第43話 帰宅と反乱
その日、わたしは従者一人を連れて、約一年ぶりにラヴィトラーノ邸に帰ってきた。
今は門番も務めているらしい漕ぎ手が、緊張した面持ちでわたしたちを水辺玄関に通してくれた。
一階ホールに上がり、しばらく待つと、ドミッティラとザイラが現れた。わたしが事前に帰宅する旨を伝えていたからだろう。彼女たちはこのときを待ちわびていたようだ。
金のなる木であるわたしが帰ってきてご満悦らしく、二人ともニヤついている。卑しい笑みだ。以前はそんなこと、気にも留めなかったけど、今は思う。彼女たちの表情は卑しい。
ドミッティラが声高に言う。
「エメルネッタ、よく帰ったわね。お前のために屋根裏部屋をそのままにしておいたわ。お前が出ていったときのままにね。そこで売れそうな新商品を開発なさい」
わたしはその命令には応えず、静かな声を出した。
「わたしが言うことを聞くとでも? わたしが浮気しているという噂を社交界に流しただけでなく、偽の元婚約者を用意して、リーヴァリートさまをだましましたね」
ドミッティラは口角をつり上げた。
「だまされるほうが悪いのよ。あのお坊っちゃんも脇が甘いわねえ。ま、その程度で捨てられたのは、お前に魅力がなかったからでしょ。さっさと服を着替えて、屋根裏部屋にお行きなさい。その従者は帰らせてね。うちで働きたいなら雇ってあげるけれど」
「誰の脇が甘いと?」
わたしの後ろに控えていた従者が、目深にかぶっていた帽子を取った。さらに茶色のカツラを取ると、その下から見事なシャンパンブロンドの短髪がこぼれ出る。
ドミッティラとザイラが二人同時に叫んだ。
「え!? リーヴァリート卿!?」
「わたしがその程度の小細工で、エメルネッタを捨てるわけがないでしょう。というか、何が起ころうとも離しません」
今、さらりと怖いこと言った!
それはともかく。そう、わたしはリヴァさまの計画を承諾したあとに、こう頼んだのだ。
――リヴァさまと合流したあとのことなのですが……わたしもラヴィトラーノ邸に赴いて、事の始終を見届けさせてもらいたいのです。
そうしないと、わたしはきっとモヤモヤを抱えたまま、今後の人生を送ることになるだろうから。
そして、リヴァさまは快諾してくれ、計画を少しだけ変更したというわけだ。
従者に変装して、堂々とラヴィトラーノ邸に入ったリヴァさまは言い放つ。
「流言飛語でエメルネッタの名誉を傷つけたうえ、わたしをだましたことを認めましたね。まあ、先日こちらを訪れたあとで、わたしの配下が、あの偽の元婚約者に洗いざらい白状させましたが。あなたから金をもらって、元婚約者になりすましていたそうですよ。詐欺罪に問えますね」
詐欺罪と聞いて、ドミッティラとザイラの顔色が変わる。
リヴァさまの追求は止まらない。
「おや、自分たちが罪に問われることは考えていませんでしたか。貴族だからといって、司法官は見逃してくれませんよ。わたしの継母――と言うのも嫌ですが――も、司法官のお世話になりましたし」
慌てたザイラがドミッティラに食ってかかる。
「だからわたしは言ったのに! リーヴァリートさまをだますなんてやめたほうがいいと!」
「今更何を言っているのよ! 自分だけ罪を免れるつもり!?あなただって、エメルネッタの代わりにリーヴァリートさまと結婚できるなら、と乗り気だったじゃない!」
「浅ましい……」
リヴァさまは呆れたようにつぶやく。わたしも同じ気持ちだったけど、まだやることは残っている。
「エメルネッタお嬢さま、お久しぶりでございます」
「お元気そうでようございました」
いつの間にか一階ホールに下りてきた家令のコスタンツォとメイド長のベルタが、わたしにお辞儀をしてくれた。
「二人こそ、元気そうで何よりだわ」
わたしが笑いかけると、コスタンツォが真面目な面持ちで口を開く。
「実はお嬢さまに謝らなければならないことがございます。わたしは我が子たちを盾に取られ、お嬢さまが錬金術を独学で学んだことを奥さまに話してしまいました。妻はむしろ止めてくれたのですが、弱いわたしは従ってしまった……。そのせいで、このような事態が起こっていること、申し開きのしようもございません」
子どもたちを盾に……。
コスタンツォとベルタの子どもたちは貴族の館で奉公しているはずだ。わたしとも仲良くしてくれた彼らが盾にされたことにも腹が立つが、人の弱みにつけ込み、優しいコスタンツォにわたしの秘密を吐き出させたことも赦せない。
わたしはコスタンツォに笑ってみせた。
