第二章第11話 決戦、再び
森の入り口に立った瞬間、空気が変わった。
黒いオーラが地面から立ち昇り、木々の間を漂っている。前回訪れた時よりも、明らかに濃く、重い。まるで森そのものが怒りを孕んでいるかのようだった。
「……空気が、違う」
莉緒は思わず呟いた。手が震えている。恐怖ではない。緊張と、過去の記憶が呼び起こす不安。だが、今回は違う。隣にはセリアがいる。後ろにはグラン、S、白鷹の仲間たち。頼もしい背中が並んでいた。
「大丈夫。風は、私たちの味方よ」
セリアがそっと莉緒の手に触れる。その言葉に、莉緒は小さく頷いた。
グランは前に出て、森を見据えた。
「ゴキヌスはこの中だ!」
その声は、森の奥まで届くほどに力強かった。
「さぁ、行くぞー!」
グランが叫ぶと、白鷹のメンバーが一斉に武器を構えた。剣を抜く音、魔力が高まる気配、足音が地面を震わせる。士気は最高潮だった。
誰もが、過去を越えるために。誰かのために。自分自身のために。
莉緒は深く息を吸い込んだ。
風が、頬を撫でる。優しく、背中を押してくれるように。
「……行こう」
その言葉と共に、一行は黒き森へと足を踏み入れた。
森の奥へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
木々は枯れ果て、葉は黒く変色し、地面には何かが這ったような跡が無数に残っている。
風は止まり、代わりに耳をつんざくような羽音が遠くから響いてきた。
「……気持ち悪いくらい静かだな」
セリアが呟く。
その言葉に誰も返さず、ただ武器を握り直す音だけが鳴った。
突如、前方の茂みが激しく揺れた。
次の瞬間、インセクターキングが数十体、羽音を轟かせながら突撃してきた。
黒い甲殻が光を反射し、鋭い爪が空を裂く。
「来たぞ!」
グランが前に出る。
その瞬間、空が唸った。
「雷鳴と稲妻!」
叫ぶように詠唱すると、空から稲妻が走り、インセクターキングたちを一斉に貫いた。
爆音と閃光が森を照らし、数十体の魔物が地面に崩れ落ちる。
「こんなものか」
グランは肩を回しながら呟いた。
その背中は、まるで雷そのものだった。
「お前さん、腕が落ちたんじゃないか?」
Sが笑いながら言う。
「最近実戦ができてなくてな。鈍ってるかもしれん」
グランも笑い返す。
その余裕に、若き冒険者たちは思わず息を呑んだ。
左右からもインセクターキングが襲いかかる。
だが、白鷹のメンバーが一斉に動いた。
剣が閃き、魔術が炸裂し、敵はまるで紙のように切り裂かれていく。
「一体一体がAランクの化け物なのに……」
彼の心には別の感情が芽生えていた。――自分も、何かを果たしたい。
守られるだけではなく、誰かを守る側に立ちたい。風が、彼の背を押すように吹いた。
その風は、ただの空気ではなかった。それは、彼の決意を運ぶ風だった。
白鷹の一行がたどり着いたのは、かつてゴキヌスの支配が始まった場所――その城の前だった。
そこに鎮座する白き繭は、以前見たものとは比べ物にならないほど巨大化していた。
まるで城そのものを飲み込もうとしているかのように、脈動し、うねっている。
「……あれが、また動き出すのか」
莉緒は息を呑んだ。
繭の姿が、過去の記憶を呼び起こす。
仲間を失った夜、逃げることしかできなかった自分。
あの時の無力感が、胸の奥で疼いた。
「来るぞ!」
セリアの声と同時に、繭が裂けた。
白い膜が破れ、黒い影が溢れ出す。
数百体のインセクターキングが、地を這い、空を舞いながら襲いかかってくる。
その中に、異様な気配を放つ4体の巨躯――インセクターマスターが現れた。
「数が多すぎる……!」
莉緒が思わず声を上げる。
「雑魚は俺たちが引き受ける!」
白鷹のメンバーが前に出る。
剣が閃き、魔術が炸裂する。
だが、インセクターキングの数は圧倒的だった。
「グラン、右のマスターは任せた!」
Sが叫ぶ。
「了解だ!」
グランが雷を纏い、突撃する。
だが、インセクターマスターの一撃は重かった。
