事実
蒼と将維が並んで出迎える中、維心は二人の軍神と共にそこへ降り立った。蒼が進み出て、頭を下げた。
「維心様。ようこそお越しくださいました。」
維心は軽く返礼した。
「久しいの、蒼。将維が世話になっておる様子。我も一度挨拶にと思うておったのだが、遅くなってしもうて。」
蒼は微笑んで維心を促した。
「そのような。よろしいのですよ。将維とは兄弟のようなものですから。」
維心はふと、眉を上げた。兄弟?
蒼は、記憶のない維心を気の毒に思いながらも、将維と三人で応接間を目指した。
その様子を、十六夜が離れて見ていた。
「うーん、難しいな。今日ぐらいは泊るだろうが、そこでいきなりそんな仲になるような維心でもないし、どうしたもんか。」
隣りで炎託が言った。
「己の妃を他の男に縁付けることに心を砕くとは、主も良い性格であるよの。」
十六夜はフンと横を向いた。
「別に好きでこんなことやってんじゃねぇよ。ただ、自然に別れたならいいが、違うじゃねぇか。こんなことは二人とも望んでなかったんだよ。オレはそういうの嫌いなんだ。元に戻してやりてぇだけだ。その後、こじれてなんとかなっても、オレは知らねぇ。」
炎託はふーんという顔をした。
「そうか…主は月であるものな。ほんにまあ、憎めないヤツよの。」
十六夜は眉を寄せて身を退いた。
「おい、オレに惚れるなよ?女でも面倒なのに、男はもっと面倒だ。」
十六夜はそう言って、スーッと逃げるように飛んで行った。炎託は呆然とそれを見送った…なぜにそうなるのだ。我はそっちの趣味はない。
維月が部屋で、珍しくおとなしく刺繍をしていると、十六夜が入って来た。
「あ、おかえり、十六夜!ほら見て見て、綺麗に出来たでしょう?」
維月はハンカチの淵に綺麗に銀糸で刺繍をしたのを見せた。十六夜は維月の頭を撫でた。
「ほんとだ、お前、こんなこと不得意なのに、よく頑張ったな。じっとしているのが嫌いだってのによ。」
維月は嬉しそうにフフと笑った。
「そうなの。十六夜に見せようと思って…。もう三枚も縫ったのよ。」
十六夜は、気ぜわしげに外を見た。そして言った。
「そうか。だったら肩も凝ったろう。しばらく庭でも散歩して来たらどうだ。」
維月は目を丸くした。
「え、でももう暗いわよ?いつも暗くなったら出て行くなって言うじゃない。」
十六夜は首を振った。
「今日は特別だ。頑張ったからな。行って来い。」
十六夜はぐいぐいと維月を押して、部屋の出口から庭へ出した。
「ちょっと、十六夜!」
維月は少し抵抗したが、こんな機会はめったにないし、嬉々として夜の庭へと足を踏み出した。
十六夜は、それをホッとして見送った。何が何でも行かないとか言われたらどうしようかと思った…。
一方維心も、将維に庭へ出されていた。
どうしても散策をと言って連れ出されたにも関わらず、急に蒼に呼ばれていたのを忘れていたと飛んで行ってしまったのだ。維心はしばし呆然とそこに立っていたが、いつまでも立っているのもおかしかろうと、回り道をしながら対へ帰ろうと歩き出した。
そして、ハッとして足を止めた。
維月の気がする。この癒すような乞うような甘い気は、間違いなく維月。このような夜に、庭で何をしているのかと維心は急いでそちらへ足を向けた。
維月は、小さな池の前で座っていた。じっと月を見上げて、その表情からは何を考えているのか読めなかった。
それよりも、維心は自分の感情に驚いていた。維月を見た途端に胸が高鳴り、何かの感情の波がどっと押し寄せて来るのを感じる。そのまま、声も出せずに維月を見ていると、維月はスッと手を上げて、月から青白い光を呼んだ…陰の月。維心は、維月がそう言っていたと炎嘉が言っていたのを思い出した。
維月は、その光を細くして、何かを池の水面に書いた。どうやら、遊んでいるようだ。何かを書いては消し、そして書いては消し、を繰り返していた。
一体に何を書いているのだろう…。
維心は気になって、そっと浮き上がって背後からそれを見た。
『維心様』
維月はそう、書いていた。
「!!」
驚いた維心は、背後で息を飲んだ。維月は何かの気配に振り返り、そして上を見た。
そして、そこに居るはずのない維心の姿を見つけると、びっくりして悲鳴を上げようとした。
「きゃ…、」
こんな所で悲鳴を上げたら、それこそ自分が何かしたようになってしまう。維心は慌てて維月を口を押えた。
「待て!別に我は主を襲ったりしないゆえ!叫ぶでない!」維月はじっと維心の目を見て、頷いた。「叫ばぬな?離すぞ?」
維月はうんうんと頷いた。維心は手を離した。
「驚かせてすまなかった。その…我は将維の様子を見に、この宮へ参っておったのだ。それで庭を散策しておったら、主が、その、水面に…」
維月はあまりに恥ずかしくて、急に立ち上がった。
「申し訳ありませぬ!失礼を!」
維月は慌てて駆け出した。女が走るのを見たことがなかった維心は驚いた。しかも、結構速い。
「待たぬか…、」
