その四
9
昼食をいただきながら、僕達は話し合わずには居られなかった。
「水着を盗んだのは誰なんだろう?」
男子組と女子組が向かい合う配置になっていて、男子組のちょうど真ん中に座っている僕は、議長よろしく疑問を投げかけた。
「正直なところ、私には全然分からないわ」
麻衣がヤマウドの天麩羅を頬張りながら応答した。
「この事件には二つの謎があると思う」
景子の皿からムカゴの素揚げを頂戴しながら、
「もう知っていると思うが、あれから直ぐに叔父さんに確認してもらったのだけど、普段から梯子は鍵の掛かる納屋の中に仕舞われていて、今朝も鍵はちゃんと掛かっていた」
僕は自分の考えを述べた。
「犯人が他所から梯子を運んできたという可能性は考えられない?」
いつもは控えめな景子が、珍しく意見を言う。
「4m以上の長さの梯子を運ぼうとすれば、恐らく自動車が必要になってくると思うが、そこまでして見ず知らずな女子中学生の水着を盗むという行為に、果たしてそれだけの値打ちがあるだろうか?」
これは僕の正直な考えだ。
「犯人が変態なら、その理由は私達の想定を超えているかも」
いかにも腹立たしそうに麻衣が言う。
「変態ねぇ・・・。もしも変態だとしてもだよ、それなら女子の水着の中から麻衣のだけを盗って行ったということに違和感を生じないか? つまりさ、麻衣のは確かに色は派手だけど、デザイン的には奈美ちゃんの水着の方が・・・」
後半部分は、喋りながら「ヤバイことを言っているな」と直感したので、本能的に自粛した。
「アー君の言うことにも一理ある。でもそれなら、もう一度現場検証してみようよ。犯人が梯子を使ったのなら、地面にその跡形が残っているはずだろ?」
光一が助け舟を出してくれた。
その提案を受けて、僕らは食事を終えると外に出た。
「もし梯子を使ったのだとしたら、この辺に立てたはずだよね」
光一が訊いてくる。
「少なくとも、上に屋根がある範囲内に限定して良いのじゃないかな」
皆で腰を屈めて、地面を観察しながら軒下を移動する。
梯子自体の重量に犯人の体重が加算されるのだから、地面にその跡形が残らないはずはない。だがしかし、そのような跡形も、証拠隠滅のために箒で掃いたような形跡も認められなかった。
2階の女子部屋に帰って、僕らは再び推理を戦わせた。
「足跡も梯子を使った形跡もない。これってどういうことだろう」
僕が疑問を投げかける。
「何か他の方法があるんじゃない?」
景子が長い髪を掻きあげながら言う。
「たとえば?」
「私達が寝静まった時刻に、正々堂々とこの部屋の前の廊下を通って行ったとか・・・」
「その目的が麻衣の水着を盗むことなのだとすれば、もし誰かに見付かって警察に突き出されることを考えると、余りにもリスクが大き過ぎないかな」
「同感。俺なら100万円くれると言われても断るぜ」
将太が腹を叩いて断言した。
「あのね・・・、君達・・・」
奈美が突っ込む。
「今思い付いたのだが、あそこにある排水管から入ってきたってのは無理かな?」
僕が訊く。
「あの管を通り抜けるのは、猫でも厳しい気がするが・・・」
どちらかと言えば狸に近い将太が、否定的意見を述べた。
「だからさ、たとえばカネ婆さんの飼っているリスなら、何とか通り抜けられるのではないだろうかと」
「リスか? もし通り抜けることができたとしても、水着まで手が届かないだろう」
竹製の物干し竿は、天井の梁から垂らしてあるロープによって釣り下げられている。つまり、床から物干し竿の間には、登ろうとしても柱に相当するものが存在していない構造なのである。
「リスのジャンプ力ってどれくらいか、光一なら知ってるんじゃ?」
「はっきりとは知らないけど、水着の裾から床までは1m弱はあっただろ? そんなに高く跳べるとは思えないし、もし手が届いたとしてもハンガーから簡単に取り外すことは無理なのでは?」
なるほど、と僕は思わざるを得なかった。
「それ以前に、水着に興味を示して盗んで行くということ自体が有り得ないのでないかな」
と光一が最終否定をした。
「結局のところ、犯人は不明のままか」
腕組みをしながら天を仰いだ将太が、そのままの姿勢で畳の上にゆっくりと倒れた。
10