グランの身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「グラン!」
莉緒が叫ぶ。
「まだだ……!」
グランは血を吐きながら立ち上がる。
Sが風を纏い、マスターに向かって詠唱する。
「風よ、刃となれ――旋風斬!」
風の刃がマスターの身体を切り裂く。
だが、切り裂かれたはずの肉体が、瞬く間に再生していく。
「再生能力か……厄介だな」
Sが眉をひそめる。
「こいつらは任せろ!」
グランが叫ぶ。
「君たちはゴキヌスを討て! この混乱の中で、奴を止められるのは君たちしかいない!」
莉緒は一瞬、迷った。
だが、セリアが手を差し伸べる。
「行こう。あいつを止めるために、私たちはここまで来たんでしょ?」
莉緒は頷いた。
「うん……行こう!」
二人は城の門へと駆け出す。
背後では雷と風が交錯し、白鷹の仲間たちが命を懸けて戦っていた。
その背中に、莉緒は誓った。
――自分も、果たすべき役割を果たす。
逃げない。もう、あの夜のようにはならない。
城の扉が開かれる。
その先に待つのは、ゴキヌスとの最終決戦だった。
城内は、まるで異界だった。
壁は黒く染まり、天井からは腐食した蔦が垂れ下がっている。
空気は重く、呼吸するだけで肺が軋むような感覚があった。
玉座の間の奥――そこに、ゴキヌスはいた。
白銀の玉座に腰掛け、四肢を広げるように座るその姿は、まるで王そのもの。
だが、その眼は人のものではなかった。
深淵のような黒に、無数の虫が蠢いている。
「あの時ゴミのように逃げ出した者たちが、よくぞここまで来たな」
ゴキヌスの声は、空間そのものを震わせるような低音だった。
「だが、ここからが本当の地獄だ」
その言葉に、莉緒の足がすくんだ。
過去の記憶が、脳裏に蘇る。
仲間を失った夜、逃げることしかできなかった自分。
あの時の恐怖が、再び心を締め付ける。
「莉緒」
セリアが静かに言った。
「あなたは、もうあの頃のままじゃない。ここまで来たのは、あなたの意志でしょ?」
その声には、かつてよりも深い力が宿っていた。
剣士としての彼女は、休養の間に魔術の修練を積んでいた。
「剣だけじゃ、守れないものがあるって気づいたの」
そう語っていた彼女の言葉が、莉緒の胸に蘇る。
莉緒は目を見開き、震える足を前へと踏み出す。
「……うん。俺は、もう逃げない」
ゴキヌスが手を上げた。
空間が歪む。
次の瞬間、衝撃波が放たれ、床が砕け、空気が爆ぜた。
「防御陣、展開!」
セリアが叫び、魔術陣を描く。
青白い光が二人を包み、衝撃波を受け止める。
その姿は、剣士でありながら魔術師でもある“魔剣士”のようだった。
「風よ、我が身に宿れ!」
莉緒が詠唱する。
風が彼の身体を包み、髪が舞い上がる。
「行くぞ、ゴキヌス!」
風を纏った莉緒が、一直線に突撃する。
だが、ゴキヌスは微動だにしない。
「愚かなる者よ」
ゴキヌスが息を吐いた。
その息は、腐食の風だった。
風が莉緒の周囲を包み、剣の刃が錆び、衣が崩れ始める。
「くっ……!」
「精神干渉、始動」
ゴキヌスの眼が光る。
莉緒の視界が歪み、過去の記憶が強制的に流れ込んでくる。
「やめろ……!」
莉緒が叫ぶ。
だが、意識が引き裂かれそうになる。
「莉緒、集中して!」
セリアが再び魔術を展開し、干渉を遮断する。
その魔力は、剣のように鋭く、盾のように堅かった。
「ありがとう……!」
莉緒は再び風を纏い、跳躍する。剣を振るい、ゴキヌスの胸を貫いた。
だが――「再生」
ゴキヌスの身体が、瞬く間に修復されていく。血も、傷も、なかったかのように。
「……化け物め」
莉緒が呟く。
「だが、俺たちは止まらない。ここで終わらせる!」
風が再び巻き起こる。
セリアの魔術が輝き、剣と魔法が交錯する。二人は再びゴキヌスへと向かっていく。
その背に、仲間たちの戦いがある。
その心に、過去を超える意志がある。
――決戦は、今始まったばかりだった。
ゴキヌスの咆哮が、城内を震わせた。
腐食の風が渦を巻き、空間が軋む。
だが、莉緒とセリアは一歩も退かない。
「行くよ、セリア!」
「合わせる!」
