赤い髪留め 1
その日、高志は銀座の取引先で打ち合わせがあり、17時に終わった。取引先から宿題を負わされて、来週早々にも提出しなければ、ならなくなったため、自社に戻って、作業をしようかと思ったが、何かそんな気にはならず、銀座の町を歩いていた。銀座のバーで一杯飲んで、気持ちを落ち着かせようと思っていた。
高志はちょうど一ヶ月前に妻と離婚した。理由は妻の浮気だった。妻の浮気を知ったとき、怒りはしたが、まさか離婚へ発展するかとは思っても見なかった。
「単なる浮気じゃないの。本当に好きになってしまったの、彼を。だから…私と別れてほしいの」
そう言った妻の言葉が今も耳に焼き付いている。
そう簡単にはこちらも承諾できない。妻とは29歳ときに結婚して10年続いた。10年の長い間にいろんな幸せもあったし、苦労もあったし、喧嘩もした。その絆をチャラにして、そんな一言で、こちらは捨てられてたまるか。確かに結婚当初のような甘い恋愛感情は無くなっていたが、10年間の間、少なくとも俺は愛し合って、助け合って生きてきたと思っていた。
離婚するまでは、何回も話し合いを続け、離婚届けを出す結論に達するまでに1年はかかった。
正直、こちらの根気の底が付いてしまった。家でくつろいでいてもその話以外しない、仕事で疲れて帰っても休まる場所が無かった。本来ならば、相手の事情で別れることになったのだから、慰謝料だって請求しても良かった。しかし貯金が無いだろう妻から慰謝料をとっても男としてプライドが立たない気がした。だから、マンションはもともと高志名義だったから、そのまま高志が譲り受けることで慰謝料とすることにした。それは弁護士とも話し合って決めた。幸か不幸か二人の間には子供は居なかったから、離婚への大きな決め事としてはそれだけだった。たった1枚の届出書一つで簡単に、妻とは他人となった。もう二度と会う機会は無いだろう。葬式のときぐらいか。
このまま家に帰っても、結婚していた当初と何ら変わらない、広いマンションの中で一人ぽつんと思いにふけるのも自分の意に介さないことだった。
ことさら寒い風が吹いた。早く暖かいところで休みたい、でも帰りたくも無い。
銀座には詳しくはなかったが、ふと目に留まった小さなビルの7階にあるバーに入った。エレベータを降りて、バーのドアを開けると、一人客であることがすぐに分かったのかカウンターの席に通された。
「ジントニックを…濃い目にお願いできますか」とバーテンダーに注文をした。