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『星と旅人』~時を超え、すべてと共に

作者: 野津敬
掲載日:2026/10/13

挿絵(By みてみん)

「星と旅人」―時を超え、すべてと共に―



あるところに、一人の旅人がいた。

旅人は、一つの問い……

“自分とは何者なのか”を問い続けていた。


自分を照らしていた灯が、ふと消えたあの日から……。


そして

――認められようと、懸命に働いた。

――成功の証として、立派な家を手に入れた。

――自分を理解しようと、多くの知識を身につけた。


だが、何かを手に入れるたびに、心のどこかに新たな渇きが生まれた。

旅人は、漠とした孤独を抱えたまま、長い年月を歩いてきた。


「私は何のために生きているのだろう」

「私には価値があるのだろうか」

「このまま歳を経ていいのだろうか」


思考は揺蕩《たゆた》うように渦を描き、心は重くなった。


---


ある晩、町の喧噪に疲れた旅人は、草原に身を投げ出した。

夜風がそよぎ、草の葉が静かに揺れていた。

そこは丘の上だった。

視界に無数の星々が広がった。それぞれが静かに命を灯していた。

胸が疼き、握り締めた手がかすかに震えた。

旅人は思わず尋ねた。


「星よ、君たちは、なぜ光り続けているのか」

星は答えなかった。ただ静かに光っていた。


旅人は、また尋ねた。

「誰かに認めてもらうため?」

星は答えなかった。ただ光っていた。


「何かを所有したいとは?」

答えはなかった。


「では……未来への不安は?」

答えはなかった。


「自分の存在意義を探したことは?」

やはり、星は答えなかった。


星々は、遥か昔からそうしていたように、ただそこにあった。

静かに美しかった。


いくつかの星が、風のそよぎに応じて、わずかに瞬きを強めたように見えた。

旅人は息を呑んだ。

星は語らないままだった。世界だけがそっと揺らいだ。



やがて、旅人は気がついた。

星は自らを説明していない。

自らを証明していない。

誰かとの比較もしていない。


夜空を満たす、そんな星々……。


旅人は目を見開いた。

星は……

誰も見ていなくても、

褒める者がいなくても、

名を残さなくても、

ただある。 静かに命を灯している。



旅人の胸にひとつの疑問が浮かんだ。

「では、なぜ私は、こんなにも苦しいのか……」

誰にも届くことのなかった胸の疼きが、言葉を紡いだ。


風が吹いた。

草が揺れた。

遠くで虫が鳴いた。

そのすべてが、ひとつの答えのようだった。


私は、この世界に在りながら、この世界には住んでいない。

移ろいゆく価値の世界に住んでいる。

だから……

何者かになろうとする。

意義を証明しようとする。

明日を支配しようとする。

失うことを恐れる。

所有しようとする。


星は……

夜空の一部として輝いている。

自分だけで光っているのではない。

闇と共にあり、

月と共にあり、

風と共にあり、

他の星々と共にあり、

見上げる私と共にある。



旅人は夜空を見つめた。

すると不思議だった。

幼い日の自分も、

夢を追っていた自分も、

失敗した自分も、

傷ついた自分も、

すべて自分は同じ空の下にいた。


あの日の悲しみも、

あの日の喜びも、

もう会えなくなってしまった人たちも、

まだ会っていない人たちも、

みな同じ大きな命の流れの中にいた。



旅人は吐息を漏らした。

星が美しいのは、特別だからではない。

何者かである必要もなく、ただ、そこにあるからだ。

時を超えて、全てと共に……。



旅人は、長い間握り締めていた手を、夜空に向けてそっと開いた。

指の間に夜気が流れ込み、 握りしめていた熱さが静かにほどけていく。

手のひらに、星の光が触れたような錯覚が広がった。


たどり着こうとしていた“何者か”が解けていく。

胸の奥が静かに広がっていく。

成功の喜びよりも深く、

賞賛よりも温かく、

所有するどんなものよりも豊かな広がりだった。


---


その夜、星は最後まで何も語らなかった。

旅人の視界に広がる無数の星々は、ただ静かに命を灯していた。


清涼な風に、かすかに草の香りが混じった。

夜明けの気配……

虫たちは静まり、星々は光を弱め、数を減らしていった。

薄明へ変わっていく空に、鳥の声がひとすじ流れた。


旅人は立ち上がった。

いつしか、星の光は、旅人の胸の奥にも、そっと命を灯していた。



了



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