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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第7話 交渉の敗者(後半ドミッティラ視点)

 ドミッティラが箱の蓋を開けると、中には大粒のダイヤモンドがきらめく首飾りが入っていた。

 え!? あれ、あげちゃうの? わたしと結婚するために?


 わたしも仰天したが、ドミッティラも同じ気持ちだったらしい。口をあんぐり開けてダイヤモンドを眺めながら、魅入られたような表情をしている。

 リーヴァリートさまがもう一度言う。


「エメルネッタ嬢との婚約の証として、そちらを差し上げます。身につけるなり売り払うなり、お好きにどうぞ」


 欲望に満ちた目で、ドミッティラはリーヴァリートさまを見た。なんか嫌だ。

 リーヴァリートさまは眉一つ動かさず、優しくほほえむ。


「結婚契約書にサインしていただけますね?」

「は、はい。もちろんです」


 リーヴァリートさまの従者が羽根ペンとインクを用意する。従者はリーヴァリートさまに結婚契約書を渡し、リーヴァリートさま、わたし、アルマンドさま、ドミッティラ、証人の順で署名していく。最後に公証人が署名したあとで、従者の用意した封蝋ふうろうを垂らし、印章を押す。


 たぶん、これで法的にも婚約が調ったんだよね?

 肩の力が抜ける。ここ数日間、わたしなりにずっと緊張していたようだ。当たり前だよね。自分の人生が決まってしまうような局面だったんだから。


「では、これで」


 もう用はない、という表情で、リーヴァリートさまは立ち上がる。


「エメルネッタ嬢……いえ、()()()()()()、何か忘れ物はありませんか?」


 今、名前を呼び捨てにされた! 正式に婚約したからだよね!?

 そうか……リーヴァリートさまは、よそではパートナーを呼び捨てにするタイプかあ。乙女だったら心が揺れずにはいられない。

 まさか、お屋敷でも呼び捨てにしないよね? ちょっとこちらの心臓が大変なことになるかも。


「エメルネッタ?」


 リーヴァリートさまに再び呼ばれ、我に返る。

 えーと、なんだっけ? そうだ! 忘れ物はないか聞かれたんだった。


「すみません。忘れ物ですね。ありますあります。屋根裏部屋に寄ってもよろしいですか? わたしの部屋なのです」

「屋根裏部屋が自室……」


 リーヴァリートさまはドミッティラにきつい視線を送ったあとで、「お供します」と言ってくれた。

 リーヴァリートさまと一緒に、最上階の三階に上る。小さな木の螺旋らせん階段を上り、屋根裏部屋に向かう。

 彼には部屋の前で待っていてもらい、錬金術で作ったお掃除便利グッズをかき集める。母の形見はドミッティラとザイラに取り上げられてしまったから、持っていけるのはお掃除便利グッズだけだ。


 部屋から持ち出した、クエン酸やセスキ炭酸ソーダの入った革袋の数々を見たリーヴァリートさまが、不思議そうな顔をする。

 服とか小物とかを持ってくると思ったのかな? 持っている服といっても、くたびれたメイド服と下着くらいで、女の子が持つような小物すら持っていない。無給で働いていたからね。


 錬金術のことを話したら、彼はどんな反応をするのだろう。

 そう思いはしたが、今は黙っておくことにする。わたしが錬金術を使えることを知っているのは、家令のコスタンツォとメイド長のベルタだけ。二人には、「お嬢さまの発想は、凡人とは違いすぎます。錬金術のことはあまり人に話すべきではありません」と言われている。


 もう少したって、リーヴァリートさまのことをもっと信頼できるようになったら、必ず錬金術のことを話そう。

 わたしはそう決めた。


 リーヴァリートさまと一緒に二階の玄関ホールまで下りると、ドミッティラの横にザイラが立っている。わたしを見ると目を見開き、口をぽかんと開ける。


 リーヴァリートさまは右足を引くと、膝を少し曲げ、胸に手を当てながら軽く頭を下げた。ドミッティラとザイラに向けた紳士の礼だ。二人が淑女の礼を返すと、リーヴァリートさまはくるりとこちらに向き直り、右肘を差し出す。

 え!? エスコートしてくれるの?

