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その五

                    11

ちょうど、僕が返答に詰まったせいで、それまでの会話が途切れてしまったとき、それは聞こえた。

文字で表現するならば、それは『ぐおっ』とも『うがっ』とも聞こえた。

もしも会話があのまま続いていたなら、恐らく聞き取れなかったのかも知れない。

僕らは反射的に、それが聞こえてきた方向に目線を移した。

そこは、道から3m程度高くなっている畑で、今は耕作されていないのか、背丈ほどもある雑草に覆われていた。その雑草に混じって数本のハリセンジュが、白い花を僅かに残すばかりとなった枝葉をただ風に任せるようにして揺らせていた。

僕らはそのとき見たのだ。そこに立っているアレを・・・。

時間にすれば1秒余りの目撃でしかなかったのだろうが、その映像は強烈なコントラストで僕らの脳裏に焼き付けられたのである。

アレは動いていた。雑草の向こう側を右手に移動する上半身だけが見えた。下半身は草陰に隠れていたが、アレが僕らの身長をはるかに凌いでいることは間違いなかった。だが決定的に僕らを怯えさせたのはそのことではなく、アレの頭部から全身にかけて、おぞましげな剛毛で覆われていたことだ。

全身が剛毛に覆い尽くされた生物を、僕らはこの目ではっきりと見たのだ。

腰が抜けるというのはこういうことなのか? 気が付けば、知らぬ間に地ベタにお尻を着けて座り込んでいたのだった。地面に両手を押し当てて立ち上がろうとしたが、それに必要とされる腕力も脚力も完全に喪失していた。

ガサゴソという音がしばらく聞こえていたが、やがてその音は遠ざかり、辺りには元通りの静けさだけが残された。

そのままの状態で4・5分が経過したかのように感じられた。

「みんなも見たよね?」

衝撃から最初に回復を果たして沈黙を破ったのは、意外にも景子であった。

ふと気付けば、景子が僕の手を握っていた。

「うん、見たよ」そう答えるのが、そのときの僕には精一杯であった。

「あれは何なの?」景子の手に、さらに力が加わったように感じた。

「裸だったぜ」今度は将太が答えた。

「毛むくじゃらに見えた」と僕が感想を口にした。

「私にもそんな風に見えたわ」景子が同意する。

「もしかしてヒバゴンかな?」これは超常現象が好きな光一の台詞。

「怖いわ・・・」奈美が怯えたように両手で顔を覆う。

「戻ってきたらどうしよう」麻衣もやっと話せる状態に回復したようだ。

「そんなこと言うの、やめてくれよ」翔太がマジで肩を竦めた。

「もう帰ろうよ」と景子が立ち上がった。

暖かい温もりを残して、景子の手が離れていった。

僕らはやっとの思いで、猿から人類への進化図の如く数段階のポーズを経ながら、最終的には二足歩行を果たしたのである。


                    12

黒猫荘に帰りつくまでの僕らは、ほとんど無言の道程だった。

理解を超えた出来事に対して、何とかして理解しようと抗っていたのだろう。だけど、誰もがその答えを見付けられないまま、僕らは帰り着いた。

部屋に戻ってからも、僕らの脳裏からあの不思議な映像が消えることはなかった。

押し黙ったままで数時間が過ぎたであろう頃、晩餐の用意が出来たので下りてくるようにと、おばさんが告げに来た。

今日の献立は鍋料理らしい。階下の食堂に下りていくと、またしても見たこともない食材が並んでいた。だがその関心は直ぐに消えて、数刻前に目撃したあの不可思議生物の方に戻るのであった。

僕らの隣にあるテーブル席には、昨日と同じように法宮母子が座っていた。

「ねぇ、あの毛むくじゃらな化け物って、いったい何だったのかしら?」

思い出すだけでも恐怖が蘇るのか、奈美の声は少し震えていた。

僕らは目撃したときにそれぞれが感じた印象を述べ合い、そこから想像される推理を交し合ったのだが、結局は正体不明の化け物という範疇を超えるものではなかった。

「だからさ、あれはやっぱりヒバゴンだったんだよ。数年前の大騒動は皆も聞いたことくらいあるだろう? 運転手の武さんが話していたように、何人もの目撃情報が寄せられて、テレビ局が特番を組んだりするほどの大ブームだったんだぞ」

