこう、「どうかしたのか?」みたいなことを凛々しく言って俺のピンチを救ってもらってそこからあれこれしていくんじゃねえの? 凛々しくどころか一言も交わしてないよ? もしかして声優さん未定? それともバグ? というかこういうのって最初に会った美少女と何らかのフラグが立つんじゃねえの? イベントの気配微塵もしなかったよ? フラグのフの字も無かったよ?)
結局その後、ヨンパチの上司らしき髭を蓄えた妙齢の男が現れ、「やれやれ、しゃーねえ。グレーゾーンだがまあ、構わんだろう」などと言いながらあれやこれやと処理していく様を、不知火は心ここに非ずといった様子で見つめていた。
不知火が途中で狩ったホーンラビットの角を何もない空間から取りだすと「あ、アイテムボックスだと!?」だの「初めて見た……すげえな」などと男二人がはしゃいでいたが、不知火はどこかそれを遠い世界の出来事かのように眺めており、彼の耳には全く何も入ってきていなかった。
§
「ここがギルドか」
思わず独り言を呟いてしまい、ハッとして周囲をきょろきょろする不知火。どうやら誰にも聞かれていないようだ。ほっと胸をなでおろした。むしろ独り言よりも、その挙動不審な姿こそが周囲の注目を集めてしまうのだが、不知火は気付いていない。
不知火の目の前には、レンガ造りの大きな建物。木製の大きな扉は開け放たれており、人の出入りが目まぐるしく行われている。思わず立ち止まってしまった不知火だったが、ステータスを覗き見した限り、自分より強い者がいないと分かると、悠然と風を切ってギルドへと足を踏み入れた。
「あ、あの……」
「はい、如何なされましたか?」
ギルドの受付にまで辿り着いたは良いが、受付嬢の営業スマイルを前に、思わず吃ってしまう不知火。悲しい哉。不知火の女性経験の乏しさが露呈した瞬間だった。
(ええい、落ち着け! ここにいるやつらは所詮雑魚! そしてこの受付嬢は俺の実力を知った瞬間俺を特別扱いし始めていずれ……ぐふふ)
気色悪い笑みが零れそうになるも、それを気合で引っ込める不知火。しかし依然として受付嬢と目を合わせることができない。必然、不知火は受付嬢の胸元を凝視していた。
「え、えーっと、み、みぶんしょ、身分証を作りたいんですけど……」
「はい。ではこちらの用紙に記入をお願いします」
不知火のセクハラ紛いな視線にも、その営業スマイルは揺るがない。慣れているのだろう。そんな受付嬢の胸元から視線を逸らし、不知火はいざその用紙とやらの項目を埋めようとペンを取った。が……
(出身地って……日本じゃ駄目だよな? あと誕生日ってどうすりゃいいんだろ。暦って日本と同じなのか?)
名前を記入した後、早速躓いていた。
そんな目の前の男の様子に気付いたのか、受付嬢は鉄壁の営業スマイルを崩さずに訊ねた。
「どうかしましたか?」
「え、あ、えっと、そ、そう! 実は俺、記憶喪失なんです」
咄嗟に口をついて出た言い訳。しかし不知火は、我ながらファインプレーだと内心で喝采していた。
「嘘ですよね」
喝采が止む。不知火の脳内オーディエンスは、きょとんとした表情でレンズの向こうにいる受付嬢を見つめていた。
「う、嘘って……」
「さすがにそんな見え見えの嘘をつかれても困ります。とはいえ、出身地が不明というのは本当のようですね。何か事情がおありでしたら、役所の方で住民登録をしてから、またいらしてください」
受付嬢曰く、この用紙は特殊な魔法が使用されており、決して嘘が書けないのだという。当然本人が本当に知らないという場合ではない限り、白紙というのは有り得ない。
しかし不知火の言動はどう見ても嘘であり、同時に登録用紙がこうしてエラーを吐きだしているということは、何か面倒な都合があるのだろう。彼女はそう考え、不知火を追い出すようにして、役所までの地図を描いて渡した。
§
神聖ロリコニア帝国の紋章が掲げられた白い建物から、のそのそと歩いてくる男──マサヤ・シラヌイ。ワイシャツに黒のスラックスを履いた彼の手には、白い羊皮紙が握られている。
「そうか、ステータスを見れば良かったのか。でも表示バグってるしなあ」
役所に着いた不知火が「住民登録をさせてくれ」と言ったところ、何やら謎の薬を飲まされ、水晶の板に手を翳すように指示された。するとそこには毎度お馴染みのステータス表──役所の人間に言わせると『パーソナル・レコード』──がふわりと浮き出てきた。どうやらステータス表を任意で呼びだせるのは自分だけらしいと不知火が知ったのはこの時である。しかし結局どの項目も埒外の数値を指しており、何らかの不備ということで、年齢その他については自己申告で済まされた。その後、不知火が申告した内容を元に住民票が作成され、同時に誓約書も書かされることになる。
