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第一章第2話 不思議な友達

講堂よりもさらに広大な空間——それは「学博記念堂」と呼ばれていた。

天井は高く、荘厳なアーチが幾重にも連なり、壁には歴代の校長たちの肖像画が静かに見下ろしている。

新入生たちは、緊張と期待を胸に、整然と並べられた椅子に腰を下ろしていた。

壇上には、金色の縁取りが施された紺の幕が垂れ、中央には学博社学園の校章が燦然と輝いている。その前に立つ司会者が、静かにマイクを握った。

「それでは——第百六十二回、学博社学園入学式を執り行います。」

その声と同時に、記念堂の空気が一段と引き締まる。

来賓席には、テレビで見たことのあるニュースキャスター、政界の重鎮、革新的な起業家たちが並んでいた。

彼らの姿は、まるでこの学園が社会の最前線と直結していることを示す証のようだった。

そして、壇上にゆっくりと現れたのは——大河内公望校長。

ひげを蓄え、眼鏡をかけ、髪は見事なオールバック。

その佇まいは、まるで時代の重みを背負った学者のようであり、同時に戦略家のような鋭さをも感じさせた。

校長は、マイクの前に立ち、しばし沈黙した。

その沈黙が、記念堂全体に緊張と期待を満たしていく。

そして、野太く、ゆっくりとした声が響いた。

「新入生諸君——入学、おめでとう。」

その声は、言葉の一つひとつが、空間を震わせ、心の奥に染み込んでくるような、不思議な力を持った声だった。

「諸君の入学を、学博社学園は心より歓迎します。

諸君がこの学び舎に足を踏み入れることができたのは、日々のたゆまぬ努力の賜物であり、

その努力を支えてくださった保護者の皆様の存在を、どうか忘れないでほしい。」

校長の言葉に、来賓席の一部が静かに頷いた。

その姿が、言葉の重みをさらに際立たせる。

「この学園は、長きにわたり、博学尊重の精神を礎としてきました。

与えられる学びではなく、自ら課題を発見し、探求し、解決する。

それこそが、真の学びであると、我々は信じています。」

校長は、壇上をゆっくりと歩きながら、言葉を続けた。

「諸君には、受動的な学びではなく、能動的な学びを求めます。

自分の核——何を大切にし、何を信じるか。

それを見つけ、それを第一に、今自分が何をすべきかを考え、努力できる人間であってほしい。」

記念堂の空気が、さらに張り詰める。

新入生たちは、まるでその言葉に試されているかのように、背筋を伸ばしていた。

「そして、そのために必要なのは——人間力であり、行動力である。知識を蓄えるだけではなく、それを活かし、社会に働きかける力。学ぶということに、博識な人間となること。

それが、学博社学園の理念であり、諸君に託す使命なのです。」

校長は、最後に一歩前へ出て、静かに言った。

「風を読む力を持ちなさい。風は、時代の流れであり、他者の気配であり、自分の内なる声でもある。その風を感じ、読み、進むべき道を選び取る者こそが、真の学び手である。」

その瞬間、記念堂の天井に吊るされたシャンデリアが、わずかに揺れた。

誰かが窓を開けたのか、それとも——風が、入ってきたのか。

「諸君のこの学園での学びがその先の道においてよりよいものになるよう、我々教職員一同全力でサポートをさせて頂きます。改めて、新入生諸君。今日から始まる日々が、諸君の人生の礎となることを願って——私の祝辞とさせて頂きます。ようこそ、学博社学園へ。」

