選んだ運命
維心は、炎嘉が来ていることを維月に聞くまで知らなかった。
炎嘉が転生して間もない頃、行く所に迷っていた炎嘉に、月の宮で指南してやって欲しいと言ったのは、前世まだ王であった維心だった。
なので炎嘉は、ここの軍神達に慕われている。維心は、軍の建物の方へ急いだ。
炎嘉の気を探って行くと、炎嘉は今は、軍のラウンジにいるようだ。そこは飲み物が好きに飲め、広く皆が話すのに最適な場所であった。維心は前世で数回来たことがある。今生では初めてだった。
そこに足を踏み入れると、炎嘉の回りに数人の軍神が集って、炎嘉が何か話しているのを聞いていた。維心は離れた位置で、それを伺った。
「…ゆえ、昔は、力のある者しか軍神にはなれなんだ。今もそうであるが、昔に比べたら基準が低くなっておると思うぞ。我らの時代は、戦国であったゆえな。常戦う必要があったし、弱い者は淘汰されてしまう。よって、我の宮でも何度軍神の子がそれを継ぐのを許可せなんだか。情けなど掛けることは出来ぬ…本人の命もであるが、宮の皆の命も掛かっておるからの。そのような弱い軍神に、宮の命運を預ける訳には行かなんだ。」
一人が、炎嘉に言った。
「そうして強い気を持つ血筋だけを軍神として残して行かれたという事ですか?しかし、龍の宮のように、ほとんどが強い気の軍神という事もあるでしょう。」
炎嘉は顔をしかめた。
「あれはの、我も不思議に思うておった。龍はなぜか子が少ないのであるが、その少ない子らが軒並み強い気を持って生まれて来よるのだからの…鳥族の王だった頃、それが妬ましくてならんかったわ。我はその頃の王の維心に全く気が及ばなかったし、せめて軍神達だけでも強くさせたいと思うておったのに。ま、今の王の将維にも勝てぬのだがな。あやつは龍のそのものの気質のくせに、こんなに何人も強い気の子を遺しおってからに。」
維心は苦笑した。何も死んでまで我の悪口を言わぬでも良いではないか。しかし、それが炎嘉の寂しさゆえの悪態であろうことは、維心にも今はわかっていた。
炎嘉は回りの者達に手を振った。何かを思い出したようで、表情を曇らせている。もう話す気はないらしい。他の軍神達はためらいがちに席を立ち、皆に背を向けて窓の外を見ている炎嘉に頭を下げて、退室して行った。
維心は、炎嘉に歩み寄り、その背に向かって言った。
「…なんだ、王の頃と変わらぬではないか。気が向かぬと黙って皆を遠ざけおって。それで人望が厚いと申すのだから、我には納得が行かぬ。」
炎嘉はハッとしたように振り返った。それが皇子の維心だと知ると、フッとため息を付いてまた窓の外を見た。
「何を知った風なことを。将維にでも聞いたのか?主は祖父に似て横暴な口のきき方をしよるの。」
維心はフンと鼻を鳴らした。
「あのな炎嘉、もう死んだものをそれほどに疎まんでも良いであろう?さっきから子を数多く成したのがどうのと…主の言うのは、維月を我がものに出来ぬ嫉妬であろうが。しかし、今生でもあれは我の妃になったからの。主に譲るつもりは毛頭ないわ。」
炎嘉はまた振り返った。今度は驚いたように目を見張って、じっと維心を見ている。維心はその目を見返した。
「…どうした?もう話もしたくないほど我が疎ましいか。ま、勝手に死んだのは悪かったと思うておるが、我も維月を追うことしか考えてなかったゆえ。またあれを追って戻って参ったのよ。記憶が戻ったのは、ついこの間のことよ。」
また、炎嘉はぼろぼろと涙をこぼした。前もそうだったので、同じ反応をすると思っていた維心は、懐紙をサッと出した。
「ほれ。泣くでない。戻って参ったのだから良いであろうが。」
炎嘉はそれをひったくって鼻をかんだ。