 リーヴァリートさまが低音の声で囁く。


「見せつけてやりましょう」


 ちょっとドキッとしたけど、そっか。リーヴァリートさまも、ドミッティラとザイラに腹を立てていたものね。

 わたしはリーヴァリートさまの腕に、そっと手を添える。初めて触れた、彼の腕は大人の男性らしく硬かった。


「お邪魔いたしました」


 リーヴァリートさまが振り返りながら、ドミッティラたちにかける言葉が耳に届いた。


   ***


「な、何よ、あれ! どうしてエメルネッタなんかがオルランド家のご当主と一緒にいるのよ! しかも、あんなに高級な服を着て!」


 エメルネッタとリーヴァリートが去ったあと、ザイラは開口一番に騒ぎ立てた。

 ドミッティラは娘のキンキン声に耳を押さえたくなった。ザイラはまだ、リーヴァリートとエメルネッタが正式に婚約したことを知らない。


 そもそもドミッティラは「エメルネッタ嬢のことで頼みがあるので、訪問させていただきたい」ということしか、事前にリーヴァリートから知らされておらず、二人の婚約など寝耳に水だった。


 エメルネッタをメイド扱いし、虐待していたことを告発されるかもしれないとは思っていたが、同じくらいこちらにとってはまずい事態だ。

 ちなみにザイラがここに来たのは、彼女におべっかを使っている侍女から、リーヴァリートが来訪しているという情報を手に入れたかららしい。そのため、今のザイラは外出もしないのに小ぎれいな服を着て、化粧も念入りにしている。


 娘がひどく滑稽に思えて情けなくなったドミッティラは、一から順を追ってリーヴァリートが何をしにラヴィトラーノ家を訪れたのかを説明してやることにした。

 説明を聞くうちに、ザイラの表情がこわばっていく。すべてを聞き終えた彼女はわめいた。


「な、なんですの、それは! エメルネッタがリーヴァリートさまと婚約した!? お母さまはそれでよろしいの!?」

「いいわけないでしょ!」


 ドミッティラは今までたまっていたストレスを吐き出すようにえた。ザイラがビクッとする。

 ドミッティラはすべて吐き出してしまおうとまくしたてる。


「大体、わたしはエメルネッタに婿を取らせるつもりだったのよ! 金払いのいい商人の次男か三男の婿をね! そうして、あの娘をうまく囲い込むつもりだったのよ! そうすれば、わたしは引き続き当主代理として振る舞えるし、金も入ってくるはずだった。はずだったのに……!!」


 ギリギリと歯ぎしりしていると、ザイラがおびえたように言う。


「……お、落ち着いてくださいませ、お母さま。まだ、ラヴィトラーノ家の実権はお母さまにあるのでしょう?」


 ドミッティラはハッとした。

 そうだ。リーヴァリートは一言も、ドミッティラの当主代理としての権力を取り上げるとは言わなかったし、結婚契約書にも「エメルネッタにラヴィトラーノ家相続人としての実権を返すこと」とは書かれていなかった。


 エメルネッタがリーヴァリート・パトリツィオ・ディ・オルランドと出会ったことで、計算は狂った。

 だが、ラヴィトラーノ家の実権は引き続き自分にある。リーヴァリートと婚約したエメルネッタが、ドミッティラが生きている間に、「実権を返せ」と言ってくることはまずないだろう。オルランド家は、それだけ裕福なのだから。

 ドミッティラは二イッと口角をゆがめる。


「ザイラ、あなたオルランド家を黙らせるような家柄の人と結婚なさい」

「え! そんなことができるのかしら。オルランド家は【八頭の獅子】に数えられる名家ですよ」

「あと、七家あるじゃない。あなたの美貌があれば大丈夫よ」

「そ、そうかしら」


 ザイラはニヤつき始めた。可愛いけれど、単純な娘なのだ。

 そう。リーヴァリートとザイラが結婚できないからといって、悲観する必要はない。古くから続き、【ヴァルツィモアの八頭の獅子】と尊称される名家は、まだ七家もあるのだ。

 それに、曲がりなりにもラヴィトラーノ家の娘であるエメルネッタが、リーヴァリートと正式に婚約したという事実は、きっとザイラの縁談にも有利に働く。


(やってやるわ)


 ドミッティラは新たな野望を抱いたのだった。

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