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ただ一つの機

「しっかり見ておかぬか。」碧黎が十六夜に言った。「それでなくとも維月はふらふらと出掛ける癖があるのに。」

十六夜はフンと横を向いた。

「親父こそ、もっと世話しろよ。オレにばっか押し付けやがって。考えたらオレばっか子供の頃から維月の世話してるじゃねぇか。早く記憶が戻ってくれなきゃ、オレがもたねぇよ。」

碧黎は椅子にふんぞり返って十六夜を見た。

「で?我に記憶をまた戻せと申すか。それは出来ぬぞ。我にも出来ることと出来ぬことがある。そうそう記憶をいじるなど出来ぬのだ。悪くすると全て失うてしまうぞ?それでも良いのか。」

十六夜はため息を付いた。

「…それは困る。どうしたら封が外れるんだ?」

碧黎は、並んで座っている維心と維月を見て言った。

「お互い次第よな。何がきっかけになるかは分からぬし、とにかく共に過ごすようにせよ。さすれば機会はより増えようほどに。」

十六夜も二人を見た。

「全くよぉ、維心はともかく維月、お前だけでも早く記憶を戻してくれねぇと、危なくて一人に出来ねぇんだよ。」

維月は困ったように首を傾げた。

「いったい何の記憶なのかわからないし、私もどうしたらいいのか分からない…。」

維心が維月を見た。

「我も努力するゆえ。共に思い出そうぞ。維月、もう一人で男の部屋へなど行ってはならぬ。主は我の妃になるのだ。」

維月もびっくりしたが、十六夜も碧黎も眉を上げた。それを見て、維心は続けた。

「何を驚いておる?そうであろうが。つまりはそういうことであるのだろう?」

「ま、まあ…そうなんだが。」十六夜がためらいがちに言った。「しかし維心、その前向きさはどうしたんだ。初めて会った時も、そこまでじゃなかったんじゃないのか。なあお前、運命だの指輪云々無しにして考えて、維月を妃にしたいと望むのか?」

「望む。」維心は間髪入れずに答えた。十六夜はまた驚いた。いったい、どうしたんだ。維心は察したようで、言った。「最初に会った時、雷に打たれるような心地がした。それにその時より、維月のことばかり考えるようになってしもうた。指輪にも刻まれてある。本当はこのようなことは初めてで、どうしたらいいのかわからなかったが、口に出して伝えねば分からぬと思うた。今の我が維月を望むのだから、記憶のあった我はもっと望んでおったはず。我は後悔しとうない。」

十六夜は感心した。前世の維心はここまで最初、頑張れなかった。生まれ変わって同じとはいっても、やはりもっと成長する可能性を秘めているのだ。

「だったら、少しは話しておくよ。維月が何をするかわからんし、これを聞いて少しはきっかけになるかもしれねぇ。」と、十六夜は息を付いた。「オレ達は前世もこうして一緒に生きた。そして同じように死んで、そしてまた同時に転生して来たんだ…維心、その指輪に記憶を封じてな。」

維心と維月は顔を見合わせた。前世から、変わらず一緒だった…。

十六夜は続けた。

「お前達は記憶がないにも関わらず、出逢って惹かれ合って結婚した。それが50年前のことだ。だから維月は今生では、オレより先に維心と結婚してるんだ。」

維心はじっと維月を見つめた。では、我は維月を既に…。維心が思わず維月の手を握ると、維月は少しためらったような顔をしたが、じっと維心の目を見つめ返した。とても見覚えのある、深い青い瞳…。

「その後、記憶が戻った。その指輪を目にしたのがきっかけで。だが、維心は前世の維心とは違った…まだ若過ぎて、己の中の龍を抑え切れず、激情を抑えられなかった。それでそれを御せるようになるまで離れていることにして、だが記憶を残したまま離れているのは辛いからと、親父に頼んで記憶を封じてもらった。オレはお前らが変な方向へ行かないように、記憶を残して見守ってたんだ。維心を待ってたから、やっと来たと思ってたのに…こんなことになってるんだ。」

碧黎はため息を付いた。

「別に我は良いと思うぞ?もう新しい生を生きておるのだ。維月が嘉韻を愛するというならそれも良し、維心が妃をたくさん娶ると申すならそれもな。だいたい、そういう柵を断ち切るために、我は記憶を残さず転生させることを考えたものを。主らは勝手に忘れたくないと残して持って来てしもうてからに。だから、このようにややこしいことになっておるのではないのか。」

維月は下を向いた。覚えていないけど、確かにそうかも…生まれ変わったら何かをする、とか、たまに考えた。それって、新しい生に希望を持って考えたこと。私は、何を望んだの?生まれ変わっても、十六夜と共に。生まれ変わっても、維心様と共に…そう考えたの?このかたは、それほどに私を、思ってくれたの?私はそんなに幸せだったの?

