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第三章第2話 いざ焔の谷へ

澪の気配が、焔の谷方面に強く反応している――。

莉緒は地図を広げ、指先でその場所をなぞった。「この先に……澪がいるかもしれない」

その言葉に、セリアとフウリが顔を見合わせる。

「焔の谷って、温泉地で有名よね。昔、王都の貴族たちが保養に使ってたって聞いたことあるわ」

セリアが目を細めると、フウリがぱっと笑顔を咲かせた。

「絶景とグルメの宝庫やで!うち、楽しみすぎて荷物におやつ詰めすぎたわ!見てこれ、干し芋、温泉まんじゅう、あと……」

背負い袋から次々と食べ物を取り出すフウリに、莉緒は苦笑しながらも心が和むのを感じていた。

「莉緒も澪のことは心配なのは分かるけど……旅は旅や。せっかくやし、楽しんでいこ!」

フウリの言葉に、セリアも頷く。「そうね。澪に会うためにも、まずは焔の谷を目指しましょう」

三人は、朝焼けに染まる山道を歩き出した。

目的地は、焔の谷――かつて賑わいを見せた温泉地。

期待と少しの不安を胸に、彼女たちは軽やかに歩みを進めた。

焔の谷に足を踏み入れた瞬間、三人は言葉を失った。

かつて温泉の湯気が立ち上り、観光客の笑い声が響いていたはずの谷は、今や灰色の沈黙に包まれていた。

空は鈍色に曇り、火山灰が風に乗って舞っている。

岩肌はひび割れ、温泉街の建物は軒並み崩れかけ、湯の気配はどこにもない。

地面に残る足跡も、数日前のものが風に消されかけていた。

「……おかしい」

フウリがぽつりと呟いた。「いつもは湯気が立って、観光客でにぎわってるはずやのに。うち、前に来たときなんて、露天風呂から虹が見えたんやで?それが……こんな……」

フウリの声は、灰の舞う空気に吸い込まれていった。

莉緒は周囲を見渡しながら、眉をひそめる。「温泉が干上がってる……地熱が止まったのか、それとも……」

セリアが足元の岩を蹴りながら言った。「温泉街がこんなに静かなんて、何かが起きてる。自然災害だけじゃない、もっと根深い異変を感じるわ」

谷の奥から、時折、地鳴りのような音が響いてくる。

それは火山の鼓動なのか、あるいは何かが蠢いている音なのか――判別できない。

「澪の気配は、まだこの先にある。強くなってる」

莉緒の声は静かだが、確信に満ちていた。

三人は互いに目を合わせ、無言のまま頷いた。

焔の谷は、ただの温泉地ではなくなっていた。

何かが、ここで目を覚ましている――そんな予感が、彼女たちの背筋を冷たく撫でていった。

焔の谷の奥へと進んだ三人は、火山のふもとで異様な光景に出くわした。

岩場の陰に、数人の男たちが身を潜め、地面に設置された魔力探知機を操作している。

その中心に立つ男は、無骨な鎧に身を包み、鋭い眼光で周囲を見張っていた。

「……誰だ」

低く、よく通る声が莉緒たちを制した。

男は剣の柄に手をかけたまま、警戒を崩さない。

「私たちは旅の途中で、焔の谷に異変を感じて来ました」

莉緒が一歩前に出て、落ち着いた声で答える。

男はしばらく沈黙し、やがて剣から手を離した。「……そうか。俺はレイ。傭兵団《灰鷲》の隊長だ。最近、この谷の火山活動が異常に活性化してる。温泉も枯れ、モンスターの出現率が跳ね上がった。調査に来たが、状況は予想以上だ」