莉緒が風を纏い、セリアが魔術陣を展開する。
剣と魔法――二つの力が交差し、連携が始まった。
「風刃連舞!」
莉緒の剣が風を裂き、斬撃が空を走る。
「氷壁展開、雷槍召喚!」
セリアの魔術が風に乗り、雷と氷が交錯する。
風が魔術を運び、魔術が風を導く。
二人の攻撃は、まるで一つの意志を持つかのようにゴキヌスへと襲いかかった。
だが、ゴキヌスは笑う。
「面白い。だが、足りぬ」
再び腐食の風が吹き荒れ、空間が歪む。
莉緒の剣が軋み、セリアの魔術陣が揺らぐ。
その瞬間――
莉緒の胸に、怒りと悲しみが込み上げた。
澪との約束。仲間との絆。失われた夜と、守れなかった笑顔。
「風は……誰かの想いを運ぶものだろ……!」
その言葉とともに、風が爆発した。空気が震え、城内の全てが風に包まれる。
「風神の戯れ!」
莉緒の剣が、風そのものとなって舞い上がる。風がゴキヌスを包み、斬り裂き、貫いた。
「ぐっ……!」
ゴキヌスが呻き、再生が追いつかないほどの傷を負う。
「やった……!」
セリアが叫ぶ。
だが――
「貴様ら……貴様らぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ゴキヌスが咆哮する。その声は怒りに満ち、空間が崩れ始める。
「破壊してくれる……この場の全てを……!」
腐食の風が暴走し、精神干渉が広がる。莉緒とセリアは防御に回るしかなかった。
その頃、城の外では――
白鷹の仲間たちが、数百体のインセクターキングに囲まれていた。
グランとSはマスター級と交戦中。
だが、他のメンバーは限界に近づいていた。
「くそっ、数が多すぎる……!」
「援護が間に合わない!」
その時――
「待たせたなぁああああああああああ!」
空を裂いて、風とともに舞い降りたのは――
一匹の精霊だった。
白銀の羽毛を纏い、瞳は空の色を映す。
その名は、フウリ。
風の精霊にして、莉緒と契約を交わした存在。
「ここからは、俺の風が吹く番やで!」
その声は、風そのものだった。
優しく、だが力強く。
救世主というべきかもしれない――精霊の登場に、空気が変わった。
風が優しく、だが確かに吹き始める。
絶望の中に、希望の気配が差し込んだ。
――戦いは、まだ終わらない。
玉座の間が震えた。ゴキヌスがゆっくりと立ち上がる。
その身体は、黒い霧を纏いながら異形へと変貌していく。
だが、次の瞬間――霧が晴れたその姿は、誰もが予想しなかったものだった。
「……少年?」
セリアが思わず声を漏らす。ゴキヌスの最終形態は、まるで十代の少年のような容貌だった。
白磁のような肌、虚ろな瞳、そして無垢な笑み。
だがその背には、昆虫の羽根が幾重にも重なり、空間を切り裂くほどの鋭さを放っていた。
腕は節くれだった昆の構造を持ち、指先からは黒い糸のような魔力が垂れている。
「これが……最終形態……」
セリアが息を呑む。
「そうだ。これこそが、かつて五王の一角として君臨した時の私の真の姿。
純粋なる破壊の器。世界が震撼した “五王の一角”だ」
ゴキヌスが両腕を広げると、空間が歪み、奥義魔法が発動された。
両腕を天へ掲げると、空間が悲鳴を上げる。
玉座の間の天井が砕け、黒い霧が渦を巻きながら一点に収束していく。
「見せてやろう……我が奥義――《終焉忘却波動砲》!」
その名が告げられた瞬間、空間が凍りついた。
魔力の奔流が、時間すら歪めるほどの密度で圧縮されていく。黒い光が放たれる。
それは光でありながら、すべてを塗り潰す闇。
空間を裂き、記憶を焼き、存在そのものを消し去る――忘却の波動。
「この魔法は、かつての戦争の記録からも消された禁忌。世界の理を否定する力だ。貴様らの意志も、魂も、すべて無に帰す!」
《終焉忘却波動砲》が放たれた瞬間、森は消し飛び、更地と化した。
だが、フウリが結界を張り、グランや白鷹の人たちを守っていた。
「間に合ったか……!」
その声とともに、空間が裂け、Sが現れた。
黒いマントを翻し、波動の余波を魔力で押し返す。
「この魔法……忘れてたわけじゃない。ゴキヌス……お前のせいで、俺の仲間は……!」