維心と維月がじっと黙っているので、碧黎は立ち上がった。

「さて、我はもう戻るぞ。維月、主がそのように浮かぬ顔をしておったら、我もつろうなるわ。のう、娘よ、また我が海を見につれて行ってやろうぞ。」

維月はパアッと明るい表情になった。

「まあお父様!私…とてもうれしい!」

碧黎は維月の頬に手を触れた。

「そうそう、そのように笑ろうておれ。我は別にどうでも良いのよ…主さえ憂いなく過ごしておるのならな。」

「お父様…。」

碧黎は出て行った。十六夜が鼻を鳴らした。

「ほんとに親バカなんでぇ。小さい時から、維月を甘やかして育てたから、こんなことに。」十六夜は維月を見た。「まあ、お前には変わりないけどよ。早く記憶を戻せよ。オレも肩の荷が下りて楽になるからよ。」

維月は考え込む顔をした。

「ねえ、私と維心様、結婚していたのね?なら、十六夜がしてはいけないって言ってたアレ、維心様ともしていたの?」

維心はびっくりして維月を見た。なんとはっきりとものを言うのか。十六夜は困ったように言った。

「そりゃそうだ。オレより先にこいつがしやがった。で、何も知らなかったお前はそれで婚姻がどういうものなのか知ったんだ。維心がお前に教えたんだよ。」

維心は、覚えていない自分を呪った。そんな大事なことまで記憶から無くなって、戻らないとは。

「じゃあ、もう一回したら戻るかもしれないわね?」

これには維心も十六夜も仰天した。この維月は、そもそもあれがどういうものなのか理解していない。きっと、月として生きて来たので、こだわりがないのだ。恋愛とか、そういうことに関しても、完全に欠落しているような気がする…。十六夜は維心を見た。

「…どうする?お前も覚えてないなら、初めてみたいなもんだろう。試してみるか?」

維心は悩んだ。何も覚えていないので、それが初めての記憶になるのに、これでいいのだろうか…。

「…いや、そうではないと思う。」維心は言った。「我も男であるから、それは願ってもないことだがの、精神的なことではないだろうか。維月はまだ、大人になり切れていないのだ。いくら体ばかりを繋いでも、おそらく記憶は戻らぬだろうよ。」と、維月の手を取った。「ゆえ、我はもっと維月と過ごしてみることにする。場を外すぞ、十六夜。」

十六夜は頷いた。

「早いとこカタつけてくれや。」

そして、手を取りあって出て行く二人を見送ったのだった。


嘉韻は、いつも通り任務をこなしながら、維月のことを考えた。どう考えても、維月は体は成人していても、心は成人していないように見えた。それというのも、維月からは戸惑いしか伝わって来なかったからだ。

月として生まれ、地に育てられ、同じ月の片割れに守られて育った維月は、恋愛というものを知らなかった。同じ年頃の女の友もいない。常に十六夜か、母で地である陽蘭が傍に居たためだ。なので、愛し合うということがどういうことなのか、全く知らないようだった。

なので、体を繋げるという事に関しても、全くこだわりはなかった。月はお互いそうらしい。つまり、維月は神や人の考えるところの婚姻という意味が、まだ分かっていないのだ。

なので、自分がいくら愛していると言っても、維月にはそれが伝わらない。一度聞いた時、自分は十六夜を愛しているの、と言っていた。しかし、月は共に生まれた双子の兄弟。物心ついた時には共に居て、対なのだから結婚するのだと言われてそうなったと言っていた。つまり、あれは肉親に対する愛情ではないか。維月は、まだ男として誰かを愛したことがないのではないか…。

嘉韻は、そう思った。自分も、この歳になるまで女を愛してことはなかった。それがどういう感情なのかも知らずにいた。そうなって初めて、これがそうなのだと知るに至ったのだ。

維月に、自分を愛してもらわねばならぬ。嘉韻は、そう思った。あの時十六夜と共に駆けつけて来た、龍の皇子である維心のことも気にかかる。あれは、次代の龍王。そして、あの気はおそらく前王の維心に匹敵する。維月があちらを選んでしまう可能性もある。十六夜も、維月が望むならば自分に維月を許してくれるだろう。十六夜は常に、維月を優先して物事を考えているのを知っていたからだ。

軍の会議に出ながら、嘉韻は上の空でそんなことを考えていた。


維月は、何が自分に足りないのかわからなかった。

いつも思っていた。何かが他の神達と違う。十六夜は咎めずいちいち分からないことは教えてくれるが、他の神は困ったような顔をするだけで、深く教えてはくれない。同い年ぐらいの友が居れば相談も出来たが、維月にはそれも居なかった。皆頭を下げて取り過ぎるだけ…自分は、どうやら地位が高いらしかった。

なので、相手になるのは十六夜の友か、それに偶然出会った嘉韻だけだったのだ。嘉韻の友も、すぐに親しく話すようになってくれた。でも、皆男だった。同じだろうと思っていたが、男の神というのは何か違った。皆、なぜか自分を抱き寄せたり、唇を寄せて来たりする。それが愛情を表現する行為だと十六夜には教わったが、頭でそう理解しているだけで、維月は何も感じなかった。ただ、ちょっと嫌だったりするので、いつも、丁重に身を退いていた。