拍手が、静かに、しかし確かに広がっていった。

その音は、ただの祝福ではなく——新たな旅の始まりを告げる鐘のようだった。

校長の言葉が静かに締めくくられると、記念堂の空気が一瞬止まったように感じられた。

そして次の瞬間——大きな拍手と歓声が、波のように広がった。

それは、ただの儀礼的な拍手ではなかった。

新たな門出を祝う、心からの喝采。

記念堂の天井に反響し、壁に飾られた肖像画たちも、どこか誇らしげに見えた。

壇上では、司会者が再びマイクを握り、静かに告げた。

「続きまして——新入生代表による宣誓です。」

ざわめきが一瞬走る。

壇上に向かって歩み出たのは、見覚えのある人だった。それは澪だった。

黒髪をきちんとまとめ、制服の襟元まで整えられたその姿は、凛としていて、どこか神秘的な雰囲気をまとっていた。

彼女が壇上に立つと、記念堂の空気が再び静まり返った。

澪は、マイクの前に立ち、深く一礼した。

そして、ゆっくりと顔を上げる。

「新入生代表、宣誓——」

その声は、澄んでいて、芯があり、どこか風のようだった。

静かに、しかし確かに、記念堂の隅々まで届いていく。

「私たち新入生一同は、学博社学園の理念を胸に刻み、自ら課題を見つけ、探求し、解決する学びを志します。博学尊重の精神を大切にし、知識を深めるだけでなく、人間力と行動力を養い、社会に貢献できる人間を目指します。」

澪の言葉は、不思議な程よく通り、いつまでも聞いていたいようなものだった。

それは一語一語が丁寧に紡がれ、聴く者の心に静かに染み込んでいく。

「風を読む力を持ち、時代の流れを感じ、自分の核を見つけ、それを信じて歩みを止めず学博社学園の一員として、誇りを持って学び、成長していくことを誓います」

宣誓が終わると、澪は再び深く一礼した。

その姿に、記念堂全体から再び拍手が湧き上がる。

今度は、静かで、深い拍手だった。

まるで、彼女の言葉に敬意を表するような——そんな音だった。

澪は、静かに壇上を降りた。

その背中には、どこか風をまとっているような気配があった。

そして、次の演目が始まる。

「続きまして——吹奏楽部による歓迎演奏です。曲は、Ⅾ.ショスタコーヴィチ作曲の

『祝典序曲』です。」

司会者の言葉とともに、壇上の一角に整列していた吹奏楽部のメンバーたちが、楽器を構える。トランペット、クラリネット、ホルン、パーカッション——

それぞれが、緊張と誇りを胸に、音の準備を整えていた。

指揮者が指揮棒を掲げる。

一瞬の静寂——そして、音が放たれた。

「祝典序曲」は、まさにこの場にふさわしい楽曲だった。

力強く、華やかで、希望に満ちた旋律が、記念堂を満たしていく。

金管の輝きが、未来への扉を開くように響き、

木管の柔らかな音色が、新入生たちの心を包み込む。

打楽器のリズムが、歩みの力強さを刻み、

全体が一つの大きな流れとなって、空間を揺らしていく。

その音楽の中で、澪は静かに目を閉じていた。まるで、音の中に風を感じているようだった。僕は、隣に座る澪の横顔を見ながら、この学園で始まる日々が、たくさんの挑戦に満ちたきっと素晴らしいものになる漠然とした未来への希望に満ちていた。

