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第三章第7話 森の目覚め

朝靄の中、莉緒は立ち止まった。胸の奥で、何かが強く脈打つ。

《姫の気配》が、今までにないほど激しく反応していた。まるで、誰かが呼んでいるような——いや、何かが目覚めようとしているような感覚。

「……澪の気配が濃い。あの森の奥から……」

指差した先には、深い緑に包まれた森が広がっていた。地図には「翠の森域かわせみのしんいき」と記されている。かつて、始まりの五王とSたち人間が激突した、伝説の戦場。その名残か、今も魔力濃度が異常に高く、危険な魔物が多く棲みついているという。

フウリが眉をひそめて言った。

「ここは気ぃつけて行くで。魔力が濃すぎて、普通の魔物でも凶暴化しとる可能性ある」

セリアは肩をすくめて、ぶるっと震えた。

「虫だけは勘弁してよ……ゴキヌスの時みたいなのはもう嫌だからね!」

その言葉に、フウリが苦笑しながら背中を叩く。

「大丈夫や。今回は虫やなくて、もっと木っぽいのが出るかもしれん」

「それ、全然安心できないんだけど!」

莉緒は二人のやりとりに微笑みながらも、胸のざわめきが収まらないことに気づいていた。澪の気配は確かにある。けれど、それはただの呼び声ではない。何かが、森の奥で蠢いている。