でも、嘉韻は違った。いくら抱き寄せられても、唇を寄せられても、嫌ではなかった。なので、それが愛情なのかなと維月は思って、身を退かずに受けた。でも、相変わらずよくわからなかった。嫌ではないだけで、なんの感情も湧かなかったからだ。

十六夜と同じ事をすると、暖かい気持ちになった。とても安心して、一緒に居てよかったと思う。もっとくっついていたいとも思った。だから、これが結婚するほどの愛情かなと思っていた。しかし、身内でない今の龍王の将維に抱き寄せられても、同じように暖かい気持ちになったので、またわからなかった。

維月は深くため息を付き、ふわりと飛び上がると、いつもの散歩コースへ向かった。


日が暮れて来ていた。

湖には夕日が映ってとてもきれいだった。維月がぼんやりとそこに座っていると、空から声がした。

「維月。」

維月が見上げると、嘉韻が浮いていた。維月は力なく微笑んだ。

「…嘉韻。」

嘉韻は、維月の横に降り立った。

「もう、こうして一人で居ることなどないかと思うておったのに。」嘉韻は言った。「主は龍王にも乞われておるのだろう?そして、その皇子にも。」

維月は首を振った。

「将維様のこと?いいえ、将維様はそんなこと、私には言ったことはないわ。ただ、時々抱きしめて、唇を寄せるだけ。維心様は…まだわからないけど。」

嘉韻は顔をしかめた。

「抱き締めること自体が好意ではないか?龍王はわきまえておるゆえ、何も言わぬだけであろう。」

維月はため息をついた。

「私ったら、きっとどこかの情緒が欠如しているのよ。だって、愛情云々わからないの。きっと、十六夜には兄や父のような感情で好きなのかもしれないなって、今思う。誰かを愛したことが、無いのかもしれない…だから、わからないの。なんでも、十六夜が言うには、私は記憶をわざと封じている状態なのですって。前に生きた頃の記憶を、持って転生したから。」

嘉韻は驚いて維月を見た…では、やはり維月は、前世の維月様なのか。しかも、記憶を持って転生して来たと。

「維月…その記憶、もしかして、前世の維月様の?」

維月はため息を付いた。

「ええ。きっとそうね。私、実はもう、結婚しているらしいの…前世と同じかたと、そうと知らずに。そして前世の記憶を戻して、でもまだ子供だからとまた父に封じてもらって…今。記憶を取り戻せば、私は間違いなくそのかたともう一度結婚する。そういう意味の、二人の夫だったみたい…。」

嘉韻は愕然とした。つまり、もう決まっていたということか。維月は、今生でももう一人夫がいる。そして、その夫は、今は覚えていないが、確かに契りを交わした男…。

十六夜はそれを知っていて、あれほど維月を他の男から遠ざけようとしたのか。我を見る目も、険しかった。だからなのか。

嘉韻は、拳を握りしめた。生まれ変わったのに、なぜに決められておらねばならぬ。維月が決めれば良いことではないか。記憶が戻らなければ…。

「…その、記憶は絶対に戻るのか?」

維月は驚いたように嘉韻を見た。

「記憶?お父様が言うには、何かのきっかけで戻るだろうと。でも、いつ解けるかは分からないから、好きに過ごせば良いと、お父様は言っていらした。十六夜は…違うようだったけれど。」

嘉韻は、維月の両手を握りしめた。

「戻さずとも良い。」嘉韻は必死の形相で言った。「その記憶、主の中に留めておればよい。新しい生なのだ。新しく、主が決めて何が悪い。維月、我は主を愛している…もしも記憶のないまま主が我を愛してくれたらなら、主は我に嫁いでくれぬか…?」

維月はためらったような顔をした。愛情が分からない。きっとそうなのだ。嘉韻は、さらに言った。

「良い。何が分からなくとも良い。我が教えてやるゆえ。維月、我を愛せば、きっと愛するとは何かわかるであろう。共に努力しようぞ。お互いを知ろうぞ。我と、こうして会ってくれると約してくれ。我にも機をくれても良いであろう。」

維月は考え込んだ。お父様もそう言っていた。新しい生…。思い出せないのなら、新たに愛したらいい。それが、もしも維心様でなくても、それは仕方がないということなのかしら…。

維月は、頷いた。

「まだ分からないけれど。でも、嘉韻は好きよ。お友達と思っていたから。これから話して行く。それでいい?」

嘉韻は、ホッとしたように頷いた。

「ああ。我にも機会をくれるのであるな。維月…確かに、我は主に愛してもらえるように努力しようぞ。」

嘉韻は、維月に口付けた。それを維心が、日が暮れた中木の影に立って、じっと見ていた。


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