「我の言いたいことはわかっておるのではないか。」炎嘉は、涙を流しながら言った。「主は我を門から呼び出せば済んだが、我はそんなことは出来ぬし、将維は最近維心が呼んでも来ないと言って、我に門を開いてくれぬし…。」
維心は苦笑した。
「転生しておったからよ。呼んでもあちらにはおらなんだ。我は将維の子として転生していたのでな。記憶もなかったゆえ、主らが何を言っておるのかもあの時は分からなんだ。」
「我らは本人の前で、呼び出そうとしておったのか。」炎嘉は言った。「確かに生まれた時に母を殺した上乳母達を殺し掛けたその気も、何やら覚えがあるような気がしておった。姿はあまりにも維心そっくりで、逆に顔を見るのがつらくての…主とは、接することがなかったの。」
維心は頷いて、傍の椅子を示した。
「座ろうぞ。炎嘉、だから泣くなと申すに。」
炎嘉はまた音を立てて派手に鼻をかんだ。
「主に我の寂しさなどわからぬわ。」
炎嘉はふて腐れたように椅子に座った。維心はその前に座りながら、困ったように笑う。
「わかったと言うに。まあ、またおそらく千年以上は一緒であろうし、仲良くしようぞ。」
炎嘉は横を向いた。
「ふん、仲良くしてやっても良い。しかし、維月が共に転生しておるのであるなら、顔を見せよ。また主が娶るなど、卑怯であるぞ。」
維心は呆れたように炎嘉を見た。
「まだ言っておるのか。あれも一度死んだのであるから、諦めよ。ま、既に我が妃であるし、どうにも出来ぬがな。」
炎嘉はこちらを向いて、身を乗り出した。
「では、維月も記憶を戻したのか?」
維心は頷いた。
「ついこの間の。我とほぼ同時であった。だが、記憶が戻る前から我らは既に婚姻関係であったぞ?運命とはこういったものよ。どうやら主は維月とは繋がっておらぬようだの。」
維心は何やら得意げだ。炎嘉はむくれた顔で言った。
「だから、とにかく会いたいだけぞ。我を放っておいたのだから、良いであろうが。」
維心は渋い顔をして黙ったが、頷いた。
「仕方がないの。あれも主のことを言っておったゆえ。だが、指一本触れてはならぬぞ。主は油断がならぬゆえなあ。あと一週間ほどで我らは龍の宮へ帰る。さすれば宮の我の対へ来るが良いぞ。」
炎嘉は満足そうにうなずいた。
「主は転生して聞き分けがようなったの。良いことぞ。」と窓の外を見た。「のう維心、久しぶりに手合わせしようぞ?軍の訓練ももう終わる時間ぞ。訓練場が空くゆえ。」
維心はニヤリと笑って立ち上がった。
「フフン、少しは腕を上げたか炎嘉?我に勝てるとは思えぬのう。」
炎嘉は懐紙を放り出して立ち上がった。
「何を申す!転生したばかりの主になど負けはせぬわ。」
二人は並んでそこを出て、訓練場へと向かって行った。
維月は、十六夜に手を取られて歩いていると、部屋へ帰るのかと思いきや、湖のほうへ出た。維月が不思議そうに十六夜を見ると、十六夜は言った。
「あれから、嘉韻をほったらかしだったろう?」十六夜は言った。「あいつは、もうすぐここへ来る。お前が来ないと分かっていても、訓練が終わったら毎日ここへ来ては水面を見て佇んでるんだよ。維心が嘉韻に何を話したのかは、オレは見ていて知っている。オレに相談もなくとは思ったが、確かに維心の言う通りだからな。お前、嘉韻としっかり話せ。」
維月は十六夜をじっと見た。前世から、本当に十六夜は変わらない。慈愛の月…私と同じ…。だから、私達は感じ方がとても似ている。お互いの気持ちが分かる…。
「十六夜…私、あなたをすごく愛しているわ。今生での記憶も足されたから、さらに深くって感じ。ずっと一緒だったから…前世よりもっと考えてることが分かる気がするの。」
十六夜は微笑んだ。
「それはオレもそうだ。ずっと一緒だったしな。今生ではオレが育てたようなもんだし、前世では話すだけしか出来なかったけどよ。」
維月は頷いた。
