初恋?
実は維心は、戸惑っていた。
最初に、宮の中に変わった気がすると探し歩いたのは、何も炎嘉だけではなかった。
維心も、またその気を探して庭を歩いていたのだ。単に、自分の宮の中に居る、変わった気の持ち主を見てみたいと思っただけであったが、それは思いも掛けず、女であった。
炎嘉が先に見つけたようで、その女の手を取って話しているのを見た維心は、どう声を掛けていいものかも分からず、ただじっとその様子を見ていた。
炎嘉に気取られて、仕方なく足を踏み出した二人の前だったが、その気は、女が自分を見た途端にもろに維心を包んだ。
維心は一瞬眩暈を起こしたが、すぐに持ち直し、なんとかその場に立ち続けた。しかし、それからどうしても気になって仕方がなかった…ただ、話してみたいと思っただけなのであるが。
なのに将維は、あの女と立ち合いをするという。女相手に、何が出来るというのか。それに、立ち合いなどしていては、話す訳にも行かぬではないか。維心はそう思って、最初見に行くつもりはなかった。だが、あまりに滅多に見られないと将維が勧めるので、仕方なく出て行ったのだ。
それが、あのように美しい動きをするとは。
見たことも無いその動きに、維心は思わず見とれた。一度立ち合って見たくてうずうずし、早く将維の立ち合いが終わらぬかと見ていたのだ。
勝敗は、思いも掛けず、将維が負けた。
将維は、自分が相手をしなければ、他の軍神ではもはや相手が出来ないほどの腕前であるのに。
維心は、間髪入れずに立ち合うことを望んだ。待ちきれなかったのだ。
あれほどに楽しい立ち合いは、何百年ぶりであろうか。維心は自分にぴったりとついて来るその女に、どうしても名を聞きたかった。なんという名なのだろうか。
そして、立ち合いが終わってすぐに、名を聞いたのだ。
維月…。
なぜか懐かしい名。心に染み入るような…。
将維は、それで満足したらしく、月の宮へ帰ると言った。
維心はそれ以上将維を留めることは出来ず、かといって、維月を留めることはもっと出来ず、飛び立って行く二人を、複雑な思いで見送った。
そんなことは何も知らない将維は、帰って来て蒼の居間に腰掛けた。
「まずは、とにかく顔を見せて参った。」将維は言った。「どうであろうか?」
蒼は頷いた。
「今、十六夜が調べてるよ。なんでも新しい縁が繋がってるみたいでさ、それが誰に繋がってるのかわからないから、見て来るって飛んでった。」
将維は大きく長くため息を付いた。
「我にはこれが限界ぞ。父上が興味を持ったようなのはわかったが。何しろ我は、こういうことは不案内なのだ。もっと分かるものになんとかしてもらわないとの。」
蒼は顔をしかめた。
「…いや、それは難しいと思うぞ。ここには恋愛に明るい者など居ないではないか。今居るもので、何とかしなければならないのよ。なので将維、また頼むやもの。」
将維は手を振った。
「もうこりごりよ。父はとても謹厳で大変なのだぞ?では一度蒼、主がやってみよ。」
蒼も手を振った。
「無理だって!オレだって維心様は怖いんだからな。」
「ほんに母上は偉大であったわ…。」
将維はため息をついた。それは、蒼も同感だった。
「それで、なぜに我であるのよ。」炎託が言った。「我だってそのようなこと、明るくはないわ。知っておろうが、将維?」
炎託はここの、客員教授をしてもう数百年、将維より二百年は年上であるので、もう500歳はとうに越えているのであるが、それでも人でいうところの30代そこそこの姿で老いが止まり、若いまま維持している。鳥の王族で、炎嘉が炎託を王にしたかったと言っただけあって、炎託は長命であったのだ。
「主しかおらぬ。恋愛らしい恋愛をしていたのは主だけではないか。瑞姫の時はあれほどに我らに手間を掛けさせたのであるから、少しは役に立ってみせよ。」
炎託は眉をひそめた。
「我が頼んだことではないのに。」炎託はぶつぶつと言った。「しかし、主には借りがあるからの。手は貸すが、難しいことは言ってくれるな。我は本当にそういうことには不得手であるから、考えろと言われても無理であるからな。」
十六夜が、飛び込んで来た。
「繋がった!」
蒼がびっくりして思わず言った。「何が?」
「決まってるじゃねぇか、縁だよ、縁!」と、十六夜はどっかと椅子に腰掛けた。「なんでぇ炎託、こんな時間に。」
炎託は眉をひそめた。
「こやつらに言ってくれぬか。我だって好きでここにおるのではない。」
十六夜は一息ついて、言った。
「…まあな、同じ形の縁が、炎嘉にも繋がってたのが気になるが、維心にも間違いなくあの普通の縁ってのが繋がってるのが見えた。維心は月を見て何か物思いに沈んでいたし、もしかしたらもしかするぞ。将維、お前なかなかやるじゃねぇか。」
将維はびっくりした。立ち合いをさせただけなのに?