演奏が終わると、再び拍手が広がった。

それは、入学式の締めくくりにふさわしい、晴れやかな音だった。

吹奏楽部のメンバーたちは静かに楽器を下ろし、指揮者が一礼すると、記念堂全体が温かな拍手に包まれた。

そして、記念堂の扉が静かに開かれ外の光が差し込み、春の風がそっと流れ込む。

新入生たちは、これから始まる日々へと、一歩を踏み出していく。

その背中に、風がそっと吹いていた。

まるで、未来への道を祝福するかのように。

そのとき、壇上の司会者がマイクを通して、静かに告げた。

「これをもちまして——第162回、学博社学園高校入学式を終了いたします。」

その言葉が、記念堂の空気に静かに染み渡った。

拍手は次第に収まり、誰もがその余韻を胸に抱きながら、立ち上がっていく。

春の風が吹き抜ける渡り廊下を歩きながら、僕は澪の背中を目で追っていた。

彼女は、相変わらず静かだった。

けれど、その歩みには、どこか確信めいたものがあった。

教室に入ると、すでに席が決められていた。

僕の席は窓際の後ろから二番目。

そして、隣には——澪がいた。

「……また隣だね」

僕がそう言うと、澪は少しだけ目を細めて、うなずいた。

それは、笑ったのか、肯定したのか、よくわからない表情だった。

教室の前方に立っていたのは、担任の林元也先生。

国語科の教師で、年齢は三十歳くらいだろうか。

長身で、眼鏡をかけていて、スーツの着こなしはどこかラフだった。

第一印象は——つかみどころがない、という言葉がぴったりだった。

「はい、じゃあ、みんな座ってー。……あ、もう座ってるね。えらいえらい」

そう言って、先生は教卓の前に立ち、手元の出席簿をぱらぱらとめくった。

声のトーンは軽いが、どこか芯がある。

冗談のようでいて、言葉の選び方が妙に丁寧だった。

「えー、今日からみんなは“学博社学園高校”の一員です。

入学式、どうだった? 記念堂、でかかったでしょ。あれ、僕も最初大きすぎてびびったもん」

教室に、くすくすと笑いが広がる。

先生は、笑いを受け止めながら、黒板にチョークで「はやし 元也もとや」と書いた。

「僕が担任の林です。国語科です。好きな言葉は“余白”。何をするにも自由な空間と解釈してください。余白に何を書くか。人それぞれ違う。それぞれのデザインを余白では見ることができます。また、心の余裕にもつながる余白は人生において大切だと思います。皆さんもこれをきっかけに余白を楽しんでください。

反対に、嫌いな言葉は“正解”。答えは一つではなく、多様性に満ちたものであるべきです。だから、一つの正解というのがあまり好きではありません……まあ、そんな感じで、よろしくね」

その言葉に、僕は少しだけ背筋が伸びた。

“余白”と“正解”。

それは、何かを問いかけるような言葉だった。

「さてさて、オリエンテーションって言っても、今日はそんなに堅苦しいことはしません。

校内の案内と、クラスのルール、あとちょっとだけ自己紹介。」

教室がざわついた。林先生は、楽しそうにその反応を眺めていた。

その後、自己紹介などオリエンテーションはゆるやかに進んでいった。個性的な自己紹介をする人、静かな人、クールな人、ロックな人いろいろだった。ちなみに僕はウケ狙いで行ったけど失敗した。そして、校内案内のプリントが配られ、クラスの係決めが始まり、

林先生の脱線話がところどころに挟まった。

「ちなみに、校舎の西側には“風の庭”っていう場所があるんだけど、

あそこは、行ったら分かるけど他とちょっと雰囲気が違う場所だから、気になる人はぜひ行ってみて。」

その言葉に、澪がまた、少しだけ反応した。彼女の指先が、机の端をなぞるように動いた。

僕は、その仕草を見ながら、この人何してるんだろうと考えていた。すると、彼女と目があったのでドキッとして視線を逸らした。澪がニヤッと笑っているのが分かった。僕もニヤッと笑っていたら「こら、大事な話をしているんだから真面目に聞きなさい」と注意されてしまった。そして、林先生が最後に言った。

「じゃあ、今日はこのへんで。これから、少しずつ“自分の風”を探していこう。

それが、この学園での第一歩だからね」

教室の窓の外では、春の風が静かに木々を揺らしていた。

オリエンテーションが終わり、教室を出ると、廊下には春の光が差し込んでいた。

窓の外では、桜の花びらが風に乗って舞っている。

僕は鞄を肩にかけながら、前を歩く澪に声をかけた。

「林先生、面白い人だったね」

澪は振り返って笑いながら言った。

「私は、入学初日に集中しなさいって最速で注意された隣の男の子のほうが面白かったよ」

「それは、澪が机の端をなぞったり変なことしてるから気になって…」

「えー、私のことすっごい見てくるじゃん。なに?好きなの?」

僕は恥ずかしくなって顔を赤くしてしまった。

「違うし!そんなんじゃないし、ただ、隣でごそごそしいてたら何してるのかきになる

でしょ!それでみてただけだし!」

「はいはい、分かってるってー、そんな必死に弁解しなくていいよー」

そう言ってけらけら笑う彼女に僕は「もう!」と口を膨らませた。

「ホント、莉緒君っておもしろいね。」そう言って笑う彼女はとても可愛かった。

「ねぇ莉緒君、君の家ってどの辺にあるの?」

「莉緒でいいよ。家は中央の森を抜けて15分くらい郵便局の方にあるいた辺り」

「そうなんだー、私の家はその中央の森の中にあるの!結構近いしさ、よかったら一緒に帰らない?」僕はドキッとした。女の子から一緒に帰ろうと誘われたのなんて、小学生以来

