第三章第4話 沈黙の都
莉緒は静かに目を閉じ、スキル《姫の気配》を発動した。
澪の存在を追うこの旅も、次なる手がかりを求めていた。
空気が震えるような感覚の中、彼女の意識は水の底へと引き込まれていく。
「……深海の都。そこに、澪の気配がある」
その言葉に、フウリがぱっと顔を輝かせた。
「深海の都って、竜宮城みたいな場所なんやで! 魚が泳いでて、建物が光ってて、めっちゃ綺麗なんやって!」
セリアも目を丸くして頷く。
「海の中に空気があるって、どういうことなんだろ。魔法の結界とかかな? 楽しみすぎる!」
三人の足取りは軽く、心はすでに海の底へと向かっていた。
澪の気配は微かで、まるで水面に浮かぶ泡のように儚い。
けれど、その泡が導く先には、きっと彼女の想いが残っている。
「行こう。澪が待ってるかもしれない」
莉緒の声に、二人は力強く頷いた。
幻想と現実が交差する深海の都へ――三人の旅は、次なる章へと進み出す。
三人は、海辺の祈祷所から魔法の潜水装置を受け取り、海底への旅路に備えた。
装置は水の膜を纏うように身体を包み、呼吸を保ちつつ、海流の抵抗を和らげる。
さらに、神殿から貸し出された水中馬車――水の精霊が牽く透明な乗り物に乗り込み、海の底へと滑り降りていく。
水面を割った瞬間、世界は一変した。
光が屈折し、青と緑のグラデーションが揺らめく。
魚たちが群れを成して馬車の周囲を泳ぎ、珊瑚の花が咲き乱れる海底の庭園が広がっていた。
「うわぁ……ほんまにきれいやな……夢のようや」
フウリが目を輝かせる。彼女の髪が水に揺れ、まるで人魚のようだった。
都の入り口が見えてきた。
珊瑚で編まれた塔が幾重にも連なり、建物の壁には貝殻の装飾が施されている。
光る魚が街灯のように漂い、海流に合わせて建築物が微かに揺れていた。
その様子は、まるで海そのものが呼吸しているかのようだった。
セリアが不思議そうに呟く。
「でも、どうして海の中なのに息ができるんだろう……?」
フウリが答える。
「この都は、古代の巫女が張った結界によって守られてるんや。空気の膜が街全体を覆っていて、水を遮断してる。だから、私たちもこうして普通に話せるんやで」
「なるほどね……魔法ってすごいホントすごい!」莉緒は感心した。
フウリは馬車の窓から身を乗り出し、遠くの塔を指差した。
「うち、ここ住みたいかも……毎日魚と一緒に暮らせるなんて、最高やん!」
三人の笑い声が水中に広がる。
幻想的な世界に包まれながら、彼女たちは澪の気配を追って入り口を進み、静かに都の中心へと向かっていった。
都の結界をくぐった瞬間、空気が変わった。
さっきまで賑やかに泳いでいた魚たちは、まるで何かを避けるように姿を消し、街の中は不自然なほど静まり返っていた。
「……あれ? 誰もいない……?」
フウリが首を傾げる。
街の入り口に並ぶ商店はすべて閉ざされ、看板は色褪せ、棚には商品らしきものも残っていない。
珊瑚の装飾が施された祭壇は埃をかぶり、祈りの灯火も消えていた。
セリアが眉をひそめる。
「聞いてた話と違う……華やかさなんて、どこにもない。まるで、時間が止まってるみたい」
莉緒は静かに目を閉じ、再び《姫の気配》を探る。
澪の存在は、確かにこの都の奥に残っていた。けれど、それはどこか痛みを孕んだ気配だった。
「澪の気配は、まだこの都の奥にある。……でも、何かが起きてる。ここは、ただ静かなだけじゃない」
風も音もない。
水の揺らぎすら、都の中ではまるで封じられているかのようだった。
三人は言葉少なに、都の中心へと歩を進める。
その足音だけが、空気の膜に反響して、静寂の中に微かな存在を刻んでいた。
都の最奥、珊瑚の柱が並ぶ神殿の中央に、ひとりの少女が膝をついて祈っていた。
白い衣を纏い、長い銀髪が水に揺れている。
その姿は、まるで海そのものが人の形を取ったような静けさを纏っていた。
「……誰か、いる」
莉緒が足を止める。
少女は振り返らない。ただ、祈りを続けている。
だがその瞬間、澪の気配が強く脈打った。まるで、彼女の存在が呼応しているかのように。
「あなた……姫を知ってるの?」
莉緒が問いかける。
少女は答えない。けれど、頬を一筋の涙が伝った。
「泣いてる……なんで……?」
フウリがそっと呟く。
その瞬間、空気が震えた。
ミナの魔力が莉緒に触れ、二人の心が重なった。
視界が揺れ、莉緒の意識に、かつての都の記憶が流れ込んでくる。
――笑顔があふれていた。
魚と踊る子どもたち、珊瑚の街路で語り合う人々。
水の都は、確かに生きていた。澪もそこにいた。ミナと並んで、祈りを捧げていた。
だが、空が裂けるような叫びとともに、すべてが崩れた。
Sランク危険種・スパイダージョズの大群が、都を襲ったのだ。
鋭い脚で建物を貫き、毒の霧で空気を濁し、人々は逃げ惑い、次々と命を落としていった。
ミナは、ただ祈るしかなかった。
澪は、最後まで人々を守ろうとし、そして姿を消した。
莉緒の胸に、重い痛みが走る。
ミナの魔力が暴風雨のように広がり、神殿の空気が悲しみに染まる。
水が震え、結界が軋むほどの感情の奔流。
《共鳴の涙》――ミナのスキルが発動した。
言葉ではなく、涙と記憶で語られる真実。
澪は確かにこの都にいた。そして、何かをミナに託した。
ミナは静かに立ち上がり、莉緒の手に小さな欠片を握らせる。
それは、水の鍵の一部だった。
莉緒はそっと頷いた。
「ありがとう。澪の想い、受け取ったよ。一緒にこの都を復興しよう!」
ミナはただただ泣き、ありがとうと感謝した。その背に、都のすべての悲しみと希望が宿っているようだった。




