懐かしい時
維月は、目を覚ました。
そして、そこが月の宮の維心の対であることに気が付いた。長い夢を見ていたような気がする…思い出した。途中、維心様が助けてくださった…。
横を見ると、維心が維月を見ていたのだろうが、着物のままうとうとと眠っていた。維月はその様に言いようのない愛おしさを感じて、そっと維心の頬に口付けた。
ハッとしたように維心が目を開けた。
「…維月?気が付いたか。我は、うとうとしてしもうたようだの…気分はどうか?」
維月は微笑んだ。
「もう大丈夫でございますわ。維心様、ありがとうございまする。」
維心は、維月から湧き上って来るその気に眩暈を起こした。この感覚は久しぶりだ。
「維月…思い出したのだの。」
維心は維月の頬に触れた。維月は頷いた。
「はい。」と維心の胸に身を摺り寄せた。「維心様…お会いしとうございました。」
尚一層維月の気が維心を包み込む。維心は我を忘れそうになった。
「おお維月…久しぶりに主の気を受けると、我には抗えぬ…まるで誘うようぞ。あれほど修練したというに。抑え切れぬ…。」
維月はふふっと笑った。
「誘っておるのですわ。」維心のびっくりしたような顔を見て、維月は維心に口付けた。「維心様…疲れておいでですか…?」
維心はがばっと維月に覆いかぶさった。
「疲れてなどおらぬ。疲れておっても、我に主の誘いを断れると思うてか。」
維心は維月に口付けた。そして二人は、そのまま深く愛し合った。
そのまましばらく、維心が維月を腕に抱き、寝台の天井を見ながら言った。
「嘉韻のことであるが…」維月が、横で維心を見上げた。維心は苦笑した。「我はの、本当なら主に指一本触れさせたくはない。今は一層そう思う。だがの、あれの気持ちと主の気持ちを汲んで、此度は我の気取れぬ里帰りの時の三日間だけ、主と過ごすことを許すと伝えた。」
維月は驚いたように維心を見た。以前の維心なら、ゴネて絶対に無理だったことだからだ。
「まあ、維心様…」そして眉を少し寄せた。「あら?今生でも三日で私を追って来られるのですか?」
維心は拗ねたように顔をしかめた。
「何故に悪い。我は主と離れて居るのは、やはり今生でも耐えられぬ。一緒に来ても良いぐらいであるのに。」
維月は苦笑して維心の髪を撫でた。
「悪いと申しておるのではありませぬ。今生ではそれほど私に執着はおありでないのかと思うてしまって…。」
維心は表情を変えた。
「そうではない。愛情がないから主を許すと申したのではないぞ。記憶のない我は、本当に主に選んでもらえぬと思うておった…嘉韻の方が先に主に出逢い、主と接して交流しておったし、嘉韻は主を強く望んでおったからだ。しかし主は我を選んだ…我らは魂から繋がっておるのだと我は思うておる。それに助けられたのだ。」と、維月をじっと見た。「もしかしたら、我が嘉韻の立場になっておったやもしれぬ。我には十六夜という味方も居た。嘉韻はたった一人、皇子の我と戦わねばならなかったのだ。それでも、あれは退かずに必死に主を求めた。ゆえ、我もあれの気持ちを考えて、少しは妥協してやろうと思うたのよ。」
維月は感心した。維心は、転生してまた成長しているように思う。我が我がという感じがなくなっている…十六夜のように、心を重要視している。あちらの世で三人で暮らしていた時から、その片鱗は現れて来ていたけど。でも、また龍身を持って生まれて来たのに。
「はい。維心様、私は嘉韻を嫌いではありませぬ。十六夜が軍神の真似事をし始めて、私が一人きりになった時、偶然会ってからずっと話し相手になってくれていた。今思えばとても子供であったのですけれど、それでも私に付き合っていてくれましたの。嘉韻が私を望むのなら、私も維心様の言うように過ごしてもよろしいかと思いまする。」
維心は頷いたが、渋い顔をした。