だった。

「うん!いいよ!」そう返したとき澪は笑みを浮かべ、「ありがとう!莉緒。これからよろしく!」そう言って二人の関係は始まった。

そのあと、新入生代表の宣誓がすごかったとか、林先生がおもしろかったとか、たわいもない話をして二人で歩いた。そしてあっという間に中央の森の前についた。

「じゃあ、また明日」

澪はそう言って、静かに歩き出した。

その背中に、春の風がそっと寄り添っていた。

僕はその姿を見送り、帰路についた

夕方、制服のままリビングに入ると、母がキッチンで夕飯の支度をしていた。

窓の外では風が木々を揺らし、カーテンがふわりと膨らんでいる。

「おかえり。入学式、どうだった?」

母の声に、僕は少しだけ間を置いて答える。

「……うん。まあ、普通。校舎は豪華ですごかったけど」

「すごかった?」

「なんか、空気が違うっていうか……風がよく通るんだよ。風を大切にしている?学校だった。校長先生も風を読めるようになりなさいって言ってて物理的にも考え方的にも」

母は手を止めて、僕の顔を見た。「風の話? 校長先生が?」

「そうそう。風を読み、自分の進むべき道を選択できることが大切って言ってた。」

言いながら、自分でもその言葉が頭に残っていることに気づく。

そのとき、妹が階段を駆け下りてきた。

「お兄ちゃん、高校どうだった? なんか変わった?」

僕は少しだけ得意げに笑った。

「高校生はいいぞ。自由だし、校舎も広いし……あと、風が大事なんだよ。」

「風? なにそれ?」

妹が眉をひそめて、ソファの背にもたれながら僕を見た。

「風は風だよ。こう、ビューって吹くんだよ。廊下とか教室とか、全部が風に開かれてる感じでさ。渚にはまだ早いかー」

「は? 風が開かれてるって何? 意味わかんないんだけど」

「ふっ妹よ。君はまだまだ分かってないね。風を読むことのできる人間が自分のやることを選択することで人生が豊かになるのさ。」

「うわ……なんか急に語り出しててキモいんだけど」

「お前にはまだこの深さがわかんないか〜。まあ、中学生だもんな。風の哲学は高校生からだよ」

「わけわかんない。ウザ」

妹はそう言いながら、クッションを僕に投げてきた。

僕はそれを軽く受け止めて、笑った。

「そのうちわかるって。風が通るってことの意味をな」

「もういいって。夕飯まだ?」

母は笑いながら、鍋の蓋を開けた。

「でも、風って、船乗りの中で昔から“変化”の象徴だったりするわよね。追い風とか向かい風とか校長先生もそういう話をしたかったのかもしれないわね」

僕は窓の外を見た。夕暮れの空に、風がゆっくりと流れている。

澪の言葉と、校長の言葉が、頭の中で重なっていく。風は、ただの空気の流れじゃない。

何かを越えて、何かを知らせるものかもしれない。その“何か”を、僕はまだ知らない。

翌日、さっそく授業が始まった。最初の授業は、現代文だった。

教室の窓からは、春の風が静かに入り込んでいた。

澪は僕の斜め前の席に座っていて、ノートに細かく文字を綴っていた。

先生は、村上春樹の短編を取り上げていた。

「言葉の余白」について話しながら、登場人物の沈黙に意味があると語っていた。

僕はふと、澪の横顔を見た。

彼女は、先生の言葉に反応するように、ペンを止めて少しだけ首を傾けた。

授業の終わりに、先生が問いかけた。

「この作品の“風”は、何を象徴していると思いますか?」

教室が静まり返る。誰も手を挙げない。

すると、澪がゆっくりと手を挙げた。

「……風は、境界だと思います。登場人物が越えられないもの、でも、風だけは越えていく。

だから、風が吹くとき、物語は少しだけ動く気がします」

先生は目を細めてうなずいた。

「いい視点ですね。“風が物語を動かす”……それは、文学の核心かもしれません」

僕はその言葉に、昨日の澪との会話を思い出していた。

風が通る場所には意味がある——彼女は、あのときも同じことを言っていた。

休み時間、僕は澪に声をかけた。

「さっきの、すごかったね。風が境界って……そんな解釈僕は思いつかなかったよ」

澪はドヤ顔で微笑んだ。

「でしょ?分かってしまうかーこのすごさ。もっと褒めてくれてもいいんだよ!」

「だいぶウザって思ってしまった。」

「ふふ、ごめんじゃん。褒めてくれてありがとう。」

その屈託のない笑顔に思わず僕も笑顔になった。

「澪ってこういう文章を読むときに何考えて読んでるの?」

ふとした疑問に、澪は少し悩みながらも答えてくれた。

どうって説明するのは難しいんだけど、例えばさっきの村上春樹の短編を読んでて思ったんだけど誰かの言葉が、自分の中に残って、何かを動かす。それって、風みたいじゃない?」