翠の森域——そこには、物語の核心に触れる何かが眠っている気がした。

「行こう。あの森が、私たちを待ってる」

そう言って、莉緒は一歩、森へと踏み出した。

翠の森域に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

重い。まるで水の中を歩いているような感覚。魔力が濃すぎて、視界が揺れる。木漏れ日すら歪み、光が森に溶けていく。

莉緒は息を呑んだ。木々が、呼吸している——そんな錯覚に囚われる。幹が脈打ち、葉が微かに震えるたび、森全体が生き物のように感じられた。

「……ここ、やっぱり普通やないな」

フウリが低く呟いた。彼の眉間には深い皺が刻まれている。

「魔力が濃いだけやない。何か……不穏なもんが混じっとる。澪の気配も、妙に揺れとるしな」

セリアは肩をすくめ、周囲を警戒するように剣の柄に手を添えた。

「魔物の気配、濃すぎる。何匹いるのか、数えきれないくらい……」

森の奥から、獣の唸りのような音が微かに響いた。風かと思えば、違う。魔力の波が、地面を這うように広がっている。

この場所は、かつて五王と人間の決戦が繰り広げられた地。伝説の戦場。

その激突の余波は、今も森に残っている。魔力の残滓が地に染み込み、木々に宿り、魔物を狂わせる。

莉緒は《姫の気配》の反応を確かめる。澪の気配は確かにある。けれど、それは純粋な呼び声ではない。何かが覆いかぶさり、歪めている。

「……澪が、呼んでる。でも、何かが邪魔してる。森の奥に、何かがいる」

誰も言葉を返さなかった。ただ、森のざわめきが答えるように、枝を揺らした。

翠の森域——それは、ただの森ではない。魔力の海に沈んだ、記憶と怨念の残る場所。

そして今、何かが目覚めようとしている。

森の奥へと進むにつれ、空気はさらに重くなった。魔力の濃度が高まり、木々のざわめきが耳にまとわりつく。

突然、茂みが激しく揺れ、牙を剥いた魔物が飛び出してきた。黒い毛並みの狼型——魔力に侵され、目が赤く濁っている。

「来るっ!」

莉緒が咄嗟に風を巻き起こそうとした瞬間、鋭い音が空を裂いた。

魔物の眉間に、一本の矢が深々と突き刺さる。動きが止まり、地に崩れ落ちた。

「……助かった?」

セリアが呟いた直後、木陰から二人の姿が現れた。

一人は長身で、無駄のない動き。背負った弓は使い込まれており、目は鋭く周囲を見据えている。

もう一人は小柄で、明るい瞳を輝かせながら、魔力のこもった矢筒を抱えていた。

「危なかったねー!あの狼、最近やたら凶暴でさ。森の魔物、みんなピリピリしてるのよ」

快活に笑う少女が、ミリ。魔力矢の使い手で、矢に属性を込める技術を持つ。

隣の青年はルカ。冷静沈着な狙撃の達人で、森の地形を読み切る力に長けている。

「俺たちはこの森の異変を調査してる。魔物の気が立ってるのは、何かが原因だ。……それが何かは、まだ分からないが」

ルカの声は低く、しかし確信に満ちていた。

ミリは莉緒たちを見回し、興味津々に言った。

「君たち、ただの旅人じゃないよね?」

莉緒は頷いた。「この森の中に僕たちの探し物があるはずなんだ。」

ミリは「何それ?この森は上級者でも突然命を落とすくらい危険だから気を付けなよ」

と注意してくれた。

そして、森の奥へと進む一行の前で、突然、空気が変わった。

風が止み、木々のざわめきが消える。静寂が訪れたかと思えば——足元の根が、蠢いた。

「……囲まれた!」

フウリの叫びと同時に、周囲の木々が一斉に動き出す。

幹が裂け、枝が腕のように伸びる。木に擬態していた魔物——ウッドゴーレム。

その数、十を超える。全てがSランク相当の危険度を持ち、森に溶け込むように潜んでいた。

莉緒が風を巻き起こし、セリアが剣を振るうも、擬態の巧妙さと数の多さに苦戦を強いられる。

一体を倒しても、背後から別の個体が襲いかかる。魔力の濃度が高すぎて、索敵もままならない。

「くっ……数が多すぎる!」

その時、ルカが静かに弓を構えた。ミリが矢筒から一本の魔力矢を抜き、兄の手に渡す。

「ルカ、いくよ!《魔力矢陣・全方位散射》!」

ミリが地面に魔法陣を描き、ルカがその中心に立つ。

空気が震え、魔力が収束する。次の瞬間——

空から、無数の光の矢が降り注いだ。

それは雨のように、いや、嵐のように森を覆い尽くす。

矢は一点の狂いもなく、ウッドゴーレムの急所を正確に貫いた。

幹が裂け、枝が砕け、魔物たちは次々に地に崩れ落ちる。

魔力矢は全て、ミリの属性制御とルカの狙撃精度によって導かれていた。

「すっげぇ……あの矢、全部魔力で制御してるんか……」

フウリが目を見開いて呟く。

セリアも思わず息を呑んだ。

「……あれ、私たちがやる前に終わってたよね?」

ミリはにっこりと笑い、矢筒を背負い直す。

「ふふん、森の狩人を舐めちゃダメだよ!」

ルカは無言のまま、弓を収めた。だが、その背中には確かな誇りが宿っていた。

ウッドゴーレムを一掃し、森に静けさが戻った——そのはずだった。

だが、次の瞬間、地面が震えた。遠くから、重低音のような地響きが迫ってくる。

「……来るぞ。でかいのが」

ルカが弓を構え、ミリが矢筒に手を伸ばす。

茂みを薙ぎ倒し、現れたのは、巨大な猪型魔物——ブラッティーオーク。

全身を赤黒い魔力が覆い、目は血のように濁っている。突進の勢いは、森の木々すらなぎ倒すほど。

「Sランク……いや、それ以上や!」

ミリが矢を放つ。ルカも連射で急所を狙うが、矢は皮膚に弾かれ、傷一つつかない。

兄妹の顔に焦りが走る。

「矢が通らない……どうする、ルカ!」

「下がれ、ミリ!」

その時、フウリが前に出て、にやりと笑った。

「安心してええで。俺らも強いからな」

莉緒が両手を広げ、風を集める。魔力が渦を巻き、空気が震える。

「《風神の壁》!」

突進してきたブラッティーオークの前に、透明な壁が立ち上がる。

風の壁は衝撃を吸収し、魔物の勢いを殺す。地面が抉れ、木々が揺れるが、突進は止まった。

「今!」

セリアが跳躍する。風を足場にし、空中で一回転。

剣に魔力を纏わせ、静かに呟いた。

「《剣の極み・断》」

一閃。

剣が軌跡を描いた瞬間、ブラッティーオークの首が飛んだ。

巨体が地に崩れ、森が再び静寂に包まれる。

「えっ……今の、軽く切っただけじゃ……?」

ミリが目を丸くする。

ルカは沈黙のまま、莉緒たちを見つめた。

「……こいつら、ただものじゃない」

フウリは肩をすくめて笑う。

「せやろ?俺ら、五王の残党やからな。ちょっとやそっとじゃ負けへんで」

ミリは目を輝かせ、セリアに駆け寄る。

「ねえ、今の技、どうやってるの!?風に乗って跳ぶなんて、かっこよすぎ!」

「……まあ、ちょっと練習しただけ」

セリアは照れくさそうに笑いながら、剣を収めた。

この森の奥には、まだ何かが眠っている気がする。

ブラッティーオークが地に沈んだあとも、森の空気は沈黙を保っていた。

風は止み、木々は揺れず、まるで森そのものが息を潜めているようだった。

ミリが矢筒を背負い直しながら、ぽつりと呟く。

「最近、森の魔物がみんな攻撃的になってる。前はこんなに襲ってこなかったのに……」

ルカも頷く。彼の視線は森の奥へと向けられていた。

「魔力濃度が、日に日に上がってる。自然の流れじゃない。何かが、意図的に魔力を引き寄せてるような……」

「その通り。この森には、何かが目覚めようとしている。俺たちはそれを止めるために調査してる。だけど、まだ手がかりはない」

ミリは莉緒たちを見て、少し真剣な表情になった。

「ねえ、君たちと一緒に行ってもいい?この森の奥、私たちだけじゃ危ないかもしれないし……それに、君たちとなら、何か見つけられる気がする」

セリアが笑って返す。

「もちろん。虫が出たら、先に矢で撃ってくれると助かるけどね」

フウリはルカに向かって手を差し出す。

「ええ腕やったな。これからも頼りにしてるで」

ルカは無言でその手を握り返した。短い言葉よりも、確かな信頼がそこにあった。

こうして、狩人兄妹ルカ&ミリは莉緒たちと共に、森の深層へと向かうことになった。

森の奥に潜むもの——それが何であれ、彼らは共に立ち向かう。

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