ニ話:柿本英子の鍛錬 前編:衝突
彼女は強さを追い求めていた
ただただ強くなりたい、これは加奈と紗綾が入学する少し前の話
柿本英子とは柿本財閥の一人娘で有る、容姿端麗文武両道それでもって性格は傲岸不遜唯我独尊
英子はこの春休みを使ってブラジルで一番有名なMMAジム、フロンティアジムに来訪していた
目的は元ワルキューレライト級チャンピオン、カリーム・コルナとのスパーリングで有る
本来なら女子格アマチュア高校生ファイターの身分で面会すらできるはずが無い人物だった
しかし英子は目的のための資金投入を惜しまない、
その出会いが自分を強くすると確信したら湧き水のように金銭を投資する
今回の元チャンピオンとのスパーリングではカリームに対して年に2回行われるワルキューレのファイトマネー換算
で5回分の金額が支払われる事になっている、それも即日キャッシュでだ、
ブラジルの貧しい環境から這い上がってきたカリームにとって今回のスパーリングは経済大国日本から
世間知らずなお嬢ちゃんが莫大な現金をわざわざ手渡ししに来てくれる
そのついでに軽く趣味の遊びに付き合ってさしあげるボーナスみたいな物だった
勿論カリームを筆頭にスタッフ一堂が喜色満面の笑顔で英子を向い入れた、ブラジル人は日本人よりもリアリストだ
金が無ければ路上に転がる死体かマフィアに売り飛ばされて知らない土地で死体として転がるか
どちらにしても死ぬだけだと、プライドとか見栄で命は維持できない、生きると言う事は這い上がり金を稼ぐ事
それが生きると言う意味だ
「ハイ!レディ柿本、お会いできて光栄です、私は」
「ミス、カリーム、元ワルキューレライト級チャンピオン、こちらこそお会いできて光栄だわ」
「お噂には聴いてましたが、ここまで美しい女性だとは想像もつきませんでした、
日本では貴方みたいな女性の事を大和撫子と呼ぶんですか?」
「さぁどうかしら、私は大和撫子では無いと思うのだけどね…それにしてもカリーム、貴方の肉体は綺麗ね
まるで野生の肉食獣を彷彿とさせる無駄の無い筋肉量だわ」
「ありがとうございます、私はこの身体でここまで成り上がりましたから、この身体が私の全てですよ」
「ふぅん…金言ね」
カリームは流暢なポルトガル語を繰り出す目の前の女子高生に強烈な違和感を覚えた
普通は男だろうが私と初対面で対面すれば萎縮するものだ、自分は女としての幸せを捨て
、誰もが自分を畏怖する程に、そこまで肉体を鍛え抜いたのだ
それなのに目の前の少女は長い手足、整った顔、細いウェスト、お人形さんみたいな容姿をしながら
自分の圧力を物ともせずに受け流している、カリームにとってそれは違和感と同時に不愉快な感覚だが
相手は大財閥の一人娘で有る、機嫌をそこねれば自分に付いているスポンサー等塵芥のように吹き飛ぶレベルだ、
それはどうしても避けなければいけない、女を捨て勉学を捨てた自分が持っている最後の居場所を失わないためにも
、カリームは違和感と不快感を押し殺し話を先にすすめようと勤めた
「それで本日のカリキュラムなんですが、基礎訓練とブラジリアン柔術の体験をしていただき、その後に
スパーリングを私とするという事でよろしいですか?」
「結構よ」
「そうですか、それなら良かった、ではまず更衣室へご案内します」
「基礎訓練もブラジリアン柔術も結構よ、準備運動をしたらスパーリングを開始しましょう?元チャンピオン」
「いやいや、飛行機での長旅でレディもお疲れでしょう?身体を温めてからスパーリングしないと
怪我の原因になりますし危険ですし、それに成長期の身体に無理は禁物ですよ」
「プライベートジェットの中で軽いトレーニングはこなしてある、身体は充分温まってるわ、それとも
日本の小娘がどんな動きをするのか観察した後じゃないと怖くてスパーリングに挑めないのかしら?元チャンプ」
舐められている、貧困層から身体1つで上り詰めた自分が乳臭い日本の小娘に舐められてるのだ
