第5話 契約結婚?
「は……?」
私は固まった。聞き違いかな?
リーヴァリートさまが申し訳なさそうな顔をする。
「いきなりすみません。エメルネッタ嬢もご存知かもしれませんが、実は結婚相手を探しておりまして」
ああ。そういえば、ザイラもそんなことを言っていたし、貴夫人たちも自分の娘をリーヴァリートさまに紹介したがっていた。
え? でも、このパーティー会場になみいる貴族令嬢を差し置いて、なんでわたし?
一目惚れされたとも思えないし、何か訳があるのかもしれない。
「理由をお聞かせ願えませんか?」
「もちろんです。わたしはまだ、ヴァルツィモア貴族として一人前と認められる年齢には達していません。ですが、オルランド家の当主として、そろそろ婚約者を見つけなければならない……」
「選び放題ではございませんか」
「それは、まあ……。ですが、少々、事情がありまして」
「事情?」
わたしがオウム返しに問うと、リーヴァリートさまは意を決したように告げた。
「実はわたし、女性不信なのです」
え? 女性不信? そんなふうには全然見えないけど……。
あ! でも、さっきわたしがテラスに出て、初めて目が合ったときに、ちょっと不機嫌そうにしていたわ。
そうか。あれは「なんで、よそのメイドがここに……」と思ったのではなくて、「なんで、ゆっくりしているところに女が現れるんだよ」と一瞬思ったからだったのね。と、いうことは。
「もしかして、テラスにいらっしゃったのも、ご自分目当ての女性たちを避けるためですか?」
リーヴァリートさまは心底情けなさそうに首を縦に振る。
「はい。自分で招待しておいてなんですが、彼女たちを少し見ただけで嫌悪感が湧いてきてしまって……」
そんなに女性が嫌いなのに、リーヴァリートさまはわたしに対しては徹底的に紳士だ。いろいろあって女性不信になってしまっただけで、根は素直で優しい人なのだろう。だから、本来猛獣であるはずの有翼獅子にも好かれるのだ。
でも、なんでわたし?
「よりにもよってわたしをお選びになった理由をお聞かせいただけますか?」
「『よりにもよって』って……。あなたは苦労しているのに歪んだところが見受けられませんし、何よりエスターテが懐いています。エメルネッタ嬢はわたしが今まで知り合った独身女性の中で、一番まともだ。それに、ラヴィトラーノ家は新興貴族といっても、功績を立ててヴァルツィモア貴族になった家柄です。親戚たちも文句を言わないでしょう」
「ですが、あの令嬢たちの中には、性格的にわたしよりオルランド家の奥さまにふさわしい方もいらっしゃると思いますよ」
「だとしても、エスターテが懐くとはかぎりません」
言い切ったあとで、リーヴァリートさまはハッとしたように目をみはった。
「あ……すみません。こちらの事情を押しつけてしまって。あなたが心から嫌なら無理強いはしません。ただ、わたしの提案に少しでもメリットがあると感じていただけるなら……」
「メリット……」
確かに、リーヴァリートさまと結婚すれば、ドミッティラとザイラに会うことも少なくなるだろうし、住む家も貴族の身分も保証される。
ただ、オルランド家の奥さまになっても、家事をさせてもらえるかなあ……。
リーヴァリートさまの声にぐっと力が籠もった。
「いわゆる契約結婚で構いません。結婚後も寝室は別ですし、跡継ぎは親戚から養子をもらえばいい。子どもが一人前になったら、熟年離婚しても構いません。あなたのご希望はできるだけかなえます」
そこまでこちらのことを考えてもらえるなら、と一瞬心が動く。でも、家事をさせてもらえるかなあ。強く希望すれば、範囲限定で許可をもらえそうではあるけど。
これだけは言える。プロポーズを受けるにしても、断るにしても、熟考の必要があるということだ。
「一日……いえ、半日で構いません。お時間を頂けますか? 返事は必ず致します」
わたしがそう応えると、リーヴァリートさまは気を悪くした様子もなく、「もちろんです」と言ってくれた。
***
その日、わたしはオルランド邸に泊まった。自邸よりもはるかに広い! 自邸は三階建てだけど、こちらは四階建てだからね。客用の寝室なんて、画像でしか見たことがない前世の高級ホテル並みだ。
寝間着に当たる、リネン製の肌着も貸してもらえた。
三階にある、この寝室に案内してくれた執事も、世話をしてくれたメイドも、皆丁寧だった。表情に暗さがなく、生き生きと働いていることが伝わってくる。たぶん、主人であるリーヴァリートさまのお人柄の反映だろう。
十数年ぶりに、天蓋付きなうえ、ふわふわのベッドに横になり、ごろごろ転がって満喫したあとで、ふと思い出す。
「……そうだ、リーヴァリートさまにお返事しないと」
リーヴァリートさまは、優しくて誠実そうな方だと思う。〝本当に誠実なら契約結婚なんてしないのでは?〟とも思ってしまうけど、女性不信であることを隠して結婚し、妻と生まれてくる子どもに悲しい思いをさせるよりは……という苦渋の決断だろう。
だから、やはり彼は誠実で、ある意味不器用な人なのだと思う。
「ただ、家事をさせてくれるかなあ……」
とりあえず、眠りながら考えようか。
