第41話 皆の反応(リーヴァリート視点)
「旦那さま、説明してください! なぜ、エメルネッタさまが出ていかれる必要があるのですか!!」
エメルネッタが家を出ていくのを見届けてから、遅めの出勤をしようと思っていたリーヴァリートは、従者とともに下りていった一階ホールで使用人たちに取り囲まれてしまった。
クローエもロミーナも、まなじりをつり上げてこちらを見ている。
事情を知っているエルモだけが、「諦めてください」と言いたげな顔で首を横に振った。リーヴァリートの側近だということで、他の使用人たちから相当絞られたのだろう。
(すみません、エルモ。いや、人のことよりも……)
リーヴァリートは説明するために口を開いた。
「実は昨日、少し彼女とケンカをしてしまいまして」
「おかしいですよ! 少しのケンカで婚約者が出ていくものですか!」
「そうですよ! エメルネッタさまのせいにしていませんか!?」
「男って、いつもそうなんですよ! 元彼もひどい男でした!」
話が飛び火している。内心で危機感を覚えながらも、リーヴァリートは平静を装うことにした。
「お互いに冷却期間が必要だと思っています。これはわたしとエメルネッタさんの問題なので、口出しは無用です」
そう言って水辺玄関に下りようと思っていたところで、来客を告げるベルが鳴った。格子窓を確認した門番が、救われたように「アルマンドさまです!」と告げる。
いよいよ面倒なことになってきた。叔父を追い返すわけにもいかず、リーヴァリートは仕方なく命じる。
「……お通ししてください」
水辺玄関に現れたアルマンドは、真剣な顔で石段を上り、一階ホールに立った。使用人たちに囲まれているリーヴァリートを見るなり、腕をつかむ。そのまま、リーヴァリートは二階の応接室に連行される。
「叔父上、今日は出勤のはずでは?」
部屋に入ったリーヴァリートが尋ねると、アルマンドがいらだったように答える。
「出勤中に、オルランド家のゴンドラを見かけたんだよ。お前かと思ったら、商会とは違う方向に向かっていくじゃないか。気になって跡をつけさせたら、高級宿の前で停まって、中からエメルネッタさんが出てきた。驚いたのなんのって」
偶然もあるものだ。何から説明したものかとリーヴァリートが考え込んでいると、アルマンドは語気を荒らげる。
「エメルネッタさんは出ていったんだろう? リヴァ、俺は噂の出どころを調べろとは言ったが、彼女を追い出せとは言っていない。俺も両親も、お前をそんな人でなしに育てた覚えはないぞ」
リーヴァリートはため息をつきたくなった。愛妻家の叔父は、これは芝居だということを伝えないかぎり、説教をやめないだろう。これでは仕事だけでなく、肝心の計画にも差し障りが出る。
仕方ない。本当は、アルマンドにもギリギリまで真実は伝えないつもりだったが、背に腹はかえられない。
リーヴァリートは口を開いた。
「あれは芝居です」
「は?」
「エメルネッタさんと相談して、わたしたちが不仲だと、一時的に見せかけるようにしました」
「もしかして、ラヴィトラーノ家に対抗するためか?」
アルマンドはだいぶ落ち着きを見せた。安堵したリーヴァリートは説明する。
「対抗するというより、徹底的に叩き潰すためです。噂について確かめるために、ラヴィトラーノ邸に赴いたわたしを、ドミッティラ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノは、エメルネッタさんの偽の婚約者まで用意して実娘を押しつけようとしてきました。……今思い出しても腹が立ちます」
「それは災難だったな。だが、お前のことだ。噂について確かめたあとは、エメルネッタさんに近づけないように、ドミッティラを締めるつもりだったんだろう?」
「はい。ですが、予想をはるかに上回るひどさに、気が変わりました」
「どちらかというと新興貴族とはいえ、ヴァルツィモア貴族の未亡人とその娘を排除するんだ。根回しはしておけよ」