「…まあ、良くなったのなら良かった。で、このあとどうするのだ。父上が興味を持っていらしたようなのは分かっていたが、母上はどうなのだ。我には母上のほうは全く分からなんだ。父上はある意味、分かりやすい。そんなことに慣れないので、いつもと全く違うので見て居れば分かる。だが、母上は?」
十六夜は、少し言いにくそうにしていたが、ため息を付いて言った。
「維月はなあ…維心の顔を見たんなら、大丈夫だ。」
炎託がなんだって?と言う顔をした。
「なぜに顔を見ただけで大丈夫だと分かるのよ。」
十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「維月は面食いなんでぇ。前世心を繋いで知ってるが、あいつが維心の中で一番最初に惚れた所は、その姿だからな。一目見た時にめちゃくちゃ好みで一気に好感持ちやがったのさ。だが、それだけじゃ愛してるまで行かねぇ。で、その後に一緒に居て中身を好きになって、ああなった。だから、顔を見たんなら掴みはオッケーなのさ。」
皆が一様に複雑な顔をした。
「…なんとの。我は女性不信になりそうよ。」
将維も頷いた。
「姿など。我は父と瓜二つであるのに。」
十六夜は苦笑した。
「だから、掴みだって言ってるだろうが。後は中身なんだよ。あの姿があれば、悪い印象は持たれねぇってことさ。得だろうが?」
将維と炎託は顔を見合わせた。そういうものだろうか。確かに一目惚れというものも存在するし、一概にそれが間違っているとも言えないが…。
間違っていなかった。
維月は、前世と同じく維心を一目で気に入っていた。あんな好みのど真ん中を射ぬく容姿のかたが居るなんて。
だが、やはりそれだけでは好きになっては居なかった。最初に庭で会った時は、その姿に見とれて、こんなかたなら見ているだけでも幸せになるなあと思っただけだった。
それが、立ち合いの時のあの素早さ、それに能力。さりげなくこちらを気遣った立ち合いのスタイル。何より最後に刀を追った自分を引き留めようと腕に引き寄せられた時は、胸が高鳴って死ぬはずのない身が死ぬかと本気で思った。
維月も、維心が気になって仕方がなかった。龍王…雲の上のかた。維月は自分も月で地位が高いにも関わらず、これはじっと胸にしまっておこうと心に決めて、月を見上げて居たのだった。
だが、月だって雲の上じゃねぇか、という十六夜の声が聞こえて来そうで、維月は首を振った。
それから数週間が過ぎた頃、月の宮の将維の所へ、龍の宮から知らせが来た。
維心が、こちらへ来るという。
あくまで、非公式であるらしいが、将維がこちらでどう過ごしているのか見に来るというのだ。将維は、その知らせを持って、蒼の居間へ急いで入った。
「蒼、父上からこのようなものが。」蒼が将維から書状を受け取ると、さっと目を通しているのを見て、将維は続けた。「父上が、非公式に宮を出るなど。これまで、母上のこと以外ではなかった。」
蒼は頷いた。
「…だったら、維心様は今度も母さんに会いに来ると思ってまず間違いないな。母さんはあんな感じでのほほんと過ごしてるけど、維心様は一回こうと思ったらそればっかりのかただから…きっと、この数週間は、ずっと考えてたかなんかで、いよいよ辛抱堪らなくなったとか…前世の里帰りの時、そんな感じだったし…。」
維月は、蒼の視線の先の庭で十六夜と何やら話して笑っている。十六夜が言うには、かなり維心を気にはしているようだが、相手が龍王だし自分は結婚しているし有りえないと思っているらしい。しかし縁は、まだしっかりと繋がっていて、それは日増しに濃く太くなっているとのことだった。それって、維心様から一方的に、なんだろうか。
蒼が考え込んでいると、将維が言った。
「とにかく、ここへ来たらどうにでも出来る。父上がどんなことに反応なさるのか十六夜が一番良く知っているだろうし、十六夜と話そう。早くしないと、これは先触れだから、来てしまう。」
そうだった。蒼は慌てて十六夜を呼び、維月を部屋へ帰すと、作戦会議に入った。
維心は近くまで迫っていた。
維心は、蒼が思った通り、一度こうと思うとこうだった。
維月のことを考え出すと、この数週間止まらなかった。炎嘉は連日南の砦から宮へ来ては維月は居ないのかと探して回るし、いくら炎嘉でも、任務をほったらかしにして、月の宮まで遠出は出来ずにいたのだ。
しかし、最初は炎嘉が鬱陶しいと思うだけだった維心も、連日そんなことを聞いているうちに、落ち着かなくなって来た。
本当に、炎嘉は、月の宮へ行って維月を妻にでも迎えるのではないか。
そう思うと、本当なら関係のないはずの自分の胸が、締め付けられるように騒いだ。炎嘉が維月を妻に。そんなことになったら、自分は祝えない気がする…維月を、なぜに炎嘉にやらねばならぬ。
しかし、維月は誰のものでもなかった。つまりは自分のものでもない。なのに、渡したくないと思った。
連日思いもしないような苦しさに襲われて、ついに維心は、月の宮へ行くことを決意したのだった。
月の結界が見えて来る。
それは、維心が近付くと、すっと中へ入れた。自分が来ることは伝わっている…維心は、眼下に見える月の宮に向けて、降りて行った。