維心がそう声を掛けた時、維月は50メートルほど先でひっくり返った。しかしなぜか、その姿は見たことがあったような気がした。
維心は慌てて維月に駆け寄り、抱き起した。
「なぜに逃げるのだ。そのように慌てるから、転ぶのであるぞ。着物に慣れぬようであるのに。」
維月はもう、恥ずかしくて何が何だかわからなかった。このかたは、私の憧れだったのに。もう、夢ってすぐに消えるものよね…。
「申し訳ありません…」
維月は、蚊のなくような声で言った。維心は苦笑した。
「なぜに謝るのだ。我は訳が聞きたいだけぞ。主は、なぜに我の名を水面に書いておった。」
維月は下を向いた。しかし、答えずに終われるような感じではない。維月は仕方なく言った。
「あの…維心様のお姿を見て、とても凛々しいかたでいらっしゃるから。なので、憧れがあったのですわ。あの、でも、こうしてお姿を見て、お話出来るだけで幸せであるのです。私は、他に何も望んではおりませぬゆえ。お気を悪くなさらないでくださいませ。本当に、ああやって思い出しているだけで良いのです。ご不快であられたでしょうけれど…どうかお許しくださいませ。」
維心は、その言葉に信じられない気持ちだった。姿?この姿が良いと?なんだか分からぬが、それだけでも、我が良いと言ってくれておるのか。
「維月…我は不快などと思うては居らぬ。実は、我は主に会いに参ったのだ…こうして話してみたかった。」維心は、維月をこちらへ向けた。「しかし、なんと危なっかしいものよ。我の傍に居れば、我が守ってやるのに…維月、我が宮へ来る気はないか?最初は話し相手でも良い。」
維月はびっくりして、維心を見た。だが、顔を逸らした。
「…お気持ちは嬉しい事なれど、私には、月の片割れという夫が居りまする。」維月は言った。「維心様…ですので私は、憧れておるだけでよろしいのですわ。」
維心は息を飲んだ。そうだ…月には十六夜が居るではないか。その、妃…。
「維月…。」維心は、沸き上がった喜びが消えて行くのを感じた。「では…我のこの気持ちはどうすれば良い…。」
維月は驚いて維心を見上げた。
「維心様…?」
維心は、維月に唇を寄せた。
愛しているのだと、その時に知った。
維月が、部屋へ帰って来た。
どうだったかと十六夜がそちらを見ると、維月はすぐに奥へ入って行って、こちらを見ない。これはもしかしてと思ったが、だが、維心がそんな思い切ったことが出来るかと言うと、疑問だった。
十六夜は後ろから、恐る恐る維月に声を掛けた。
「維月…?どうした?」
維月はしばらく後ろを向いたままだったが、急に振り返ると、十六夜を見た。
「十六夜…。」
維月は、滝のように涙を流して十六夜を見ていた。十六夜はびっくりして維月に駆け寄った。
「なんだ維月、どうした?何かいいことあったんじゃないのか。違うのか?」
維月は子供の様に泣きながら、十六夜に抱きついた。
「私…私、ごめんなさい!」維月は言った。「維心様に会ったの。それで、私…維心様を好きみたい…。十六夜も好きなのに。どうしよう…。」
十六夜は、維月を抱き締めた。
維月の頭上の縁は、更に強く太くなっていた。
維月は、十六夜に全て話した。水面に書いていた名のこと。維心がそれを問うたこと。そして、自分を宮へと言ってくださったこと。そして、口付けたことも。
「私がどうしたらいいか分からなくて、そこからここへ帰って来ようとしたら、維心様は私をじっと抱き締めて離してくださらなかったの…。それで、何度も口づけられたから、驚いて、その隙に腕を抜け出て帰って来たの…。維心様は私を呼んでいたけど、置いて帰って来てしまった。だって、どうしたらいいか分からなかったんだもの…。」
維月はまた涙を流した。十六夜は、そんな維月を抱き締めて頭を撫でた。そうだ、忘れていた。こんな障害があって、二人が何も感じないはずはない。オレはずっとこの様子だから、慣れて忘れてしまっていたが、そうですか、でもいいだろうでは済まされない。こいつらは、悩む。一番最初が、そうだったじゃないか。悩み過ぎて、維月は自分を封じ、維心は自分を殺させようとした…。
「…大丈夫だ。」十六夜は、言った。「なあ維月、オレ達は何があっても大丈夫だろう。だから、維心が増えたって大丈夫じゃないか。なんで悩む?嘉韻だって居るぐらいなのに…ま、あいつはたまに三日って決まってるんだけどな。お前は維心が好きなんだろう。だったら、オレに気を使うな。オレ達はずっと一緒、あそこでな。」
十六夜は、月を指した。維月は、十六夜を見上げて、微笑んだ。
「十六夜は、優しい…だから、甘えてしまうの。でも、無理しないで。」
維月は、十六夜の胸に寄り添った。十六夜は困った…どうしたらいいんだろう。オレはいいって言ってるのに…そう言えば前回はごねたっけ。なんて言って説明すれば、分かるんだろう。
十六夜は困ったまま、じっと維月を抱いて月を見上げた。
維月を追って来ていた維心は、それを庭からそっと見て、そして踵を返して去って行った。