わたしはサイドテーブルに載った魔導灯の明かりを消し、ふかふかの毛布をかぶった。心地よさにすぐにでも眠ってしまいそう……と思ったのだけど。
「眠れない……」
思考もループしてグダグダだ。しかも、喉まで渇いてきた。
身体を起こし、水差しに手をやるけど、ほとんど中身が入っていない。……わたし、就寝前に水をちょびちょび飲む習慣があるのよね。
わたしは仕方なく、ベッドから降りて長い羽織物を肩にかけ、グラスを持って部屋を出た。
先ほど言ったとおり、このオルランド邸はラヴィトラーノ邸よりもだいぶ広いけど、メイドのわたしには、どこに何があるかは大体見当がつく。飲み水のある厨房は一階か半地下にあるはずだ。
階段に向かって廊下を歩いていると、向こうから長身の人影がやってくるのが見えた。
わたしが立ち止まる前に、人影が立ち止まる。
「あ、もしかして、あなたがエメルネッタ嬢かな? 甥がお世話になっております。リーヴァリートの叔父のアルマンド・パトリツィオ・ディ・オルランドと申します」
廊下の魔導灯に照らされて、金髪とサファイア色の瞳が浮かび上がった。歳は三十前後だろうか。リーヴァリートさまの叔父君なだけあって、お顔の作りも端正だ。
わたしは使用人の礼ではなく、淑女の礼をした。アルマンドさまはほほえむ。
「ところで、どうしました? あ、グラスをお持ちということは喉が渇いたのですか?」
「はい……」
「それなら、居間に行きましょう。俺がこの館に来るときは、使用人が気を利かせてくれて、深夜でも飲み物を用意してくれているのです。実は、俺もなかなか眠れないので、酒が飲みたくなったというわけでして」
「あ、せっかくですが、わたしはお酒が得意ではないので……」
「大丈夫ですよ。水もありますから。俺は女性を酔わせてどうこうしようとは思いません。そんなことをしたら、最愛の妻に愛想を尽かされてしまいますからね。それに、あなたはリーヴァリートの婚約者になるかもしれない女性だ。丁重に扱わせていただきますよ」
ものすごく女性のスマートな扱いに手慣れてる! ある意味、リーヴァリートさまとは好対照だ。わたしは安心してうなずく。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
アルマンドさまはにっこり笑うと、歩き出した。わたしはその後ろについていく。ほどなくして、彼は両開きの扉の前で立ち止まり、扉を開けた。振り返り、先に中に入るようわたしを促す。
わたしは目礼して中に入った。前世の欧米でもそうだったけど、この国では、これだけでも十分お礼の表現になるのだ。
わたしを先に長椅子に座らせてくれたアルマンドさまは、こちらのグラスを受け取る。テーブルの上に置かれていた水差しとデカンタから、二つのグラスにそれぞれ水と赤ワインを注いだ。水の入ったグラスをわたしの前に置いてくれてから、長椅子に腰掛ける。
「アルマンドさま、ありがとう存じます」
「どういたしまして。ところで、うちのリーヴァリートはどうです? 結婚したいと思いますか?」
水を飲んでいたわたしは、危うくむせそうになった。
「ええ!? ……その、とてもお優しいお方だとは存じますが、わたしなんかが婚約者の座に納まっていいのか、ちょっとわからなくて……それに」
「それに?」
「わたしは実家でしていたメイドの仕事を天職だと思っているのです。メイドの仕事、というか、家事ができなくなるのなら、お断りするしかございません」
「ははあ。リーヴァリートから聞いてはいましたが、そこがこだわりポイントですか」
アルマンドさまは赤ワインの入ったグラスを傾けた。
「では、結婚の条件として『絶対に家事がしたい』とリーヴァリートに突きつけなさい。たぶん、それで解決します」
「え? 本当に……?」
「はい。リーヴァリートはそういう奴です。それにね、叔父である俺の目から見ても、彼は誠実だから、そこら辺の男と恋愛結婚するよりも幸せになれますよ」
「幸せ……」
その言葉に、ふと戸惑う。わたしは家事をしていられれば幸せだと思って生きてきたけど、人として、女性として幸せなのかと聞かれると、うまく答えられる自信がない。
そもそも契約結婚なら、女性としての幸せは保証されていない。
でも……リーヴァリートさまのことをもっと知りたい。
その気持ちだけは確かな気がした。
「あの……リーヴァリートさまのご家族は?」
飄々としていたアルマンドさまの顔が、一瞬だけ曇る。
「両親も祖父母もすでに亡くなっています。兄弟もいません。継母が別邸に暮らしていますが、家族といえるのはわたしと妻くらいのものです」
「……そうだったのですね」
親身になってくれる叔父夫婦がいること以外は、ほぼわたしと同じ……。女性不信になってしまったこともそうだが、あの優しさの裏にどれほどの苦悩があったのだろう。
やっぱり、わたしはもっと彼のことが知りたい。
プロポーズを受けず、お別れしてしまったら、リーヴァリートさまにはもう会えないだろう。
わたしは水を飲み干すと、アルマンドさまにお礼を言って居間を後にした。
もう、迷いはなかった。