「だが、愛してはならぬぞ。主は我を愛しておるのだろう?ゆえ、こんなことも言えるのであって、他の男を愛したりしたら、我は…、」
維月は思わず噴き出した。やっぱり維心様は維心様なのだわ。
「まあ、維心様ったら…では、ご無理をしていらっしゃるのですわね?」
維心は横を向いた。
「誰にも触れさせたくはないと言うた。だが、嘉韻のことは我が約して来たこと。違えるつもりはないゆえに。」とため息を付いた。「主がまた、このように気を戻すとは思わなんだゆえ…主に惹かれて仕方がないわ。忘れておった、この慕わしい気をの。まあ、思えば我の好みになろうと主が無意識にそう成長したのであるから、我が惹かれてならぬのも仕方がないのであるが…。」
維月はふふと笑った。
「そうですわ。私は、維心様を愛しておるから維心様に愛されようと、このようになってしまったのですわ。」
維心はじっと維月を見た。そして、ため息を付いた。
「…ほんに主はなんと愛おしいことか…我は手放せずに困ってしまうわ。炎嘉が昔言っておったのも道理よ。これ以上我を惹きつけずとも良いとな。我が呆けてしまうと。確かにそうよ。」
維月は、起き上がって維心を見た。
「では、帰りましたら炎嘉様にもお会いせねばなりませぬわね。前に記憶を戻した時、泣いていらしたではありませぬか。気に掛かりまする。」
維心はサッと眉を寄せた。
「維月、炎嘉は駄目であるぞ。炎嘉にまで許したら、もう我は耐えられなくなってしまうわ。」
維月は苦笑して頷いた。
「わかっておりますわ。私もそうそう相手をする訳ではありませぬから。此度は特別…分かっておられるでしょう?だから許すと言われたのではありませぬか?」
維心も起き上がって、頷いた。
「そうよの。我もほんに気の揉めることを許したものぞ。」
維月は維心の手を取って寝台から降り、着物を着せかけた。そして自分も着ると、維心の対を出て十六夜に会いに出て行った。
「では、無事に二人とも記憶を戻して、落ち着いたのであるな?」
将維が蒼に言った。蒼は頷いた。
「だから呼んだんだ。何しろ母さんが早く将維に会いたいと言って…」
「将維!」
維月が蒼の居間に駆け込んで来た。将維は振り返った。
「母上、お久しぶり…うっ、」
将維が言い終わらないうちに、維月は椅子に座っている将維を抱き締めた。
「ああ将維!会いたかったわ、元気なのは転生してからの記憶で知っているけど。立派な王になっているのね。」
後ろから十六夜と維心が入って来る。将維は維月の胸に溺れながら慌てた。
「ち、父上が見ておられるのに、母上、」
維月はグッと抱き締めて将維を離さない。維心は眉を寄せた。
「…将維が困っておるではないか、維月。主の気は元に戻っておるのだぞ。将維が正気でいられるうちに離れよ。」
維心に引っ張られて、維月は仕方なく将維を離した。将維は動悸がおさまらず困った…母の気は、前世のように戻っている。このように包まれると、確かに我を失いそうになる…。
蒼が苦笑した。
「オレもしこたま抱き締められて撫で回された。もう子供じゃないってのに、母さんは、もう。」
撫で回される?!将維はドキッとしたが、蒼は涼しい顔をしている。どうやら蒼には、あの気は無効らしい。十六夜が笑った。
「まあ、維月にとってどっちも息子だからな。さっき涼も恒も、遙も抱き付かれて撫で回されてたよ。将維だけは血が繋がってねぇし、そりゃ困るわなあ。」
将維は撫で回される前に父が止めてくれたことに感謝した。こんな所で我を忘れてしまっては、龍王の名が廃るというもの…。
維月は拗ねたように横を向いた。
「久しぶりに会ったのですわ。よろしいではありませぬか。」
維心は維月を引き寄せた。
「維月、将維は王であるのだぞ。ここで主をめとると言い出したら、我は退かねばならぬではないか。ほんに気の利かぬ…前世とは立場が違うと申すに。」
