2・どうして
「ほんとによく来たねぇ、明くん」
「また大きくなったか?」
「男の子ですもの、そりゃあね」
「そうか。そうだな」
「それよりお父さんとお母さんは元気?まったく、全然連絡してこないんだから」
白を基調とした外観の家は、1年前と変わらず中も明るい色で統一されていた。久々に会った祖父母はやはり、少し小さくなった気がした。でも、話の切れない祖母ちゃんとマイペースな祖父ちゃんというコンビは変わらず、ほっとする。昔から変わらない呼び方が、恥ずかしいようで懐かしい。
とりあえず毎年使わせてもらっている部屋に荷物を運んでリビングに戻ると、祖母ちゃんが冷えた麦茶を出してくれた。のどを通るひやりとした感覚に、生き返る心地だ。
ほっと一息つくと、向かいであぐらをかいて新聞に目を落としていた祖父ちゃんが、口を開く。
「明、今年も結構いるんだろう?」
「うん。2週間位はいるつもり」
「そうなのね。おっきなかばんは勉強道具のせいかしら?」
「そうでもないよ。参考書とかはこっちで買うつもりで来たし」
「じゃあ本屋さんにも行かないとね」
「明もついに受験か。そんな年になったんだなぁ」
「私たちも年を取るわけよねー」
僕があまりしゃべらない内にも、祖母ちゃんが活気よく話し、祖父ちゃんが穏やかに相槌を打つ。和やかな帰省の風景だと思う。
カランとグラスの氷が軽やかな音を立てた。ふと気付けば、メイはぼーっと庭の方を向いて、体育座りしている。この団らんとはまるで別世界にいるように。
***
会話がひと段落するのを見計らって、「荷物を整理してくるよ」と僕は席を立ち、2階にある自室へ戻った。元々父さんの部屋だったらしいそこは、本来の持ち主よりも僕の方が使うようになったせいで、あまり違和感がない。そのドアを閉めるやいなや、メイの弾丸トークが始まった。
「めーちゃん、大学受験するの?」
黙ってそっぽを向いていたくせに、話はちゃんと聞いていたらしい。
「そのつもり」
「こっちに来る?」
「もしかしたらね」
「何それ。どうせ向こうに大学なんてないじゃない」
「でも、他の県とか行くかもしれないし。わかんないよ」
「やだやだ!めーちゃんは絶対こっちに来るの!」
布団の上でじたばたするとか、お前は駄々っ子か。
呆れて見ていたら白い太ももがちらりと覗いて、僕は慌てて目を逸らした。幽霊でもなんでも、見た目にはお年頃の女子である。例えその白肌の向こうのブランケットの柄が透けていても、女子には違いないのである。お願いだから、スカートの裾くらいもう少し気にしてほしい。
「とにかく。この夏は勉強とかするつもりだから。邪魔しないで」
「えー。めーちゃんが遊んでくんなきゃやだよー。帰ってくるの楽しみにしてたのに」
「そんなこと言われたって」
「だって、めーちゃん以外には私、話せる人もいないし。ずっとずっとさびしい思いしてるのに。この夏だけを楽しみにしてるのに。めーちゃんひどい。ひどいよ……」
段々声が小さくなる。その大きな目には、じわりと透明な膜が盛り上がってきていた。小さく震える肩が、どうしたって庇護欲を誘う。メイはどうやら、自分の見た目をよくわかっているらしい。
だけど相手はこの僕だ。もうメイの姿だってその内面にだって、慣れている。
「じゃあメイは、僕が受験失敗してこっち来れなくなってもいいの?」
「うっ……」
言葉に詰まったメイは結局、僕が机に向かっている間は邪魔しないことを不承不承ながら承知した。
***
次の日は、昼間に祖父母と出掛け、夜は花火をした。真ん丸な月が浮かぶ夜だった。
狼男が吠えるような夜だからか、メイもいつも以上に元気で、「昼間はちゃーんとひとりで大人しくしていたんだから、花火くらい付き合ってくれたっていいじゃない」と鼻息荒く言い放つと、僕に花火を買ってくるよう命じた。
メイにはいくつか、制約がある。まず1つは、祖父母の家、というか敷地からは出られないこと。だから庭や、門の外の駐車場にも出ることができるけれど、買い物に行くことはできない。そして2つ目は、物には触れないし動かせないということ。ちなみに僕は例外で、体当たりも頭突きもできる。というか、話せるのも姿が見えるのも、僕だけらしいけれど。
よって、花火は庭で行われることになった。傍から見れば男子高校生のぼっち花火である。とても空しい。誰にも見られたくないが、駐車場では通行人に見られるし、庭では祖父母に見つかる。どっちがマシか考えて、見知らぬ他人に笑われるよりかは肉親に気の毒がられることにしたのだ。
メイはとてもはしゃいでいた。こいつは何をするにもとにかく一生懸命というか、手を抜かない。出会ったころからそうだ。悪戯するにしろ遊ぶにしろ、よくしゃべりよく笑いよく泣く。眩しいくらいに常に全力だ。そしてこの夜も例外ではなかった。自分の手では握れないからといって、危ないと慌てる僕の手を握って、花火を振り回していた。
後から怒られるのは僕なのに、と思いながらも、その光の軌跡が目に残った。そういえば、一緒に花火をするのは初めてだ。月明かりの庭には、花火の燃える音と、メイの笑い声だけが聞こえていた。
そして花火以上に振り回されっぱなしの僕はと言えば、いかにして切り出そうか迷っていた。これまではなかば夏休みの習慣のように帰ってきていたけど、勝負の夏と言われる高3の夏だ。わざわざその話をするために帰ってきたといっても過言ではない。帰るまでに話せたらいいとは思っていたけれど、そうやってずるずると後伸ばしにして、ついに6年目の夏になってしまっている。
「めーちゃん、花火、全部終わっちゃったよ」
メイの言葉に我に返れば、最後の線香花火が落ちたところだった。少し寂しそうというか、物足りなさそうな不満そうな顔でしゃがむメイ。感情がストレートに顔に出るのは、彼女の最大の特徴だった。
着火用のろうそくが揺れて、メイの顔の陰影も揺らぐ。長い睫毛の影が伸び縮みするのが見えた。
夏が終わる頃、果たして僕は、そして幽霊のメイは、一体どうなっているんだろうか。
ぽろりと。悩んでいたのが嘘のように、僕の口からそれは滑り出た。
「姉さんは。どうしてここにいるんだ?」
***