第8話 モフモフにも優しい人
リーヴァリートさまと正式に婚約したわたしは、彼とともにゴンドラに乗ってオルランド邸に帰ってきた。二人でゴンドラのキャビンから出ると、リーヴァリートさまは四階建ての館を見上げる。
「これからは、この館をあなたの家だと思ってください」
「は、はい」
リーヴァリートさまと婚約したという実感が急速に湧いてきて戸惑う。契約結婚とはいえ、こんなに優しくて、しかも賢いイケメンが旦那さまですよ!? これが戸惑わずにいられるかって話ですよ!
……うん、決めた。わたしはメイドとしてリーヴァリートさまにお仕えしよう。
だって、わたしとリーヴァリートさまが交わした、もう一通の結婚契約書には、結婚期間は「跡継ぎが成人するまで」と決められている(もちろん、離婚後のわたしの生活は保証されている)。それに寝室も別々だし、これを本当の夫婦とはいわないだろう。
結婚式も「夫・リーヴァリートが大評議会の議席を持つ二十五歳になってから」という条項があるので、だいぶ先だ。
どちらかというと、友人のような関係に近いとは思うけど、わたしは完全に対等な関係を現世で築いたことがないので、主従関係として捉えたほうが楽だ。
館に入ったわたしは、いったんリーヴァリートさまと別れて、この数日間泊まらせてもらっている客用の寝室に戻る。
メイドが部屋着に着替えさせてくれた。前開きになった、前世でもおなじみのガウン風の絹服で、リボンで留めるタイプ。裾はくるぶしまである。髪は緩やかな編み込みだ。
本来は貴族の女性って、一日に何度も着替えるものなのよね。
ホッとしたところで香草茶とお菓子が運ばれてくる。至れり尽くせりだ。
この館に来てから、自分で自分の世話をすることがなくなった。〝人としてそれもどうなの?〟と前世の記憶を持つ者としては思うけど。
前世でも好きだったマカロンをつまみながら、香草茶の香りと味を楽しむ。ローズヒップティーね。こちらも前世で好きだった。
ノックの音が響く。
「どうぞ」
わたしが返事をすると、扉を開いて現れたのはリーヴァリートさまだ。従者は連れていない。
「お楽しみ中、すみません。実は、婚約もしたことですし、改めて館の中をご案内したいと思いまして。エメルネッタ嬢はこのフロアしかご存じないでしょう?」
あ、呼び方が「エメルネッタ嬢」に戻った。ちょっと残念……かな?
いやいや、そんなことより質問に答えなきゃ!
「はい。ここ数日は何かと忙しかったものですから。このフロアだけでも十分な広さですし」
「では、他のフロアも案内させてください。あなたの部屋も見ていただきたいですしね。エスターテとも、また会えますよ」
「わあ、うれしいです!」
エスターテと再会できると知って、わたしの表情は自然に緩んだ。リーヴァリートさまも目を細める。
「では、中庭から案内しましょうか。今日は天気もいいですし、エスターテもそこにいるはずです」
リーヴァリートさまに先導され、折れ曲がった階段を下りる。一階には、初めてオルランド邸を訪れたときにも目にしたホール、それに倉庫や厨房、使用人の部屋などがあるそうだ。
二人で中庭に出る。館の構造のためか、さほど大きくはない中庭だけど、わたしは「わあ!」と歓声を上げた。数頭の犬が駆け回ったり、思い思いに休んだりしていたからだ。
その中にはエスターテもいる。エスターテはこちらに気づくと、ぴゅーっと駆け寄ってきた。
「エスターテ君、久しぶり」
わたしが中腰になって声をかけると、エスターテは「ナァナァ」と鳴き、身体を擦り寄せてきた。か、可愛すぎる……。
エスターテに夢中になっていると、突然、ぬっと大きな影が現れた。顔を上げると、そこには雌の有翼獅子がいた。すでに立派な成獣で、じっとこちらを見つめている。
リーヴァリートさまが穏やかに告げる。
「彼女が春です。覚えていると思いますが、エスターテの母親ですよ」
「まあ! プリマヴェーラさん、エメルネッタです。今日からこちらに住まわせていただきますので、よろしくお願いします」
プリマヴェーラの表情が、ほほえんでいるように見えた。ネコ科の動物って、表情筋の関係で犬よりも表情が控えめだけど、なんとなく思っていることがわかるような気がするのよね。
有翼獅子は猛獣だ。でも、とても賢く、一度懐いた相手には穏やかだともいわれている。
「あなたのことが気に入ったようですね。なでても大丈夫ですよ」
プリマヴェーラに懐かれているリーヴァリートさまに背中を押され、わたしは彼女に手を伸ばした。首筋をなでると、プリマヴェーラは気持ちよさそうな顔をする。どうしよう、その大きな身体に背中から抱きつきたい!
