第二章第5話 異変調査
翌朝、ギルドからの使いが宿に現れた。
「ギルドマスターがお呼びです」とだけ告げられ、三人は少し緊張しながらギルド本部の奥へと向かった。
重厚な扉を開けると、そこには眼帯をした屈強な大男がいた。
片腕は黒い革で覆われ、背後には巨大な剣が壁に掛けられている。
その視線は鋭く、空気が一瞬で張り詰める。
「……来たか」
低く響く声。
まるで岩が喋っているような重みがあった。
「ギルドマスターのグランだ。昨日はご苦労だった。初回の任務で、インセクターキングを倒すとは……正直、驚いた」
三人は思わず背筋を伸ばす。
セリアが小さく「いえ、運が良かっただけです」と答えると、男はわずかに口角を上げた。
「謙虚だな。だが、結果は事実だ。ギルドとして、改めて礼を言わせてもらう。ありがとう」
「いえ……こちらこそ、貴重な経験をさせていただきました」
莉緒が答えると、男は頷き、机の上の地図に視線を落とした。
「それでなのだが……」
声の調子が変わる。
空気が、さらに重くなる。
「本来、あの森には弱いモンスターしかいないはずだ。だが、Aランクのインセクターキングが出現した。これは、ただの偶然ではない」
「……異常事態、ということですね」
セリアが眉をひそめる。
男は頷いた。
「ギルドとして、原因を調査しなければならない。だが、今はそれを任せられるだけの冒険者がいない。上級者は遠征中で、特ランクの者も動けん」
「それで、私たちに?」
「そうだ。君たちなら、現場を知っている。何より、実力を証明した。報酬は弾む。引き受けてくれるか?」
一瞬、沈黙が落ちる。
セリアは露骨に嫌そうな顔をした。
「虫はもう……本当に勘弁してほしいんですけど」
「セリア、顔に出てるよ」
莉緒が苦笑する。
フウリは尻尾を揺らしながら「また虫かいな……」と呟いた。
だが、莉緒は一歩前に出て、しっかりとギルドマスターを見据えた。
「そういうことであれば、困ったときはお互い様です。行ってきます」
その言葉に、男の眼光がわずかに和らいだ。
「……助かる」
「ただし、虫じゃなかったらもっと助かります」
セリアがぼそりと付け加えると、男は笑ったような、笑っていないような顔をした。
「詳細は後ほど伝える。準備を整えておけ。調査は明日からだ」
三人は部屋を後にした。
廊下に出ると、セリアが深いため息をつく。
「はぁ……また森かぁ……」
「でも、何かがおかしいのは確かだよね。あんな魔物が出るなんて」
「せやな。もしかしたら、もっとヤバいもんが潜んでるかもな」
「……やめてよ、そういうフラグ立てるの」
三人は顔を見合わせ、苦笑した。
だがその瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
こうして、彼らの次なる任務——異変調査が始まる。
森の奥に潜む真実は、まだ誰も知らない。
ギルドを後にした三人の足取りは、どこか不揃いだった。特にセリアは、露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「なんでまた虫の森に行かなきゃいけないんだよ。最悪だよ……」
ぶつぶつと文句を言いながら、セリアは地面を蹴るように歩いていた。昨日の戦闘で虫に囲まれた記憶が、まだ鮮明に残っているのだろう。
「まぁそういうなや。なんかあったら助けたるから」
フウリが軽く笑いながら肩をすくめる。彼の言葉はいつも軽いが、不思議と安心感がある。セリアも一瞬だけ眉を緩めたが、すぐにまた顔をしかめた。
「助けるって言っても、虫は無理。あいつら、羽音がもう……無理」
そんなセリアの横で、莉緒が両手いっぱいに袋を抱えて戻ってきた。
「虫よけ、全部買い占めてきた。これで虫は寄ってこない……はず」
袋の中には、香草の束や魔法薬、さらには謎の鈴まで入っている。セリアはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「……ありがと。でも、信用はしてないからね」
「うん、知ってる。でも気休めにはなるでしょ?」
三人はそのまま市場へ向かい、食料の買い出しを済ませた。保存食と水、簡易調理道具を揃えたあと、フウリがふと立ち止まった。
「そういや、セリア。これ、使ってみぃ」
彼が差し出したのは、細身の剣だった。銀色の刃に風の紋様が刻まれている。
「疾風刃。軽いし、風魔法との相性もええらしいで」
セリアは驚いたように目を見開き、そっと剣を握った。手に馴染む感触に、思わず笑みがこぼれる。
「……これ、すごく使いやすい。ありがと、フウリ」
「おう。虫斬るにはちょうどええやろ」
