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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第42話 迎えに来てくれた

 暇すぎて時間を持て余していたが、時はしっかり過ぎるもの。夕暮れが終わると、月が輝く夜になった。

 宿の夕食を食べたわたしは、寝るまでの間、することもないのでバルコニーに出て、月を眺めていた。今は夏だから昼は蒸し暑いけど、夜は涼しくて過ごしやすい。


 リヴァさまやみんなはどうしているんだろう。リヴァさまは使用人のみんなに責められていないだろうか。エスターテは寂しがり屋だから、わたしがいなくなったことでリヴァさまを困らせているんじゃないだろうか。

 そんなことをぐるぐると考えながら。


 ふと、月に影が重なった。一対の翼の生えたシルエットが二つ。

 影はどんどん大きくなって、こちらに向かってきた。

 あれ、有翼獅子レオーネ・アラートじゃない?

 しかも、上に人が乗ってる!


 何度か優雅に羽ばたきながら、有翼獅子がバルコニーに降り立った。

 あれ、もしかしてプリマヴェーラ!? しかも、エスターテまでついてきてる!

 そして、プリマヴェーラから降りてきたのは……。


「リヴァさま……?」


 わたしが呼びかけると、リヴァさまはこちらに歩み寄りながら、いつものようにほほえんだ。


「予定よりだいぶ前倒しになりましたが、迎えに来ました」


 わたしもリヴァさまに駆け寄る。


「え、どうして……!?」

「この子たちがうるさかったのです。特にエスターテは自分に乗れ乗れ、と騒いで。とはいっても、彼はまだ子どもなので、プリマヴェーラに乗っていくことにしましたが」


 こちらに近づいてきたエスターテが、わたしに身体を擦りつける。わたしはエスターテの耳をなでた。


「そうだったのね。心配かけてごめんね」


 顔を上げると、リヴァさまは苦笑していた。


「エメルさん、わたしもしばらくこの宿に泊まることにします。もちろん、別室にお忍びで。その間に、計画を詰めましょう」


 事務的な言葉。でも、わたしにはよくわかっている。それが、リヴァさまがわたしのために真剣に考えてくれたことだと。

 だから、わたしは言葉に詰まってしまい、何も応えられなかった。

 リヴァさまはこちらの内心を察しているみたいに、穏やかに続けた。


「実は、あなたが家出のふりをしたことで、使用人たちが大騒ぎをしていまして、館にいられる雰囲気ではないのです。あ、叔父には成り行きで事情を話しましたが」


 そのあとで、リヴァさまは真剣な顔をした。


「計画を主導しておいてなんですが……もう、あなたに寂しい思いはさせません。というか、たとえ数日間でも、エメルさんと離れているなんて、わたしには無理です」


 思わず、目に涙がにじんだ。それでも、わたしは今口にしたい言葉を声に乗せる。


「……わたしにも無理です。本当は……一人になってすごく寂しかった……みんなと離れて……リヴァさまと離れて……すごく寂しかったんです……」


 途中から涙声になってしまった。ぼやける視界の中で、リヴァさまが眉を下げてほほえむ。次の瞬間、わたしは彼に優しく抱き締められた。


   ***


 わたしたちは室内に入り、長椅子に隣り合って座った。足元には、エスターテとプリマヴェーラがくつろいで座っている。


「今日は計画の話はなしにして、お互いの話をしましょう」


 そうリヴァさまは言い、わたしの涙をハンカチで拭ってくれた。わたしは涙声でうなずく。


「……はい」

「では、わたしから。子どものころ、庭に毎日同じ野良猫がやってきましてね。わたしは家族には内緒で、その猫に餌をやっていたのです。ですが、ある日、叔父にバレてしまいました。そのとき、叔父に言われましたよ。『リヴァ、一度世話をしたからには、その猫が死ぬまで面倒を見ろ。もし、それができないなら、ちゃんとした飼い主を探せ』と」

「それで、リヴァさまはどうしたのですか?」

「その猫と離れるのは嫌だったので、面倒を見ることを選びました。その子はもう、それなりの歳でしたが、それから十年間生きてくれました。今でもよく思い出します」

「リヴァさまが動物好きなのは、その子のおかげなのですね」

「はい」


 リヴァさまがしてくれた大切な話。初めて家族に迎えた猫の話。

 わたしはなんの話をしよう。現世の話? 大切な思い出はたくさんあるけど、猫の話には見合っていないような気がする。いや、探せば見つかるのだろう。でも、とっさには思いつかない。

