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4・ねえさん

 その日の勉強は、わざわざ近くの図書館まで出向いたというのに、捗るようで捗らなかった。何故かと言えば、例の痣のことが頭から離れなかったからだ。

 誰かに絞められるだなんて、そんなバカな。そう思ったあとに、一人の顔が浮かんできてしまったのだ。

 彼女は現世に留まる幽霊だ。そういうことをやっても、おかしくないんじゃないか、と。

 でも、そんなやつじゃないと思えるくらいには、僕はメイのことを知っていた。明るくて無邪気で、悲壮感も絶望感もない、湿度ゼロの幽霊。だからそれを打ち消すように、鏡の前で思わずそれを撫でる。と、僕はその幅や形が、自分の手や指より小さいことに気付く。そしてそれはきっと、彼女の手の大きさに一致すると、確信に近い思いを抱いてしまった。


「まさか」


 思わず、声が漏れた。だって何故。自問したところで、すぐに原因に思い当たる。思いっきりそれらしいことが昨日あったじゃないか!あれを地雷と呼ばずして、何と呼んだらいいのか。

 メイとの決着を、僕はずっと望んでいたはずだった。白い夏の幽霊。表情豊かな、小さな女の子。煩わしい時もたくさんあったけれど、なんだかんだ心底拒否したことはなかったように思う。夏にここを訪れることが決まれば、今年は会えるのかなと少なからず考えていた。

 いなくなればいいとは思っていない。何かあるからここにいるんじゃないかとか、解放されなくていいんだろうかとか、お節介ながらも思っていた。

 振り回されても憎めなかった。メイのことが嫌いなわけじゃない。だから、成仏すべきなんじゃないかと思ったのに、こんなことになるなんて。

 僕は、途方に暮れていた。



***



 正直に言えば、成仏とかなんとかっていうのは、言葉にしたらダメなんじゃないかと、薄々思ってもいたのだけれど。

 彼女のためだとかなんだとか、結局知りたいっていうエゴなんじゃないとか、彼女が何に怒っているのかとか、怒るというか何を考えているのかとか、もう僕は考えて考えて考えて、考えた。だけど想像は尽きず、答えは定まらなかった。

 こうなったらもう、相手に聞くしかない。最終的にあきらめてベッドに横になった僕は、いつの間にか寝てしまったらしく、カーテンから漏れる陽射しで目を覚ました。なんということだ。結局、まる一日メイに会うことはなかったのだ。

 なんやかんやとちょっかいを出す彼女がまるで顔を出さないなんて、6年目にして初めてのことだった。


 ……と、驚いていた頃はよかった。


 それから2週間ほどの滞在で、僕の受験勉強は、予想を遥かに超えて捗っていた。量的な意味では。

 その最大の原因は、メイがいないという予想外な展開によるものだった。机に向かう僕に声を掛け、いたずらを仕掛け、外出する僕を足止めする彼女が、1日どころか2週間も、一向に現れなかったせいである。そして、当初の予定ではいかに邪魔をさせないようにするかで頭を悩ますはずが、諸悪の根源(予想)がおらず万事良い方向に向かうかと言えば、結局はかなり困った事態になっていた。

 メイは、より正確に言うと、いないわけではないのだ。気配はあるし、痕跡も残っている。ただ、姿を現さない。会えないし、話せない。それでいて、これが一番の困惑であり困難の理由になるわけだけど、僕の体にあとを残していくのだ。それも、見えるところばかりに。

 僕はひたすら戸惑い、最初は心配していた祖父母は、今や完全に怪しんでいた。僕に何か、そういう変な趣味があると思っているようなのである。これはとてもすごく本当に困る。誤解なのに、「じゃあどうしたっていうの」と問われても納得のいくような説明ができず、自虐するような趣味はないという否定が成功しないのだ。

 何が気に入らないっていうんだろう。僕が何をしたっていうんだろう。考えすぎてもう、何がなんだかわからなくなってきていた。

 これまでメイが見えるのは、僕だけだった。でもその理由は本人にすらわからないようだったし、僕にだってもちろん分からない。

 だから今の僕にできることは、いつメイがその気になってもいいように、家にこもって勉強することだけだった。しかし机に向かう時間と、参考書が進むペース、頭に入る量は全く比例しなかったのは当然だと思う。