Sの瞳が怒りに燃える。
「かつて、俺たちの拠点を襲った時も、この魔法だった。森ごと焼き払われ、仲間たちは記憶ごと消された。名前も、存在も、何もかも……!」
ゴキヌスは少年の姿で笑う。
「哀れだな。だが、それが“終焉”だ。我がしもべたちよ――すべてを食い散らせ!」
黒い気配と共に空間が震え、無数のインセクターキング、インセクターマスターが召喚される。羽音が響き、顎を鳴る音が響き渡る。
空間を埋め尽くすほどの昆の群れが、莉緒たちを囲む。
「数が……多すぎる……!」
セリアが魔力を展開するが、押し返される。絶体絶命の中、莉緒が一歩前に出た。
「諦めるな……!俺たちは、ここで終わるわけにはいかない!」
剣を握りしめ、ゴキヌスへと突っ込む。その姿に、仲間たちが動き出す。
「莉緒……!」
「行こう、みんな!」
セリアが魔術陣を展開し、Sが援護に回る。風神の加護が莉緒を包み、雷が空を裂く。
「風神の戯れ・極式――天穿の陣!」
莉緒とセリアの魔法が融合し、風と雷が交差する。
ゴキヌスは再び奥義を放つ。
「ふ、愚かな。なんどやっても同じことよ。終焉忘却波動砲!」
二つの魔法が空間で激突する。
風と雷、闇と忘却――拮抗する力が、空間を軋ませる。
その瞬間――
「……澪?」
莉緒の瞳に、一瞬だけ澪の姿が映る。
白い衣を纏い、風に乗って現れた幻影のような澪が、ゴキヌスの背後に回り、魔力の刃を突き立てる。
「ぐっ……な、何……お前は!?」
ゴキヌスの注意がそがれ、一瞬の隙が生まれた。
莉緒は剣を振り上げ、風の奔流を乗せて叫ぶ。
「今だ――押し切れぇぇぇぇぇ!!」
風が貫いた。雷が爆ぜた。
莉緒の魔法が、ゴキヌスの腹を突き抜いた。
「ぐああああああああああああああ!!!」
ゴキヌスが絶叫し、膝をつく。その身体が崩れ始める。
黒い霧が剥がれ、インセクターたちが消滅していく。
「ふ……はははは……」
ゴキヌスが笑う。
「これで終わったと思うなよ。私を倒したとしても、世界の破滅は止められない。魔王を倒すまでは。貴様らがどのような道を歩もうとも、その先にあるのは破滅だ」
莉緒は剣を収め、静かに言った。
「それでも俺たちは進み続ける。みんなで」
ゴキヌスはふっと笑った。
「……せいぜい足掻くことだ。」
そう言って、断末魔の咆哮しながら霧と共に消えた。
静寂の中、玉座の裏に小さなペンダントが落ちていた。
澪の魔力の痕跡が、微かに残っている。
莉緒はそれを手に取り、そっと握りしめた。
「……澪」
戦いの最中に見えた、あの姿。
ゴキヌスの背後に現れ、刃を突き立てた少女――あれは、澪だったのか?
だが、今ここにはいない。
気配も、姿も、何も残っていない。
「幻だったのか……?」
その瞬間、頭の中に声が響いた。
――レベルアップに伴い、新スキルを獲得しました。
「え、……誰?」
莉緒は周囲を見渡すが、誰も反応していない。
どうやら、自分だけに聞こえているらしい。
「私は、あなたの持つスキル《英知究明》です」
「スキル……が喋ってる?」
「はい。あなたがゴキヌスを倒したことで、機能が追加され、言語による情報提供が可能になりました。これからあなたをこちらの機能を使ってサポートさせていただきます」
「追加機能って……そんな家電みたいに言うなよ」
驚きつつも、莉緒は耳を傾ける。
「姫の魔力残滓を獲得したことにより、新スキル《姫の気配》を獲得しました。これから、姫の気配を感じることができます」
莉緒は目を閉じる。遠くに、温かい春のような気配が確かに感じられた。
「姫ってことは……やっぱり、ゴキヌスの後ろに見えたあれは、澪だったのか?」
「イエス。あれは、姫によってつくられた分身。ただし、何かしらの事情により姿を保つことができず、消えてしまったと推測されます」
「……そうか。澪は、本当にいたんだ」
莉緒はペンダントを胸元にしまい、風の吹く方角を見つめた。
「澪……必ず見つけ出してやる。どんな遠くにいても、俺は風を辿って、君に辿り着く」
風が、優しく吹いた。それは、澪の気配を運ぶ風だった。