周囲のジムスタッフ達の顔が強ばっている、理由は簡単だカリームの顔が鬼のような形相になっていたのだから
「面白い事言うわねレディ、プロが甘やかすとスグに調子に乗るのはアマチュアな証拠だわ」
「そうかもしれませんね、アマチュアがプロより強いなんて、プロの立場としては許容できる事じゃないですものね」
「それは私に言ってるのか?」
「あら、元チャンプは私に負けるかもしれないと思ってるのかしら」
穏やかな陽射しの中、和やかな商談と自己紹介を行うはずだった空間は瞬時に修羅場になっていた
「それで元チャンプ、すぐにスパーリングのお相手してくださるのかしら、もし怖じけついてしまったのでしたら
残念ですが今回のお話は無かった事に」
「余り調子に乗らないほうが良い、綺麗な顔のまま日本にお帰りいただく事が難しくなる」
「それはスパーリング相手として合意して頂いたと考えてよろしいのですわね」
「30分後だ、30分後にスパーリングを開始しようじゃないか、それまでにせいぜいケガしないように柔軟を
しっかりしておいてくださいレディ、どうやら優しい遊び相手としての対応じゃご不満なようですから」
「上出来よ…それじゃ30分後」
更衣室へと歩き去って行く英子の後ろ姿をカリームは鬼の顔で睨んでいた、もぅ誰も止められない
日本からきた怖いもの知らずなお嬢様をどうやって無事帰国させるか、万が一事故が起きてしまった場合
そう遠くない未来に自分達ジムスタッフは職を失う事になるだろう…スタッフ達は頭を抱えるしかなかった
周囲の苦悩をよそにカリームは怒りに震えていた、日本人に対して嫌悪感は無かった、それどころか勤勉で誠実な
日本人に対してカリームは好感すらもっていた、しかしあの日私の前に現れた日本人は別だった
自分を王者から転落させた女は日本人だった、相対した時、彼女はつねに自信に満ち溢れ不敵な笑顔を浮かべていた
、しかしカリームはそんな彼女を見てもスタンドで打ち合いながら様子を見て隙が有ればテイクダウンに持って行き
自分が得意な関節技で早々に決着をつけてしまおうと試合前に考えていた、いくら勤勉で実直な日本人とは言え
私はブラジル人だ手足の長さにフィジカル差、この差は正直埋められない差だと確信していた
当時の日本人ファイターと言えば器用にMMA技術を学び使いこなしてはいたが、それでもやはり
全ての日本人ファイターが人種的な壁べにぶち当たり、ワルキューレのどの階級にもチャンピオンになれた日本人は
皆無だった、カリームはファイターとしての日本人を軽視していた…しかし
試合は一方的な展開だった、スタンドで打ち合いジャブで距離をはかろうと拳を軽く前にだした瞬間
圧倒的な衝撃がカリームの顔面を襲った、想像を絶する速さで身体を低く低空で突っ込んできた美香が
ダッキングからの右ストレートを打ち込んできたのだ、余りの衝撃に身体を後に逃そうとしたカリームの首をは
次の瞬間に美香の両腕にロックされていた、膝が来る!と思った瞬間再度顔面を襲う鈍い衝撃と鈍痛
カリームが次に気がついた時目に入ったのはKOを告げるレフェリーと、不敵な笑顔のまま自分を見下ろす美香の顔だった
純粋な恐怖に呆然としながら自分の王座転落を受け入れるしかなかった
その日から日本人が嫌いと言うわけでは無いが苦手意識を持ってしまったのも事実で有る
柿本英子は彼女に似ている、自分は強いと信じて疑わない、自分が望めば全てが手に入ると思い込んでいる
一度敵視してしまったら、いくら相手が自分のスポンサー全てを覆すぐらいの財力をもつ大財閥の娘だろうが
万が一の事故が起きてしまった場合自分の全てで有る戦う場所すら失う可能性が有るとか全ての最悪な可能性を
考えてもなお全力で英子を潰す事を決めてしまった、許せない事は絶対に許せないカリームはそういう性分なのだ
自分の全てをかけてお金持ちのお嬢様に世間の厳しさを教えてやろうと
日本人ファイターは侮れない、それだけを心に確信しながらゆっくりとストレッチを開始し
彼女は30分後のスパーリング開始を静かに待った。