光一だけは勢い込んで、自論を主張する。

ツチノコ騒ぎを発端として、イッシーやオロチやヒバゴンやらといったUMA達が世間を賑やかせたのは、まだ記憶に残っている。

さらに光一が続ける。

「もしもビデオカメラを持っていたなら、特報番組に投稿できたのになぁ・・・」

本気で悔しがっているのか、テーブルをゴツンと叩いた。

ちょうどその頃は、視聴者から投稿された特技や特ダネを紹介するテレビ番組が人気を博していたのだった。

「そう言われると、ヒバゴン説も何となく納得しちゃうよな」

他に何も思い付かないまま、僕は適当に同調した。

「だろ?」

そう言い放つ光一を見ると、得意満面といった面持ちであった。

その夜の僕らは深夜を越えても興奮が冷めやらず、未明近くに至ってやっとまどろみの中にと落ちて行ったのである。


                    13

そして4日目の水曜日の朝。

僕らは睡眠不足を抱えたままで、残っていた英語と数学の宿題をいくらかでも片付けることに専念することにした。

午前中の課題をそれなりに終えた僕らは、誰からともなく、あの場所に行ってみようという事になった。謎を解明できずにモヤモヤ気分のままで時間を過すことは、想像以上にストレスを感じてしまう気がしたのだ。

記憶を頼りに歩いていくと、20分ほどで見覚えのある場所に着いた。

細い水路を挟んだ向こう側にあるその小高い場所は、昨日見たときと同じくセイタカアワダチソウやイタドリなどが茂っていた。

男子だけなら傾斜と雑草をものともせずに真っ直ぐに登っても良かったのだが、女子をそのような目に遭わせるわけにもいかず、どこか近くに道があるはすだ・・・と皆であちこちと探し廻った結果、坂道を少し登った場所に、あの畑に至るのではないだろうかと思える狭い農道を見付ることができた。

伸び放題の雑草の中を進んで行くと、辛うじて元は畑であったことを示すかのように所々に大根の白い花が咲いていた。その中を更に奥へと進んでいくと、2本のハリエンジュの木の下に辿り着いた。

あのときは、この辺りにアイツが立っていたのだ。

それを証明するかのように、何者かによって雑草が踏み倒されたような形跡があった。その近くには新聞紙半分ほどの大きさをした草の生えていない場所も3ヶ所見付かった。もしかして地面のどこかに足跡が残されていないだろうかと皆で探してみたが、残念ながらそれらしきものを発見することは叶わなかった。

「これだけ探しても、ヒバゴンの証拠となるようなものは見付からないな」

中腰体勢に耐え切れなくなった将太が、諦め顔で言った。

「そうだな。だけど過去の目撃事件のときにも確たる証拠となるものは見付かっていないのだから、そう簡単には見付けられないのだよ」

と僕が答えたとき、

「きゃああっ」

と、麻衣が悲鳴を上げて、僕にしがみ付いてきた。

その理由は直ぐに分かった。深い雑草を掻き分けて、僕らの前に何者かが出現したのだった。

「またしても御免なさい」

現れたのは馨だった。

「この下の道を通り掛ったら上の方から人の声が聞こえたので、一体誰なんだろうと思って・・・。もし驚かせたのなら謝ります」

と、いつかのときと同じようにお辞儀を繰り返す。

「突然現れたので、ちょっとびっくりしただけよ」

奈美が、お辞儀はしなくいいよというジェスチャー付きで、穏やかな口調で言う。

それで安心したのか、馨が奈美に向かって、

「ところで・・・見たことのない生き物を目撃したというのが、この場所だったのな?」

「そうです。足跡でも残っていないかと思って来てみたのだけど、これといって何も発見できませんでした」

「でも、興味ある形跡がちゃんと残っているではありませんか」

ときどきしゃがみこんだりしながら辺りを歩き回っていた馨が立ち止まり、僕らに向かってそう言った。

「えっ、どういうことですか?」

「気付いていないのなら、まぁ良いです」

馨はそれだけを答えると、やって来た草叢の中にと消えて行ったのである。

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