午前中の予定は数学の宿題をやる予定だったが、誰も捗っていない感じだ。
いつもは勝気な麻衣の元気の無さが、誰の目にも見てとれる。
女の子にとって水着を盗まれるということだけでも辱めを受けたに近い精神的ショックがあるだろうし、明日から自分だけが川遊びに参加できないという無念さもあるに違いないのだろう。
能天気なところが取り柄である将太でさえもが、今回は随分と気にしているらしく、
「今日は気分を変えて山登りでもしようか?」
と、見え見えの提案を僕らに投げかけて来た。
「そうだな。昨日は川だったから、今日は山だ!」
「おおっ、それいいね」
いつもはそういうことに鈍感な光一も、今は情況を分かっているようだ。
雷神山・・・その命名の由来は知らないが、この山はそう呼ばれている。
A村中心部の海抜から比較すると、せいぜい300m程度高いだけの小高い山でしかないのに、多様な化石が出土することと希少植物の植生が多く見られるという点において、その筋のマニアにとってはかなりな有名ポイントであるらしい。
そうと決まれば、勉強に打ち込む意欲も大いに増すってものだ。
予定どおりに本日分の勉強を終えると、僕らは11時過ぎに揃って出発した。
昨日訪れた神社の前を過ぎ、更に村道を10分ほど進むと三叉路に辿り着いた。右手に『登山道入り口』という標識と、ベニヤ板にペンキで描いた登山ルート図が並んで立っていた。
道幅が2mもないと思われる未舗装なその登山道は、ぐるぐると螺旋を描きながら山頂に至るようだ。
「みんな御免ね」
登り始めてしばらく経ったとき、突然に麻衣が小さな声で言った。
何に対しての『御免』なのかは、誰にも即座に理解できた。
「麻衣が謝ることなんて何ひとつないよ」
そう言ったのは景子だ。
「そうだよ。計画ではこの山へ登るのは明日の予定だったけど、少し順番が変わっただけやん」
あの無沈着な将太が、なかなか上手く取り繕う。
「とにかく、今は登山のことだけを考えて楽しくやろうよ」
僕もフォローした。
「うん、皆ありがとうね」
麻衣の声には、いくらかの湿度を伴っているように感じられた。
「さあ、出発進行!」
奈美が大声で合図した。
行程は一時間余りだと健造おじさんから聞かされていたが、想像していた以上に登山道の勾配はきつかった。標高の高い山間部とはいえ、今は夏の真っ盛り。何気なく翔太に目をやると、その額からは汗がだらだらと湧き出していた。
正午過ぎに、やっと山頂に到着した。
登りがきつかったから尚更なのだろう、頂上からの展望はとても素晴らしく、このままいつまでも眺めていたいと思わせるほどに感動的な景色が、眼下に広がっていた。
黒猫荘と、それを取り囲む集落、そして水遊びに興じた渓流、それらが恰も箱庭のようにここから一望できるのだ。
頂上に設置されたベンチに腰掛けて、足元の雄大なるパノラマを眺めながら、おばさんが用意してくれた弁当を広げる。海苔で巻かれたおにぎりが3個と、烏骨鶏の玉子焼きに葉山葵の佃煮が添えられていた。緑色に染められてしまいそうな自然の中での食事は、仲良しグループだけの会食ということもあって、一生忘れられないくらいに楽しい時間を過ごさせてくれた。
腹一杯になった僕らは、お馬鹿ポーズで何枚もの記念撮影をしてから、後ろ髪を引かれる思いを引き摺りながら下山することにした。
雷神山を制覇した満足感と下り坂への気楽さからか、そのときの僕らはいつも以上に饒舌になっていた気がする。
「景子ちゃんは誰が好きなん?」
突拍子も無く将太が訊く。
「いないよ、そんな人」
「俺なんかはどう?」
「そんなジョークはやめてくれないかな」
「くっ、相変わらずきっついな!」
「私はさ・・・デリカシィのない人を絶対に好きになれないと思う」
「うおおおっ ノックアウト負けじゃ」
大袈裟な手振りで、将太が驚いて見せる。
「アー君は、麻衣のことが好きなんでしょ?」
景子がいきなり、この前の光一と同じ質問を振って来た。
どうして麻衣なのだ? 何故そういう質問を今このときにしてくるんだ?
「・・・」
果たしてこの場面でどう答えるのがベストなんだろう? と逡巡していたとき、僕らはあの信じられない出来事に遭遇したのである。