その瞬間、セリアの顔に少しだけ光が差した。森への再出発は憂鬱でも、仲間と共にあることが、彼女の心を少しずつほぐしていく。
森へ向かう道すがら、三人の会話は少なかった。昨日の戦闘の記憶が、それぞれの胸に重く残っている。セリアは新しい剣「疾風刃」を腰に下げながら、時折その柄に触れていた。少しでも安心したいという無意識の動作だった。
「……昨日より、静かすぎない?」
莉緒がぽつりと呟いた。森の入り口に差しかかった時、風の音も鳥の声も、まるで息を潜めているようだった。
「せやな。なんか、空気が重い」
フウリも眉をひそめる。彼がこうして警戒するのは珍しい。普段は軽口ばかりの彼が、真剣な顔で周囲を見渡している。
セリアは一歩踏み出した瞬間、足を止めた。
「……空気が濁ってる。魔力の流れが乱れてる」
彼女の言葉に、莉緒も頷いた。
「昨日はもっと……生き物の気配があった。今は、森が息をしてないみたい」
三人は慎重に森の中へと足を踏み入れる。木々の間を抜ける風は冷たく、どこか湿っていた。虫よけの香草がかすかに香るが、それでも不快な気配は消えない。
森の奥へ進むにつれ、違和感は濃くなっていく。昨日は草魔獣や小型モンスターがあちこちにいたはずなのに、今日は一体も姿を見せない。
「……おかしい。こんなに静かな森、ありえない」
莉緒が立ち止まり、周囲を見渡す。セリアも剣に手を添え、警戒を強める。
「モンスターがいないってことは、何かが起きてる。それも、普通じゃない何か」
フウリが低く呟いた。
「この世界は、モンスターが減らんようにできてる。殺されても、しばらくしたら別の個体が生まれる。せやけど、今おらんってことは……この森に、モンスターが生息できないほどの何かが起きたってことや」
その言葉に、三人の背筋が凍るような感覚を覚えた。森は静かすぎる。まるで、何かを隠しているように。
森の奥へと進むにつれ、三人の表情は次第に険しくなっていった。
木々のざわめきも、虫の羽音も、獣の唸りも――何も聞こえない。まるで、森そのものが沈黙しているようだった。
「……やっぱり、いない」
セリアが立ち止まり、周囲を見渡す。昨日はあれほどいた草魔獣や小型モンスターが、今日は一体も姿を見せない。
「こんなこと、あるの……?」
莉緒の声はかすかに震えていた。彼女は魔力の流れに敏感で、空気の異常を肌で感じ取っている。
フウリは腕を組み、低く唸った。
「これは……やばいな。モンスターがいないってのは、ありえへん」
「どういうこと?」
セリアが問い返すと、フウリはゆっくりと説明を始めた。
「この世界は、モンスターが減らんように設計されてる。殺されても、しばらくしたら別の個体が生まれる。自然のバランスがそうなっとるんや。せやけど、今おらんってことは――この森に、モンスターが生息できないほどの何かが起きたってことや」
その言葉に、三人の背筋が冷たくなる。
世界の“設計”が崩れるほどの異変。それは、ただの環境変化ではない。何か、根本的な力が働いている。
「魔力の流れも、変だよ。まるで、何かに吸われてるみたい」
莉緒が地面に手を当てて呟く。土の中から、かすかな震えが伝わってくる。
「……この森、何かに支配されてる」
セリアの言葉に、フウリが頷いた。
「せやな。それも、相当強い存在や。弱いモンスターが逃げ出すほどの、な」
その時だった。
背後から、低く唸るような羽音が聞こえた。
「……ぶぅぅぅん……」
三人が一斉に振り向く。そこには、異様な姿をした巨大な昆虫――インセクターキングが、二体並んで立っていた。
黒光りする外殻、鋭く湾曲した顎、そして背中から伸びる透明な羽。
その存在感は、昨日のモンスターとは比べ物にならない。
「おいおい……これはなんの悪夢だよ……」
莉緒が後ずさる。セリアは剣を構え、叫んだ。
「まさかとは思ったが、間違いない。この森には虫を統べる王がおる!そいつらがおるから、弱いモンスターは姿を消したんや!」
フウリが目を細め、低く呟いた。
「この世界は弱肉強食や。どの種にも、すべてを統べる“王”がおる。おそらく、この森に虫の王がやってきたんや。だから、他のモンスターが恐れて、存在できなくなったんや」
三人は互いに目を合わせ、無言で頷いた。
目の前の敵は、ただのモンスターではない。
この森の支配者――その配下にして、王の影を背負う存在。
インセクターキングが羽を震わせ、森の空気が一気に緊張に包まれた。
その姿は昨日と同じはずなのに、どこか違って見えた。いや、違うのは――こちら側だ。
セリアが疾風刃を抜き、風を纏わせながら前に出る。フウリは空中に跳び、敵の視界を撹乱する。莉緒は冷静に魔力を練り、風の流れを操る。