「信頼する気持ちがとても強いの…いつでも何でも教えてくれて、一緒に居てくれたから。それは前世でも今生でも変わらなかった。十六夜、愛しているわ。」
十六夜は維月を抱き寄せた。
「オレもだ、維月。お前の心が変わらないのは分かってるよ。オレ達は月だ。離れることは金輪際ないからな。死んだって転生したって案外大丈夫だってことが分かったじゃねぇか。だから、今日は嘉韻のために過ごしてやれよ。あいつは維心みたいに長くは生きられねぇし、普通の神だ。それががんばったんだから。お前が嫌じゃなかったらだけどな。」
維月は微笑んで頷いた。
「ええ、そうね。嘉韻のことは好きよ。お友達としてだったけど…でも、好きには変わりない。心を楽にしてあげたいわ。せめて、誰かに恋をするまでは。」
十六夜は顔をしかめた。
「ん…まあ、それは無理かもしれねぇけど。お前でなきゃいけないって時点でかなり難しい好みであることは分かるからよ。」
維月は同じように顔をしかめた。
「ちょっと十六夜、あなたまで私がマニアックな神にモテるとか言うの?ま、いいけど。」
日が傾いて、闘技場の方から軍神達の気が思い思いの方向へ飛び始めたのがわかる。訓練が終わったのだ。
「よし。じゃあ、オレは行く。」と十六夜は維月に口付けた。「じゃあ、また明日な。明日からはしばらくオレと一緒に過ごそう。」
維月は頷いた。
「ええ。」
十六夜は月へと戻って行った。それを見送っていると、闘技場の空からこちらへ向けて、誰かが飛んで来るのが見える。
「嘉韻…。」
維月は、その影が嘉韻だとわかった。十六夜が言った通り、毎日ここへ来ていたのだ。来るかどうかもわからない、私に会うために…。
維月がじっと見上げていると、嘉韻がこちらに気付き、ためらったように斜め上に浮かんだ。維月は呼びかけた。
「嘉韻…話したいの。」
嘉韻は頷き、こちらへ降りて来た。そして、じっと維月を見た。
「維月…姿が変わっているから、一瞬戸惑った。」
維月は微笑んだ。
「そうなの。記憶が戻ったから…前世のあの頃の姿にまで成長したみたい。私、月だから。思えば姿はどうにでも出来るわよね。」
嘉韻は、困ったように横を向いた。
「その…主は、このように「気」が強くなかった。じっと見ているとおかしな心持ちぞ。」
維月はため息をついて苦笑した。
「ごめんなさい…これが私の成人した時の気なの。本当はこうなるべきだったのに、まだ心が子供だったせいかしら、ここまで強くはなかったのよ。抑えるには骨が折れるの。でも、嫌ならがんばって抑えるけど。」
嘉韻は首を振った。
「そうではないのだ。ただ、その気は我をもっと惹きつける…主を諦めるべきかと悩んでおったのに。これでは、それも出来ぬ…。」
維月は、嘉韻の頬に触れた。
「維心様と話したのでしょう?私は嫌ではないわ…嘉韻が、望まないと言うのなら、もちろんこのまま私は帰るけれど。だって、数か月に一度、三日ほどしか会えないのに。本来は、別に良いかたを迎えていただくのが一番いいのだけれど…。」
嘉韻は、維月を思わず抱きしめた。
「そのようなことは無理だ。主以上の女を見つけることなど出来ぬ。維月…主が良いと申すなら、我はそれでよい。元々軍神など、なかなかに屋敷に帰ることは出来ない仕事。会えるまでの数か月は、任務だと思うておるゆえ…良いか…?」
維月は微笑んで一つ、頷いた。嘉韻は胸がいっぱいになった…精神的にも成人した維月の気がまた嘉韻の全身を包んで震わせ、嘉韻は小刻みに震えながら維月を抱き上げると、そのまま自分の屋敷のほうへと飛び去って行った。
次の日の朝、嘉韻は気だるい体で起き上がった。
日はもう、大きく傾いている。ここまで意識もなく深く眠っていたのは初めてだった。隣りには維月が眠っていて、昨夜のことを思うと、自分のその反応にも合点がいった。昨日は明け方まで眠らなかったのだ…。
