SAT/Special Attack Tonakai
――12月24日、都内某所
白い息を吐きながら手を繋いだアベエエエエックが行き交う中を掻き分けるようにひとりの男がずんずんと進んでいく。
すらりとした長身に、大きく前方に伸びた鼻と草を食むことに特化した四角い顎――被り物にしてはいやにリアルなトナカイの顔だ。
まるで生来から茶色い角付き四足畜生であるかの如く、毛皮こそが俺のフォーマルだと言わんばかりに様になっているあたりが男の異様さに拍車をかけている。
今日がクリスマスイブで、似たようなコスプレをしている若者が其処此処にいなければ通報されてもおかしくない姿だろう。
しかし、これが彼の――彼らの仕事着なのだ。どれだけ非効率的であろうと脱ぐ訳にはいかない。
男の歩みはいっそ堂々としている。諦めはとうに踏破しているのだ。
と、そのとき、男の横を子連れの家族が通りがかった。
両の親が左右から子供を挟むグレイ連行式の陣形だ。
中心の防御力は高いが左右への対応力が低下する諸刃の陣形でもある。
男のトナカイヘッドに気付いて離れるのもワンテンポ遅れていた。
故に、男の横を通り過ぎた瞬間に母親の持つバッグにそっと差し込まれたプレゼントにも気付くことができなかった。
おそらくは明日の朝、子供が発見するまで気付かれることはないだろう。
男はそのまま数歩ほど家族を見送ると、何気ない仕草で頭上の鹿角を小突いて骨振動通信を起動した。
数度の発信音の後に指令室に通信が繋がった。
「こちらダッシャー、D区の配布は終了した。次の指示を請う」
『……こちらルドルフ。K区の作業が遅れている、至急フォローに回ってくれ』
「了解。補給はどこで受ければいい?」
『現地調達だ。花札屋の法務部に妨害されてバックアップは全滅した。現在、ヴィクセンとドンナーが静岡の工場に補給に向かっているが……K区の配布作業には間に合わないだろう』
「グンマーに向かったキューピッドとコメットは? 『クリスマスまでには終わるさ』と言っていただろう?」
『通信が途絶している。生死も不明だ』
「グンマーか」
『グンマーだ』
「……仕方ないな」
『すまない。防空網に捕まらなければソリで空輸することもできたのだが……』
「ないものねだりしても仕方がないだろう。配られた札で勝負するしかない。俺達の仕事はいつだってそうだっただろう?」
『……頼む』
「ああ、やってやるさ」
畜生のナリをしていなければ決まっていたであろう台詞を吐いてダッシャーは通信を終えた。
見上げれば、草食動物特有の広い視界の中、空は端から端まで暗幕が張られている。日付が変わるまであと2時間といったところだろう。
ダッシャーはどこからともなく大きく膨らんだ布袋を取り出して担ぐとイブの夜を軽快な足取りで駆けだした。
イブはまだ終わらない。
彼らはSAT、特別強襲部隊。
あらゆる手段を以て子供達にプレゼントを投げ渡す、サンタの忠実な手足である。
◇
クリスマスは変わった。
SATのトップたるニコラウスがそう呟いたのは前世紀も終わりに近づいたころだった。
変化は緩やかに、しかし、確固たる不可逆性を持っていた。
空は煙突の代わりに警戒網が張り巡らされた。ソリは空を飛ばなくなった。
望まれるプレゼントの多くが既製品に変わった。彼らはゲームの発売日に購買列に並ぶようになった。
ダッシャーらトナカイ、否、Tonakai達もまた時代の変化に応じてその姿を変えていった。
四足だった体は二手二足へ、攻撃用だった角は通信用のそれに変わった。顔はトナカイのままだが。
生態もまた動物に混ざって森に潜む生活から、人に化けて街の中に隠れるようになっていった。
今や、隊の中にはタレントとしてお茶の間に登場している個体もいるほどに人の世に馴染んでいる。
かく言うダッシャーも平時は角と毛皮を隠して玩具会社の社員として働いている。