将維は首を振った。
「父上から母上を奪おうなどとは考えておりませぬゆえ、そのようなご心配は要りませぬ。が…」と、維月を見た。「たまには何か起こるかも知りませぬな。このように完全な形で戻って来られたとなると。」
維月は目を丸くした。蒼がう~んと唸った。
「まあなあ、気持ちは分かるけど。将維は母さんが初恋なんだし。」
「我だって初恋よ。」維心が言った。「1700年も待った。此度も240年待った。もうこれ以上待つのは無理だ。」
十六夜が笑った。
「お前は遅咲き過ぎなんだよ。ま、オレも人のこと言えた義理じゃねぇがな。オレだって初恋なんだ。維月は誰も愛せなかった男を狂わせる魅力があるのかも知れねぇなあ。」
維月は眉を寄せた。
「やだわ、それって他にないほど変わってるってことじゃないの。皆マニアックなんじゃないの?それでツボにはまる女が居なかっただけで。」
蒼が大笑いした。
「ははは、確かに!嘉韻だって他は見向きもしなかったのに、母さんだもんな。龍はマニアックなんだ、知らなかったよ!」
腹を抱えて笑っている。蒼にしてみれば、母は全く女として見れないので、本当に可笑しいらしい。維心は憮然として言った。
「蒼、笑い過ぎぞ。そもそもマニアックとは何ぞ?維月の魅力は主には分からぬのだ。」と、維月を見た。「これほどに完璧な女が居ると思うてか。我にはこれ以上など有りはせぬわ。」
維月はあまりに維心が真剣なので、気恥ずかしくなった。
「維心様…そのような…私は欠点だらけでございまするのに…。」
十六夜が大真面目に口を挟んだ。
「何を言ってる。お前以上の女なんて見たことねぇよ。マニアックで結構だ。お前がいいんでぇ。」
将維が頷いている。蒼は呆れた。この集団は、母さん命だ。オレは分が悪い。もっと普通の感覚を持った男がいないと、負かされる。
「わかったよ。それだけ迷いなく好きなのは、むしろ幸せだとオレは思うな。なかなか出逢えないからね。ま、オレはそんな母さんの息子でよかったと思うことにするよ。」
維心が頷いた。
「そうよ、蒼。維月が居るから我も主に親近感を持つのだぞ。目がそっくりゆえの。」
蒼は少し複雑だった。
「そんな理由でですか?」
維心は少しばつが悪そうな顔をしたが、頷いた。
「…遠い話になるが、主を初めて龍の宮へ連れ帰った時は、主ら月の力の持ち主の能力を見ようと思うたのも理由の一つであるが、あの時既に維月に惹かれておったので、維月によく似た主を眺めようと思うたのも事実。思いのほか主が力を持っていて、気立てが穏やかであったので、せめてと思うて妹・瑤姫を嫁がせようと考えた。ま、想いの叶わぬ時の、我のささやかな歩み寄りよ。少しでも維月と繋がっていたくての。」
蒼は唖然とした。じゃあ、あれは全て、別に政略でもオレ達を心配してでもなくて、それは口実でただ母さんと繋がっていたかったってことなのか。維心様、結構出逢った始めから母さんに想い入れていたんだ…。
十六夜がびっくりしたように言った。
「おい、マジかよ維心!結構前から維月を本気で狙ってたんじゃねぇか!その間にはオレ達の結婚式もあったのによ…もしかして、あれも…。」
維心はため息を付いた。
「維月の花嫁姿が見たかった。我の宮での。手を出せずとも、眺めておるだけでも良かったのよ。それはいつかは我のものになってくれたらと思うておったがの。」
維月は維心の頬に触れた。
「維心様…その時は本当に存じませんでしたわ。」
維心はじっと維月を見て言った。
「我の片恋であったからの。思い出すとつらかったが、今は報われたので良いのだ。それに、前世のことであるしの。」