 だとしたら……。


 正直、すごく勇気がいる。この国の常識では、どんなふうに思われるのかわからない。

 だけど、リヴァさまなら……。

 わたしは小さく深呼吸をした。


「……リヴァさまは、『前世』とか『過去生』というものについて、考えたことがありますか?」


 リヴァさまは彼には珍しく、ピンとこない顔をした。


「『前世』? 生まれる前に経験した世、ということですか? 国教(トゥットラーニ教)にはない概念ですが、はるか東方まで旅した貿易商が、そんなことを教えてくれたような……」

「そのとおりです。……この世界でも、そういう考え方をする国があるのですね」


 リヴァさまは不思議そうに首を傾ける。


「ちょっと待ってください。エメルさんは書物などでその話を知ったわけではないのですか?」


 わたしは更に勇気を出した。


「はい……信じてもらえるかわかりませんが……わたし、実は前世の記憶があるのです」


 リヴァさまは目を大きく見開き、それから顎に手を当て、真剣に考え込んでしまった。


「ふむ……確かにエメルさんの錬金術についての学習能力の高さは、前世で錬金術に似た知識を学び、覚えているから、と言われたほうが納得できます。それに、次々と画期的な新商品を思いつき、開発できたことにも説明がつく……」


 想像以上のリヴァさまの物分かりのよさに、わたしはびっくりしてしまった。


「え! 信じてくれるのですか!?」

「信じる信じないというより、そう考えたほうが合理的なので」


 す、すごい。リヴァさまの合理的思考力を甘く見ていた。

 リヴァさまは少し遠い目をした。


「そうだったのですね……だからエメルさんはあのような劣悪な環境下で、錬金術の知識を身につけられた。ようやく納得しました。前世でエメルさんはどのような人生を送ったのですか?」

「今のように家事が大好きで、家事を仕事にしていたのですけれど、二十五歳で事故に遭って、それで……」

「そうですか……結婚はしていたのですか?」

「いいえ。当時のわたしの国では、女性でも二十五歳で結婚するのは早婚のほうでしたし、わたし、あまり恋愛には縁がなかったもので」

「付き合っていた男性は?」


 ええ!? なんでそんな話に!?

 リヴァさまは気になるんだ。まあ確かに、わたしもリヴァさまに女性不信の過去がなかったらどんな女性と付き合っていたのか、気になっていたかもしれない。

 わたしは正直に答える。


「学生時代――あ、わたしの国では子どもは教育機関に通うことが義務だったので――に何度か男性を好きになって、一度だけ告白したことがあります。……お付き合いするのは断られましたけれど」

「告白……」


 リヴァさまは眉間にしわを寄せ、黙り込んでしまった。……怒ってるのかな?

 やがて、リヴァさまは口を開いた。


「正直、嫉妬してしまいます。エメルさんに好きな男がいたことに」


 わたしはとっさにこう言っていた。


「異性から嫉妬されるなんて初めてです!」


 リヴァさまは軽く目をみはり、くすりと笑った。それから、わたしの方を見て、目を細める。


「あなたのように、可愛らしくて稀有けうな女性が妻になってくれること、神々に感謝します」

「わ、わたしのほうこそ! リヴァさまのように物分かりがよすぎる方を夫にできるなんて、女神ヴェラーナさまに感謝してもしきれません」

「エメルさん」

「はい」

「この計画が無事に遂行できたら、結婚契約書を書き換えませんか? もちろん、わたしたちの間で取り交わされたほうをです」

「そ、それって……!」


 もしかして、契約結婚に関する条項を取り消して、本来の夫婦になるってこと? それは、願ってもない話だ。

 リヴァさまと、ごく普通の夫婦になれる……どうしよう、すごくうれしい。

 だから、わたしははっきりと答えた。


「はい。ぜひ、書き換えましょう。文面は二人で考えましょうね」

「はい。今度は後悔がないようにじっくりと」


 リヴァさまはほろ苦さをにじませた笑みをこぼした。

 わたしもだけど、リヴァさまもあの契約書を交わしたことを後悔していたんだ。そう思うと喜びが込み上げてきて、わたしはそっと彼の肩に頭を寄りかからせた。

 リヴァさまはちょっと驚いたようだったけど、しばらくは何も言わず、身体も動かさず、そのままでいてくれた。

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