「モンスターの出現率が跳ね上がったって……どれくらい?」

セリアが問うと、レイは険しい顔で答えた。

「通常なら、マグサテスが数匹現れる程度だが、今は十数体が群れで動いている。しかも、谷の奥から未知の魔力反応もある。素人が来る場所じゃない」

その言葉に、フウリがむっとした顔で前に出る。「素人ちゃうで。うちら、ゴキヌス倒してきたんや。これ以上の実績が必要か?」

レイの眉がぴくりと動いた。「始まりの五王の一人……ゴキヌスを?」

莉緒は静かに魔力を解放し、周囲の空気が一瞬震えた。

セリアは剣を抜き、刃先に風が纏う。「私たち、ただの旅人じゃない。澪という姫を探してる。その気配が、この谷の奥にあるの」

レイは目を細め、しばらく三人を見つめていた。

やがて、肩の力を抜き、口元にわずかな笑みを浮かべた。

「……なるほど。なら、協力してもらえると助かる。俺たちも人手が欲しかったところだ」

夜の焔の谷は、静寂に包まれていた。

岩場の陰に設営された簡易テントの中で、レイたち傭兵団と莉緒たちは交代で見張りを立てながら休息を取っていた。

空には星も見えず、火山灰が薄く降り積もっている。

その静けさを、突如として破る音があった。

「……ジュルル……」

地面の奥から、粘性のある液体が蠢くような音。

次の瞬間、岩の隙間から、赤黒いスライム状の生物が這い出てきた。

「マグサテス……!」

レイが即座に剣を抜き、叫んだ。「Aランクオーバーだ。寝てる間に焼かれて吸収されることもある。油断するな!」

その声に反応するように、周囲の岩場から次々と同じスライムが現れる。

小さな体に見合わぬ殺意を纏い、口のような裂け目からマグマを吐き出す。

地面がジュウッと音を立てて溶け、熱気が一気に立ち込めた。

「……数が多すぎる」

セリアが剣を構えながら呟く。

通常なら数匹しか現れないはずのマグサテスが、十数体、群れを成して迫ってくる。

「これは……異常だ。何かが呼び寄せてる」

莉緒の声は冷静だったが、瞳には警戒の色が濃く浮かんでいた。

マグサテスは、ただのスライムではない。

マグマを吐き出し、地形を変えながら進む。

その熱は人間の皮膚を焼き、骨を溶かし、命を吸収する。

しかも、夜行性であり、眠っている者を狙う習性を持つ。

「囲まれたぞ!」

レイが叫ぶと同時に、傭兵たちが武器を構えて応戦に入る。

だが、マグサテスの数と動きは異常だった。

まるで何かに突き動かされているかのように、統率された動きで包囲を狭めてくる。

「フウリ、後方支援!セリア、右側を任せる!」

莉緒が指示を飛ばし、風の魔力を纏って前へと踏み出す。

マグサテスの群れは、焔の谷の異変の象徴だった。

この地で、何かが目覚めようとしている――その予兆が、熱と血の匂いを伴って迫っていた。

マグサテスの群れが、赤黒い波のように迫ってくる。

地面を焼き、岩を溶かしながら、獲物を求めて蠢くその姿は、まさに地獄の使者だった。

「莉緒、今や!」

セリアの声に応じて、莉緒が両手を広げる。

風の魔力が渦を巻き、彼女の周囲に青白い光が立ち上る。

「風よ、天へと舞え――《嵐翔》!」

瞬間、爆風が地面を駆け抜け、マグサテスの群れを一斉に空へと吹き飛ばした。

スライム状の体が空中でくるくると回転しながら、マグマを撒き散らすが、地上には届かない。

「セリア、お願い!」

莉緒の声に応え、セリアが剣を抜いた。

その刃は、まるで風そのもののように軽やかに、しかし鋭く輝いていた。

レイは叫んだ。「マグサテスに剣は効かない。剣が溶けるぞ」

「《剣の極み》、発動」

彼女の足元に魔法陣が浮かび、剣が淡く光を纏う。

マグマの膜をものともせず、空中のマグサテスを次々と切り裂いていく。

「剣で切れないものはない――それが、今の私」

セリアの剣が一閃するたび、空に赤黒い閃光が走り、マグサテスは細切れとなって地面に落ちていった。レイは「信じられない」と目玉が飛び出るほど驚いた。

マグマはすでに魔力で無効化され、ただの液体に過ぎなかった。

「……うちの出番、ないやん……」

フウリが岩陰から顔を出し、肩を落とす。「せっかく爆裂魔法の詠唱、途中までしてたのに……」

傭兵団の面々は呆然とその光景を見つめていた。

レイは剣を構えたまま、目を見開いて言葉を失っていた。

「……お前らすごいな!……」

その声は、驚愕と畏敬が入り混じったものだった。

莉緒は静かに答える。「澪を探す者。そして、もう逃げない者」

焔の谷の夜は、再び静寂を取り戻した。

だがその静けさは、三人の圧倒的な力によってもたらされたものだった。

ゴキヌスと死闘を繰り広げた彼女たちは、もはやAランクオーバーなど脅威ではなかった。

マグサテスの残骸が、まだ熱を帯びたまま地面に散らばっていた。

焔の谷の夜は再び静寂を取り戻したが、その空気はどこか張り詰めていた。

レイは剣を収めながら、谷の奥を見据える。「これほどの数が出るなんて、火山の奥で何かが起きてる。自然の範疇じゃない。何かが、意図的に動いてる気がする」

莉緒は目を閉じ、澪の気配を探る。

風の流れに乗って、微かな魔力の残響が彼女の心に触れた。

「澪の気配も、さらに強くなってる。この先に……何かがある。呼ばれてるような感覚がする」

セリアが剣を肩に担ぎながら頷いた。「なら、行くしかないわね。この谷の異変も、澪の行方も、すべてが繋がってる気がする」

フウリは荷物を背負い直しながら、にんまりと笑った。「よっしゃ、うちは温泉復活させるでー!こんな荒れ地、うちの魔法で湯気モクモクにしたる!」

その言葉に、レイが思わず吹き出した。「……お前ら、ほんとにただ者じゃないな。俺も行く。放っておける状況じゃない。傭兵団《灰鷲》の名にかけて、この異変の正体を突き止める」

焔の谷の奥――火山の心臓部へと続く道は、岩と灰に覆われ、時折地鳴りが響いていた。

その先に待つものが何であれ、彼らはもう迷わなかった。

「行こう。澪を、そしてこの谷を取り戻すために」

莉緒の言葉に、全員が頷いた。

夜明け前の空に、火山の噴煙がゆっくりと立ち上る。

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