***



 そんなある日、ヒッキーこと僕は、祖父母と墓参りへ行った。車で少し郊外の方まで行ったところ、少しだけ緑のあるような場所に、我が家の墓はある。帰郷するたびの毎年恒例行事となっていたけど、2人は僕に強制したことはなく、退屈を持てあます僕が自主的に着いていくばかりだった。今年を除いては。

 貸し出し用のバケツに水をくみ、墓石をきれいにする。浅いグレーが立ち並ぶ中で、我が家のシックなダークグレーの石に水が流れて、光を反射した。今日もいい天気だ。暑い、ひたすら暑い。首のアザを隠すべく襟付きのシャツを着て、手首のアザを隠すべく長袖を選び、脛のアザを隠すべく長いパンツを履く僕は、汗だくだった。人気がなければまくりあげるのに、この炎天下でも親族孝行する人々はちらほらいる。紫外線対策ばっちりの奥様でさえ、もう少し涼しげなのではないだろうかと心底思う。辛い。

 ここにいない両親の分まで線香をあげて、目を閉じて手を合わせる。しばらくして、祖母が立ち上がった。


「さ、明くん、帰ろうか」

「あのさ」

「ん?どうしたの?」


 麦わら帽子からのぞく穏やかな顔は、なんとなく父さんに似ていて、親子なんだなと思う。そしてもう一人、無邪気に笑う顔とも。

 僕はごくりと唾を呑み込んだ。


「ご先祖のお墓参りって言うけど、あそこには、僕の姉さんもいるんだよね?」


 意を決した僕の言葉に、2人は絶句した。僕は後悔しそうになったけどこらえた。疑問形ではあるけど、これはただの確認だった。無言で次の言葉を待つ。先に口を開いたのは、やっぱり祖母ちゃんだった。


「……明くん、どうしてそれを?」

「誰も姉さんのことは教えてくれなかったよ。でもなんとなく、気付いた」


 かすれた声への答えは、本当は嘘だ。父さんも母さんも、そんなことを匂わせたことすらない。でもまさか正直に本人の姉さんに聞きましたともいえない。だって死人に口なし、が通説なのだから。

 祖母ちゃんはため息をついた。


「そう。そうよね。あの子たちが言うわけもないもの」

「じゃあ、田舎に引っ越したのはやっぱり」

「えぇ。あの子は、明くんのお母さんはこっちに住み続けるのは辛い、耐えきれない、っていつも言っていたの。お父さんもそれを気にしていてね」

「そっか」

「……私にも、気持ちはわかるわ。家族が減るのは本当に辛いことなのよ。特に、自分の子どもなんて」


 想像もしたくないわ、と祖母ちゃんが続けた。祖父ちゃんはひたすら無言だったけど、さりげなく、妻の肩を支えるように抱いた。

 蝉がいよいようるさい。陽射しはとにかく強い。日陰のないような場所でするような話ではなかったかもしれないと思う。だけど、静かで冷房の効いた場所では、こんな話ができるとは思えなかった。


「姉さんが死んだのは、いつなの?」

「あなたが生まれる前よ」

「ずっと前?」

「いえ、違う。明くんはもうお腹の中にいたんだったわね。あの子は、それをとても喜んでいたの」

「あの子って」

「あなたの姉さんよ。そういえば絶対に男の子だと言い張っていたけど、本当だったのね」


 祖母ちゃんが懐かしそうに笑って、でもすぐに笑顔が曇った。


「あの子は、明くんにとても会いたかったと思うわ。いつもお母さんのおなかに話しかけていたの。まだ見ぬ明くんを一番待っていたのは、きっとあの子だった。ねぇ、あなた」

「そうだな」


 祖父ちゃんは短く同意した。短いけれど、祖母ちゃんにも僕にも、伝わる何かがあった気がする。


「お父さんとお母さんがあなたにも苦労をかけたと思うけれど。わかってやってちょうだいね」

「……わかってる」


 引っ越してから、両親は明るくなった。こっちにいた時には、僕を見る視線のその意味がわからなかったけれど、メイに会って、理解した。あの明るい少女を喪った悲しみと、どうしても僕の向こうに彼女を見てしまう罪悪感も。引っ越しが逃避だったんだとしても、2人が立ち直ったように見えるなら、僕にはなんだってよかった。

 僕はメイが――姉さんが眠る墓にむかって、もう一度、手を合わせた。



***

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