三人の動きは、昨日とはまるで別人のようだった。
連携が自然に生まれ、攻撃のタイミングが完璧に噛み合う。敵の動きを読み、先手を打つ。まるで、戦いの“答え”を知っているかのような動きだった。
その時、莉緒の脳裏にギルドでのやりとりがよみがえる。
──「莉緒さん、あなたには経験値百倍、幸運百倍、英知究明のスキルがあります。そして、他にも今は分からないけど、とんでもないスキルがあるようです。これはあなたのチームの皆さんすべてに還元されます。あなたのこれからの冒険に、幸多からんことを」
あの言葉の意味が、今になってはっきりと分かる。
昨日の戦闘で得た経験が、今日の自分たちを別次元へと引き上げている。
動きが鋭く、判断が速く、魔力の扱いも精密になっている。
「勝てる……勝てるぜ!」
セリアが叫ぶ。彼女の剣が風を切り裂き、インセクターキングの羽を斬る。
フウリがその隙を突いて、空中から急降下。敵の背を蹴り、バランスを崩す。
「莉緒、今や!」
「了解!」
莉緒が風魔法を集中させ、敵の足元に突風を巻き起こす。インセクターキングの巨体が浮き上がり、セリアの斬撃が胴体を貫いた。
一体目、撃破。
「昨日より、ずっと弱く感じる……いや、違う。私たちが強くなったんだ」
セリアが息を整えながら呟く。フウリも笑みを浮かべる。
「百倍の経験値ってのは、伊達やないな。こりゃ、ええスキル持っとるわ」
二体目が怒り狂い、羽音を震わせて突進してくる。だが、三人はもう怯えない。
昨日の恐怖は、今日の力へと変わった。
「行くよ、みんな!」
莉緒の声に、セリアとフウリが頷く。
風が巻き、剣が唸り、空が裂ける。
「来るよ!」
莉緒の声に反応して、セリアが疾風刃を構える。風の魔力が刃にまとわりつき、鋭い音を立てる。フウリは空中から旋回し、敵の背後を狙う。
「こいつ、昨日よりずっと動きが読みやすいな」
セリアが斬撃を繰り出しながら呟く。敵の動きに対する反応が、まるで予知しているかのように的確だった。
「せやな。俺ら、強くなっとる。昨日の経験が、全部身になっとるんや」
フウリが笑いながら、敵の羽を蹴り折る。インセクターキングがバランスを崩した瞬間、莉緒が魔法を放つ。
「風よ、縛れ!」
突風が敵の足元を巻き上げ、動きを封じる。セリアが一気に距離を詰め、胴体を斬り裂いた。
「……撃破、完了」
セリアが息を整えながら剣を収める。フウリが空から降りてきて、肩をすくめた。
「楽勝やったな。昨日のあいつらとは別モンや」
「うん。私たちが強くなったんだよ。莉緒のスキルのおかげで」
セリアが莉緒の方を見て、微笑む。
フウリが親指を立てる。莉緒は少し照れたように笑った。
「みんなが強くなってるの、私も感じる。経験値百倍って、ほんとにすごいね」
三人は互いに笑い合いながら、森の奥へと視線を向けた。
二体目のインセクターキングが地に伏した瞬間、森の空気が一変した。
静寂が訪れたかと思えば、すぐに――重く、鈍い羽音が森の奥から響いてきた。
「……まだ終わってない」
セリアが剣を握り直す。風がざわめき、木々がわずかに震えた。
三人はゆっくりと森の奥へと進む。すると、目の前に現れたのは――巨大な繭だった。
それは木々を巻き込み、地面からせり上がるように構成されていた。
白く濁った糸が幾重にも重なり、まるでモンスターたちの城のような威容を放っている。
「……なんだ、あれ」
莉緒が思わず足を止める。繭の表面には無数の虫が這い、羽音が絶え間なく響いていた。
その音は耳だけでなく、皮膚にも、骨にも、心にも刺さるような不快感を与える。
「体が……拒否してる。近づきたくないって、全身が言ってる」
セリアが顔をしかめる。魔力の流れが、繭の中心に吸い込まれているのが分かる。
まがまがしい存在感。圧倒的な魔力。
それは、ただのモンスターではない。支配者――“王”の気配だった。
「これが……虫の王の居城か」
フウリが低く呟く。彼の声にも、いつもの軽さはなかった。
「でも、行くしかない。ここまで来たんだ。逃げる理由はない」
セリアが一歩踏み出す。風が彼女の背を押すように吹いた。
「莉緒が一緒にいるだけで、心強い!」
「せやな。さすがや、うちのエース!」
フウリが笑みを浮かべる。莉緒は少しだけ頬を赤らめながら、前を見据えた。
「……ありがとう。でも、私も怖いよ。でも、みんながいるから、進める」
三人は互いに目を合わせ、無言で頷いた。
繭の奥から、何かが目覚めようとしている。
その気配は、インセクターキングとは比べ物にならない。
「いざ、進もう」セリアが静かに言った。そして、三人は歩き出した。
虫の王が待つ、森の最深部へと。