「そのあたりは抜かりなく進めています。それに、エルモに命じて、わたしたちが婚約解消するかもしれないという噂を流しているところですし、ラヴィトラーノ家の使用人たちとも連絡を取るつもりです」
「それならいい。お前は俺よりもそういうのが得意だからな」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「で、いつエメルネッタさんを迎えにいくつもりだ?」
リーヴァリートは言葉に詰まった。エメルネッタがどんな気持ちで、一人、宿に泊まっているかを想像してしまったからだ。
エメルネッタは強い女性だが、今頃、心細い思いをしているかもしれない。
(本当は……今すぐにでも迎えに行きたい)
そう思いつつも、リーヴァリートは冷静に答える。
「彼女とは数日後に合流する予定です。そのうえで、エメルネッタさんとわたしで最後の仕上げをします」
「最後の仕上げ?」
「それは叔父上にも申し上げるわけにはいきません。二人だけの秘密ですので」
「やっぱり仲がいいな、お前たちは」
アルマンドが声を立てて笑う。すると、閉じていたはずの扉が開く音がした。
二人が扉の方を見ると、有翼獅子の母子、プリマヴェーラとエスターテがのっそりと部屋に入ってくるところだった。自分たちで扉を開けたらしい。
エスターテは立ち話をしていたリーヴァリートのそばまで歩いてくると、「ボオ!」と吠えた。
「エスターテ、どうしたのです?」
リーヴァリートが聞くと、エスターテは伏せをするように座り込んだ。プリマヴェーラはその少し後ろに座っている。
エスターテが二、三度、翼を羽ばたかせる。
あっけに取られて様子を見守っていたアルマンドがつぶやいた。
「もしかして……背中に乗れってことじゃないか?」
確かにエスターテは大人一人が乗れるくらいには大きくなった。だが、人間の年齢に換算すれば、まだ五歳。長身のリーヴァリートが乗るには小さいくらいだ。
それでも、率先してリーヴァリートを背中に乗せたい理由。それがあるとすれば。
「自分に乗ってエメルネッタさんを迎えに行け、と言いたいのですか?」
エスターテが「ボオ」と鳴く。
「まだ早すぎます。それに、わたしたちは本当にケンカをしたわけではありません。あなたたちが気をもむ必要はないのですよ」
懇々と説明しても、エスターテは納得した表情を見せない。リーヴァリートは困ってしまった。
自分だってエメルネッタを迎えに行きたい。だが、今すぐは……本当は行きたいが、今すぐはダメだ。
リーヴァリートは片膝を突き、エスターテと視線を合わせる。
「わかりました。ただし、夜になってからです。昼間に有翼獅子に乗って街に出るのは目立ちすぎます。それと、わたしが乗るのはあなたではなく、プリマヴェーラにします。エスターテはまだ子どもです」
エスターテは抗議するように鳴いた。
「ボオ!」
プリマヴェーラはそんな息子を優しい目で見守っている。
笑い出したアルマンドが、「あ」と気づいたように言った。
「リヴァ、お前、有翼獅子に乗れるのか?」
「プリマヴェーラの世話の仕方について講習を受けたとき、興味があったので少し学びました」
有翼獅子はヴァルツィモアのシンボルであり、手厚く保護されている動物だが、政府の速達郵便や軍事に使われることもある。
その際は人が乗って指示を出すので、有翼獅子を操縦する技術は連綿と受け継がれており、許可されればそれを学ぶことが可能なのだ。
夜までに、プリマヴェーラ用の鞍を用意しておく必要があるだろう。
(とはいえ、使用人たちがわたしの命令に従ってくれるか、怪しいものだな……エルモが倒れないように気を配っておこう)
エスターテがこちらを見張るように応接室から動かないので、〝今日はここで仕事をするしかない〟とリーヴァリートは諦めた。
夜になってエメルネッタを迎えに行ったら何を言おう。
そう考え始めてしまうと、仕事が手につかなくなるので、たびたび自分を叱咤しながら。