将維は自分の生まれる前の話に、面食らった。何のことかわからないが、父は母を娶るまで、かなり水面下で頑張っていたらしい。蒼や十六夜はそれを、自分達だけのためだと思って行なっていたが、実は父の思惑の絡んだものだったと今知ったということらしい。
父はなかなかに、恋愛に関してもやり手かもしれぬと、将維は思った。
「つまり知らねぇ間に維心は、龍族とオレ達が離れられねぇように回りを固めて行って、維月と切れねぇようにしてたって訳だな。してやられたよ。だが、維心に助けてもらってたのは確かだからな。オレ達は神の世なんてこれっぽっちもわからねぇで飛び込んで、領地までもらって、宮も建ててもらった。維心がいなきゃ、ここまで来れてねぇからな。」
蒼は感心した。なんだ、十六夜もわかってるんだ。
「そうなんだよね。結局オレがこうやって無事にここでやって行けてるのも、維心様が基盤を作って下さっていたからだし。別に母さん目当てでも構わないかなって思うよ。結局のところ、今は母さんは維心様が死ぬほど好きなんだし。」
維月が少し赤くなった。
「ちょっと蒼!死ぬほどって何?大袈裟な…」
維心が維月を見た。
「大袈裟とは何だ、維月。主は我をそれほど想ってはおらぬということか?我を謀ってはおらぬであろう、確かに主と心を繋いで、主の心は知っておるはず…しかしまさか月に我の知らぬ力があって、我に偽りの心を読ませておるとか…」
維心の表情がますます険しくなって行くので、維月は維心をなだめた。
「まあ維心様、偽ってなどおりませぬ。知っておられるでしょう…心を繋ぐのに、そんな器用なことは出来ませぬ。恥ずかしいのですわ。だって、息子に誰かを死ぬほど想っておるなんて、面と向かって言われると…。私の気がこのように成長して、分かっておられると思うておりましたのに。」
維月が少し気分を害したように横を向くと、今度は維心が慌てて維月をなだめた。
「そのように横を向くでない。我が悪かった。主は偽りなど申しておらぬの…この気が何よりの証拠ぞ。主は我の為にこうなった。機嫌を直せ。」
蒼はその様子を見て、懐かしいやら呆れるやらで苦笑した。前世と変わらない…維心様は、やっぱり母さんには敵わない。
十六夜が足を踏み出した。
「はいはい、じゃあ維月はこっちへ来い。維心にべったりでここのところオレの所へ来ないじゃないか。ここは月の宮だぞ?維心、お前維月を龍の宮へ迎えるんだろう。さっさと帰って準備して来たほうがいいんじゃねぇのか。まさか、いきなり連れて帰って妃ですって訳じゃあねぇだろうな。」
それには、将維が答えた。
「正妃として迎えるつもりでおる。ただ式は王になってからであるから、まだまだ先であろうの。もちろん略式の式は挙げるが、準備に時間が掛かるし…それまで、父上は我慢ならぬであろう。一緒につれて帰って、まずは妃になることになるの。」
維心が膨れた。
「儀式だなんだといろいろ面倒であるのよ。正妃にするというておるのに、なぜにそれに時間が掛かると申すのか。しかし…主の言うことももっともぞ。ここは月の宮。しかし、帰るまで我に会わせてくれぬとは言うのでないぞ。」
維心はそっと維月の手を離した。それが名残惜しそうで、維月は気に掛かって維心を見上げた。まるで、小さな息子を一人残して行くような気持ち。いえ、実際は私よりこんなに大きいのだけど。
「維心様…炎嘉様もお越しになっていらっしゃると聞いておりまする。一度軍の方へ行って、会って来られてはいかがでしょう?炎嘉様は前回の記憶を父に消されて、維心様の記憶が戻っておるのを知りませぬ。話しておったら、気も紛れまするわ。」
維心は微笑した。
「そうであるな。維月、我は子供ではない。そのように案じることはないゆえ。」
でも、こういうところはお子様でいらっしゃるのに。維月は思ったが、頷いた。
「はい。では、失礼致しまする。」
維月は待っていた十六夜の手を取って、そこを出て行った。