「仕方ないことだわ。お子さんたちを盾にされてドミッティラに従ったのは、あなたがいい親だからです」
コスタンツォもベルタも、泣きそうな顔をした。
「お嬢さま……」
「それに、今こうなっているのは、あの人たちの日頃の行いの積み重ねが原因です。あなたたちが気に病むことはありません。コスタンツォ、ベルタ、リーヴァリートさまとのお約束どおり、事を進めてください」
「はい」
コスタンツォとベルタは、醜く言い争っているドミッティラとザイラに向き直った。二人とも、覚悟を決めた顔をしている。
「奥さま、ザイラお嬢さま、わたしたちはあなた方がエメルネッタお嬢さまを虐待していたことを告発いたします」
ドミッティラとザイラはぴたりと動きを止めて、二人を見た。どちらともぽかんとしたような顔だ。
「こ、告発!?」
「ラヴィトラーノ家の相続人であるエメルネッタお嬢さまの養育も教育も放棄し、メイド扱いし、しかも無給で働かせていた――これは、罪に問われるべきことです。リーヴァリート卿の勧めで、辞めていった使用人たちにも連絡を取ったところ、皆口をそろえて『必要があればぜひとも証言したい』と言ってくれました」
「な……! 使用人風情が何を言っているの! わたしたちは貴族よ!」
「そうよ! この家から離れられなかったのは、他に勤め先がなかったからでしょう!」
わあわあ喚き立てるドミッティラとザイラに、コスタンツォはほほえんだ。この笑みを浮かべているときの彼は非常に怖いことを、わたしはよく知っている。
「わたしたちが辞めなかったのは、エメルネッタお嬢さまと亡き先の奥さまへの義理立てのためです。それに、わたしたちが辞めたらオルランド家が雇ってくださるそうなのでご心配なく。ということで、これをどうぞ」
「わたしの分もございます」
コスタンツォとベルタは折り畳まれた手紙をドミッティラに対して差し出した。
辞表だ。
コスタンツォは上級使用人である家令だから、あとで公証人と契約解除を確認する必要があると思うけど、彼らの意思ははっきりしている。
「おや、執行人が到着したようですね」
リヴァさまが水門を見て告げた。ちょうど漕ぎ手兼門番が扉を開けるところだ。もちろん彼も、ラヴィトラーノ家の使用人を辞めることになっている。
六名の執行人たちが館に入ってくる。ドミッティラとザイラは悲鳴を上げて、一階ホールから二階に上がる階段目がけて走り出そうとする。だが、執行人たちは手慣れたもの。すぐに彼女たちに追いつくと、魔道具の手錠を掛けてしまった。
「ドミッティラ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノおよび、ザイラ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノ、共和国の名において逮捕する」
ドミッティラとザイラはわたしを見ると泣き喚いた。
「お、お前のせいよ! 今に見ていなさい!」
「そうよ! 必ず戻ってきて復讐してやる!」
リヴァさまが怒りを込めた低い声で言い放つ。
「そんなことはあり得ませんので、ご心配なく。あなた方の裁判が終わり、刑が執行されたあとに出所したら、わたしの親戚の館で生涯メイドとして働いてもらいます。ああ、無給ですと法に触れますから、最低限の賃金はお支払いしますよ」
ドミッティラとザイラの表情が恐怖に引きつった。
「そ、そんなこと、前の婚家に残してきたわたしの息子が許すはずないわ! あの子はそのうち当主になるはずよ!」
最後の希望にすがるドミッティラに対し、リヴァさまはどこまでも冷淡だった。
「あなたのご令息にも連絡は取りましたが、『母と妹のことは好きにしてください』とおっしゃっていましたよ。お父君と死別したあと、ご自分を置いて妹だけ連れて出ていったお母君――つまりあなたですね――をひどく恨んでいらっしゃる様子でした。気持ちはとてもよくわかります」
「そ、そんな……」
「お兄さまはわたしたちを捨てたの……?」
狼狽するドミッティラとザイラを執行人たちが引っ立てて連れていく。水辺玄関の扉から出ていく彼女たちを見送り、わたしはその背中につぶやいた。
「さようなら……」
メイドとして働いた日々は楽しかった。でも、あの人たちのしたことは許されるべきではないと思う。
しばらくは思い出してしまうだろうけど、わたしには帰るべき場所があるんだ。だから、くじけたりしない。
リヴァさまが近づいてきて、わたしの指先を握ってくれた。まるで、「終わりましたね」と言うように。