プリマヴェーラをなでていると、エスターテが「自分もなでて」とせがむので、わたしは二頭――いや、二人を交互になでた。そうしている間にも、遊んでいる犬の姿が目に入る。
「ところで、お二人の他にも動物が多いですね」
「ええ、うちで保護している犬たちです。他にも、ここには鳩舎がありますよ。室内には保護猫やオウムもいます」
「保護している、ということは、新しい飼い主を探しているのですか?」
「はい。プリマヴェーラもそうですが、うちにはなぜか動物の保護案件が持ち込まれることが多くて」
「なぜでしょうね」とリーヴァリートさまは首をひねっているけど……それ、あなたのお人柄と人徳が理由です。
そこで、わたしははたと気づいた。
もしかして、わたしも保護人間?
だって、契約結婚することになったそもそもの理由も、リーヴァリートさまがわたしの境遇に同情してくれたからだし。
ふーむ、これでいいのだろうか……。
わたしが真剣に考え込んでいる間に、リーヴァリートさまは寄ってきた犬たちを抱き上げたり、なでたりしていた。犬たちもお腹を見せてリラックスしている。
動物たちを見るリーヴァリートさまの目は優しい。そんな彼を眺めていたら、胸が甘く締めつけられた。うん……?
た、たぶん気のせいだろう。
リーヴァリートさまと目が合う。心臓がドキリとした。
わたしはあわあわとしてしまい、彼に変に思われないように話題を探す。
「――あー、えー、あっ、そういえば、これからリーヴァリートさまのことをなんとお呼びすればよろしいですか? やっぱり、『旦那さま』ですか?」
リーヴァリートさまは不意をつかれたような顔をしたあとで、少し考え込む。
「……『リヴァ』でいいです。叔父夫婦もそう呼びますし、祖父母にもそう呼ばれていました」
「かしこまりました! リヴァさまですね」
わたしがリヴァさまを愛称で呼ぶと、彼は目をみはり、指で頬をかいた。
え!? 照れてる!?
あまりの尊さにわたしが震えていると、リヴァさまはほほえむ。
「……あなたのことはなんと呼べばいいでしょう? エメルネッタ嬢の愛称を教えてください」
「は、はい! 母からは『エメル』と呼ばれていました」
リヴァさまは「エメル」とつぶやいてから、ニコッと笑う。
「では、『エメルさん』と呼びましょう」
彼がわたしの名前を口にしただけで、世界が全く変わってしまったような気さえした。
この感情、覚えはあるんだけど……でも、そうだとすると、なんだかわたしってチョロすぎない……?
盛大な勘違いかもしれないから、今は考えないでおく。
「エメルさん、お互いの呼び方も決まったことですし、わたしを主と仰ぐような敬語はやめてくださいね」
「え! でも、友人のように話すのはさすがに……」
主従関係のほうが楽だし!
リヴァさまは「そうですか?」と首を傾ける。
「ですが、わたしたちは歳も二歳しか離れていませんし、どうしても無理なら丁寧語で話してみてはどうでしょう?」
丁寧語! 妥当なラインかも……。
「わ、わかりました。それでお願いいたし……いえ、お願いします」
わたしの様子がおかしかったのか、リヴァさまはプッと吹き出したあとで、「失礼」と言ってくれた。
尊い。