この時不知火は気付かなかったが、その誓約書は書いた人間の魔力を吸い上げ、書かれている内容が本人その他にとっての真実となる。という、ギルドにある物の上位互換品である。
ちなみにそのどちらも不知火には通用していない。周囲が勝手に「効いている」と誤解しているだけである。
こうして不知火は紆余曲折はあったものの、何とかこの世界での身分を獲得したのであった。
(最低限の目的はクリアだな。とりあえずもう一回ギルドに行ってみるか。換金したいし。クエストとか受けてみたいし)
などとギルドへ向かうそれらしい理由を内心で呟く不知火だが、もちろん本音は受付嬢が可愛くて胸も大きい女性だったからというただそれだけである。
「ではこちらがギルドカードになります。再発行には100ゴルドかかりますので、失くさないように保管してくださいね」
そう言って渡されたのは、こげ茶色をした半透明のカード。恐らく街の入り口で出会った金髪の女性が使用していた物と同じ類の物だろう。そう考えた不知火は、気が付くとギルドの中できょろきょろと視線をめぐらせていた。もしかしたら件の女性もここにいるのかもしれないと、そう考えたのだ。しかし探せど探せど全く見当たらず、不知火は一人大げさに肩を落とした。まるで漫画のような仕草に、周囲の者が邪魔そうに不知火を見るが、不知火は気付かない。
「あ、そうだ。すいません」
ここに来た用事の一つを思い出し、再度受付カウンターへと向かう。勿論向かうのは男性職員ではなく女性職員のいるカウンターだ。別に意図してるわけではないですよとでも言わんばかりに何気ない行動を装っているが、そんな不知火の浅はかな考えなど、当の受付嬢には全てお見通しだった。
「はい、何でしょう」
「えっと、モンスターのあの、素材とかって、えっと、ここであれ、換金できるんですか?」
「はい。できますよ。あちらに」
「じじゃあお願いします」
焦りと緊張と顕示欲からか、受付嬢の言葉が終わる前に、不知火は入手したアイテムをだばだばと取り出してしまった。鑑定、買取用のカウンターを指したまま、受付嬢は固まっている。不知火は日本においても、他人の話を最後まで聞かず、すぐに自分の話を始めるようなタイプの人間だった。
そして受付嬢の様子を見て、何か失敗してしまったと悟る不知火。
余談だが、不知火は日本にいた頃、他人の話を最後まで聞かないくせに、後で何か問題が起きると「もっと早く言えよ!」と逆ギレするタイプであった。
しかし今回はただの失敗とは異なるようだ。
「あ、ああ、アイテムボックス!?」
受付嬢の声がギルドに響く。直後、しまったと言わんばかりに自身の口を押えるも、時既に遅し。耳聡く情報を拾った周囲の者達が、口々に囁き合いながら不知火へと不躾な視線をぶつける。
「アイテムボックスって、あの最上位スキルの?」
「レベル100の壁を超えた時に発現するっていう激レアスキルだろ? 強者の証、なんて言われてる」
「それをあいつが? 見るからに不健康そうというか、正直弱そうなんだが」
「え~、あの人が使えるの? あんなのがユキト様と同じスキル持ってるなんて信じられない。ていうか嫌」
「なんかの間違いだろ。手品とか」
散々な言われ様である。しかし皆が一斉に話し始めたこともあり、誰が何を言っているのか、不知火は把握することができなかった。これも高い幸運値が成せる業なのかもしれない。
(みんながこっちを見ている? それにさっき受付けのお姉さんもアイテムボックスがどうとか言ってたな。きっとステータスの表示と一緒で、この世界では俺にしかできない事なのかもしれない。くそっ、参ったな、変に目立っちまった)
当然不知火は内心ニヤケ顔である。自分だけ、特別、それを周囲に知らしめる。これほど不知火のプライドを満たす要素は他にない。
「それでその、これ全部でいくらくらいですかね」
不知火の湿気過多な言葉にハッと我に帰る受付嬢。そしてすぐさまいつも通りの営業スマイルを作り上げる。
「ええと、申し訳ございません。こちらではなくあちらの──」
そう言って今度こそ鑑定、買取用のカウンターを示そうとした、その時だった。
「なあ、そこのアンタ」
ふと、背後から声がかかる。ダウナーでアンニュイな色を含むその声に、不知火はゆっくりと振り返った。
この出会いが、不知火の楽観的な欲望を挫折させる切欠になるとは、この時はまだ、想像すらできなかったのである。