維月も気配に気づいて目を開けた。嘉韻を見ると、少し驚いたような顔をしたが、微笑んだ。
「まあ嘉韻…長く寝入ってしまって。もう日は高いわね…。」
維月は襦袢を引き寄せて起き上がる。嘉韻はその背を抱き締めた。
「維月…離れたくない。」
維月は困ったように微笑んだ。
「嘉韻…。」
昨日約したことは覚えている。だが、やはりこの気持ちは抑えられなかった。これほどに愛おしいと思うものを手にした。だが、それは限定された時間の中でのことだった…。わかってはいるが、つらいことだった。
「維月…わかっているのだ。だが、まだ慣れないだけで…。」
維月は嘉韻のほうを見て、抱き寄せた。
「本当に…つらい想いをさせたくないのよ。だから、こうしてここに来たのだし…。でも、ごめんなさい、これはやはり、つらいことだった…?後悔しているのね?」
嘉韻は黙って考えた。昔から、王族の妃や主人の妻を愛してしまって、隠れて会っている男の話はあるもの。それは他人事のように思っていたが、今、自分はその男たちと同じ立場になっているのだ。ただ、自分は隠れて忍ぶ必要がないだけで…。時間を与えられているだけで…。
「…これが、我の愛する形だと思う。」嘉韻は言った。「つらければその辺の女を相手にすれば良いだけのこと。それなのに、我は主でなければならなかった。主以外は要らぬと思うた…己の気持ちに正直に生きたからこそ、こうなっておるのだ。我は後悔などしておらぬ。」
維月は嘉韻の決意に満ちた表情を見た。そんなにも愛してくれるの…。
「嘉韻…。」
嘉韻は、維月に口づけた。
「きっと、我と前龍王は同じなのであろう。あれも月の妃である主を愛して、それは苦しんだのだと思う…そして、月に許された間だけ主を手にして。ただ月は寛大であったゆえ、正妃にして傍に置くことが出来たというだけで。なので、前龍王が我に主を許した気持ちも、なんとのう分かるのだ。ただ前龍王は月ほど寛大ではないの。数か月に三日であるのだから。」
嘉韻はからかうようにそう言った。維月は噴き出して笑った。
「ほほほ、確かにそうかもしれないわ。でも、寛大であるとまた違ったことなの。十六夜も私も、月であるから…こういうことは生物学的なことでしょう?あまりこだわらないのよ。だって、生物学的には、私達存在しないわ。確かに子を成すことは出来るけど、それは形を持たないの…誰か、地上のかたと交わらない限りはね。私は前世で人から月になって、その記憶があるから多少なりともこういうことに抵抗を感じたりするけれど、でも、やっぱり転生してこだわらなくなっているのも事実。維心様はまた身を持ってしまったから、どうしてもこだわってしまうのを捨てられないのね。わかってあげて。これでも維心様にしては大きな譲歩なのだもの。」
嘉韻は頷いた。自分に宛て嵌めて考えてみると、どうしても許すことなど出来なかったであろうからだ。相手を殺してしまったかもしれない。なのに、前龍王はそれを許したのだ。龍の身でありながら…。
「維心殿には、感謝しておる。もちろん、十六夜殿にも。」と、維月を見た。「維月…早く帰れ。我は主を待っておるゆえ。我の選んだ、ただ一人の女であるからの。主を待っておったのかもしれぬ…こうして、ここで結界を張って…。」
維月は花のように微笑んだ。
「ええ。帰る時には知らせを送るわ。嘉韻…どうしても辛い時には月に向かって話して。十六夜にも聞こえるけど、私と話せるわ。宮の行事や責務などで返せない時もあるかもしれないけれど、きっと答えるから。」
嘉韻は笑った。
「十六夜殿にも聞こえるとはの。仕方がない…主らは陰陽でつながっておるのだものなあ。」
嘉韻はもう一度維月を抱き締めた。そして、しばらくそうして名残を惜しんでいた。