子供達のニーズも把握でき、玩具を大量発注する際の隠れ蓑にもなるため本業の役に立っている。
そして今は、本業の時間である。
都内某所の高層マンション。それがこれから潜入し、プレゼントを配置する場所だ。
ダッシャーは何食わぬ顔で入口横のパネルを操作してオートロックを解除、内部に侵入した。無論、トナカイの形のまま。
この日の為に監視カメラは既に細工し、警備員にも鼻薬を効かせてある。ぬかりはない。
蹄でボタンを押してエレベーターを呼び、曲がり角では壁に張り付いて向こうを確認。
人の目がないことを確認しつつ素早く廊下を抜け、流れるように目的の一室の玄関扉を複製した鍵で開けた。
プロの犯行もといプロのトナカイの手管だ。
かつては壁を這い登り、靴下に銀貨を詰めたブラックジャックで窓を叩き割っていた時期がダッシャーにもあった。
犯行道具がそのままプレゼントになる画期的な発明だと自負していたが、集合住宅の各部屋の窓を割っていくのは効率が悪いことに気付いてやめた。
時代は事前準備とスニーク。クリスマスは変わったのだ。
そうして、さしたる苦労もなくダッシャーは目的の子供部屋の前へと辿り着いた。
ここまでの所要時間わずかに1分と17秒。世界を縮めるトナカイ、ダッシャーである。
男は背負い袋からプレゼントを取り出し、そっと扉を開けようとして――その手を止めた。
気付いたのだ、扉の向こうで息を殺して潜む存在を。
ダッシャーは空気の流れを乱さぬようにゆっくりと右手を動かし、角に触れて通信を起動した。
「ルドルフ、情報と違うぞ、子供達がまだ起きてる。あいつら悪い子だ!!」
『落ち着け、まだ22時だ。……しかし、どこからか我々の活動が漏れたか。強行突入は可能か?』
「駄目だ。扉を注視している。煙突がないから扉から来ると考えているらしい。まずいぞ。プレゼントを配っているのがサンタではなくトナカイだと知れたら信用問題だ」
『それだけではない。冬休み明けに友人たちにお前の姿を語ってみろ。彼らは笑い物になるぞ』
ルドルフの声には苦いものが混じる。
彼とてはじめからエリートトナカイだったわけではない。
SATの司令塔となるまでに幾多の苦難を乗り越えてきたのだ。
「くっ、こんなことなら俺もサンタ偽装スーツを着てくるべきだったか……!!」
『去年それやって酔っ払いに絡まれただろう。我々はトナカイスーツでなければ今夜中にプレゼントを配り終えることはできない。そう結論した筈だ』
「ああ、そうだったな。畜生、ここを後回しにするか?」
『……いや、それには及ばない。こちらで時間を稼いでみよう』
「ルドルフ?」
ふと通信機の向こう側の不穏な空気を感じてダッシャーが訝しむ。
『行け、後を頼む、ダッシャー』
通信機越しの空気を切る音が耳に届く。ソリを音速起動した時の音だ。
ルドルフの毅然とした声に、ダッシャーは反射的に扉を開ける。
次の瞬間、聖夜の空に大輪の赤花が咲いた。
見るもの全てを祝福するかの如く、星とも花ともつかぬ光が盛大に連続する。
ルドルフがありったけの火薬をソリに乗せ、空の花火に変えたのだ。
生まれては散っていく光の数々は、まさしくルドルフの命の光だ。
子供達が慌てて窓辺に駆け寄るのを尻目に、ダッシャーはプレゼントを配置してマンションを脱出した。
外は寒く、空にはまだ花火の残光が眩く漂っている。
マンションの周囲には空のサプライズを見に無数の人だかりができている。
幾人かはダッシャーに気付くも、今日という日を思い出してすぐに空へと視線を戻した。
『――聖夜に祝福を』
きらめく星の輝きに消えた戦友に敬礼をひとつ捧げ、ダッシャーは踵を返した。
トナカイの鹿っ面に涙はない。
聖夜はまだ終わっていない。彼らの夜は始まったばかりなのだ。
残る子供達は数百万。SATの戦いは続く……。