僕はうなずいた。

「そしてそのイメージから何を意図しているのか、何ができるのかを考えるのよ。イメージできることは実現できる」

ちょっとよくわかんなかったけど澪の言葉は、芯がある。

彼女の中で何かぶれないものを持って話していることが伝わってきた。

そして、僕の中にも何かを残していく。チャイムが鳴り、次の授業が始まる。

僕たちは席に戻りながら、ほんの少しだけ、目を合わせた。

その視線の中に、風が通った気がした。

教室を出ると、廊下に夕方の光が差し込んでいた。

窓の外では風が桜の枝を揺らしている。

澪は僕の隣を歩いていて、鞄を肩にかけながら静かに前を見ていた。

「ねえ、澪ってさ、いつも何考えてるの?」

僕の言葉に、澪は少しだけ足を止めた。

驚いたような顔をして、それからふっと笑った。

「急にどうしたの?」

「いや、授業のときもそうだけど、澪っていつも何考えてるか分かんない感じするから。

イメージの実現とか……僕、よくわかってないし」

澪は窓の方を見た。

風が彼女の髪を揺らす。

「……考えてるっていうより、感じてるだけかも。

風が吹いたとき、何かが動く気がする。

それが何なのかは、まだ言葉にできないけど」

「感じる、か。俺はいつも、考えすぎて言葉が重くなるタイプかも」

「でも、考えることも大事だよ。言葉って、感じたことを形にするための道具だから」

僕はその言葉に、少しだけ黙った。

澪の言葉は、いつも静かで、でも芯がある。

「じゃあ、澪は言葉を探してるの?」

「うん。風の中にある言葉を、拾ってる感じ。それが詩になることもあるし、ただの沈黙になることもあるんだよ」

「沈黙も、言葉なんだ?」

「ときどきね。誰かと沈黙を共有できるって、すごく特別なことだと思う」

僕はうなずいた。

澪との会話は、言葉の奥にあるものを見つめる時間のようだった。

「……俺も、そういうの拾えるようになりたいな。風の中の言葉とか、沈黙の意味とか」

澪は少しだけ笑った。

「もう拾えてるかもよ。」そう言って彼女はにやっと笑った。

「莉緒は莉緒だから。莉緒は十分おもしろいし、魅力的だよ」

「何それー?」と渡って返した僕だったけどその言葉に、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

家に帰ると、テレビのニュースが流れていた。

食卓の上には母が用意してくれた夕飯が並んでいる。

妹はスマホをいじりながら、ソファに寝転んでいた。

「……台風?」

僕は画面に目を向けた。

気象キャスターが、地図の上に描かれた渦を指していた。

「本日午後、南海上で突然発生した台風1号は、異例の進路で北上中です。

この時期としては非常に珍しく、春の台風としては過去に例がない規模です」

画面には、進路予測の赤い線が描かれていた。

その線は、まっすぐにこの地域を貫いていた。

「……直撃じゃん」僕は思わずつぶやいた。

春に台風なんて、すごく珍しいな。しかも、こんな急に生まれて、こんなに強いなんて。

そのとき、ポケットのスマホが震えた。

画面を見ると、澪からLINEが届いていた。

「ニュース、見た? この台風、普通じゃない何か嫌な気がする」

短い文だった。でも、その言葉には、何かが込められている気がした。

僕はすぐに返信しようとして、指を止めた。

澪は、風の匂いで台風の予兆を感じていた。

もしかして——この台風は、ただの気象現象じゃない。

風が騒ぎ始めたのは、何かが動き出したからかもしれない。

窓の外を見ると、風が強くなっていた。

まだ雨は降っていない。でも、空気がざわついている。風が通る場所には意味がある。

その意味が、今まさに形を変えようとしている。僕はスマホを握りしめた。

澪の言葉が、胸の奥で静かに響いていた。


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