第4話 わたしと結婚してくれませんか?
わたしが呆然としていると、リーヴァリートさまは頭に手をやった。
「あなたがこれ以上虐待されないように、あの人たちから引き離す必要があると判断しました。ここには、エスターテがついてきていないことに気づいて戻ってきたのですが、あなたを助けられてよかった」
いやいやいや、どこまで優しい方なの……!? さっき会ったばかりのメイドにそこまでしてくれるなんて。
極度の動物好きって、「人間はどうでもいい」って人もいるけど、彼は全生物に対して優しいのだろう。
あ! お礼を言わなきゃ。さっきは言いそびれてしまったし。
「本当にありがとう存じます。わたしのことを気にかけてくださっただけでなく、こうしてかばってくださって」
「いいえ、こちらこそエスターテを守ってくださり、ありがとうございます。エスターテはすっかりあなたに懐いたようですね」
わたしは抱き締めていたエスターテを見る。エスターテはくりっとした目でこちらを見上げ、「ナァ!」と鳴いた。
この子もわたしのことを守ろうとしてくれたのだ。胸がいっぱいになり、わたしは再度エスターテを抱き締めた。
その様子を穏やかな顔で見守ってくれていたリーヴァリートさまが、気遣わしげに声をかけてくる。
「ところで、あなたのご実家は? ご家族にはわたしが事情を説明しますし、陸上領土であろうときちんと送り届けますよ」
本当にいい方。でも、残念ながらわたしの実家はラヴィトラーノ家だ。リーヴァリートさまに嘘をつくのは忍びない。
わたしは勇気を出し、事情を説明することにした。
「実はわたし……奉公に出ているメイドではなく、あの人たちにとっては血のつながらない家族に当たるのです。年上の女性のほうが継母で、わたしを殴ろうとした女性はその娘――つまり義理の姉なのです」
「……もしかして、お父君の死後、継母と義姉に虐待されているというパターンですか?」
「大体そのようなものです。ただ、我が家では父が生きていたころから、わたしへのメイド扱いは始まっていました」
リーヴァリートさまが眉間にしわを寄せる。〝せっかくの美しいお顔が!〟と思い、わたしは言い訳がましく言葉を重ねた。
「で、でも! わたしは家事が大好きなので、メイドの仕事は天職というか。我が家の使用人たちもいい人ばかりですし、未だに『お嬢さま』と呼んでくれるのですよ」
「あなたの気持ちは?」
「え?」
「あなたは本当にそれでいいのですか? いくら家事が好きだからといって、暴力を振るわれても満足なのですか?」
「そ、それは……」
本音を言えば、わたしだって、できれば暴言は吐かれたくないし、殴られたくもない。
わたしはぽつりと言った。
「……家事は大好きですけれど、暴言や暴力は嫌です」
リーヴァリートさまは「よく言えましたね」と言うように、目を細めた。彼の笑顔は温かくて柔らかい。
「やはり家に戻るのはやめたほうがいいでしょう。ところで、あなたのお名前と家名は?」
そういえば、まだ名乗っていなかった。リーヴァリートさまの名前を知ったのも、ドミッティラとザイラが彼に気づいたからだし。
わたしはすっくと立ち上がって名乗る。
「エメルネッタ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノと申します」
「エメルネッタ……よい名前ですね。ふむ、ラヴィトラーノ家ですか。どちらかというと新興貴族ですね。確か、元々は陸上領土の貴族でしたか」
「そうなのです。祖父が錬金術に傾倒していて、戦時中にお抱えの錬金術師たちに新しい火薬を作らせたのだそうです。その功績が認められて、当時、貴族身分が開放されていたヴァルツィモア本島の貴族になったのだとか」
わたしが図書室で錬金術を学べたのも、祖父が錬金術に関する本をたくさん残してくれていたおかげだ。
リーヴァリートさまはうなずいた。
「祖父君の話は聞いたことがあります。当時は戦費捻出のためという事情もあって、なんらかの功績を立てたり、裕福だったりすれば、ヴァルツィモア貴族になる道が開かれていましたからね」
リーヴァリートさまはオブラートに包んでおっしゃったけど、要は当時、ヴァルツィモアの貴族身分を金で買った、陸上領土の貴族や富裕層が多かった、ということなのだ。我が家は新型の火薬を作った功績と金の力、半々だったはずだけど。
ちなみに陸上領土というのは、ヴァルツィモア共和国の領土で、ヴァルツィモア本島から船で少しの距離に位置する、メアラタリー半島にある。
陸上領土の土着貴族は、ヴァルツィモア貴族とは認められておらず、政治に参加できないばかりか、姓に「パトリツィオ(女性はパトリツィア)・ディ」をつけることも許されない。
新興貴族の跡取りだった父は、ラヴィトラーノ家に箔をつけるために、旧家だが零落した家柄の娘を妻に迎えた。わたしの母だ。
母がなくなったあと、父は、そこそこの家柄出身で、そこそこの家柄の貴族に嫁いだ未亡人と再婚した。ドミッティラだ。
ドミッティラは長男を最初の婚家に残して再婚したが、娘のザイラだけは連れてきた。あの人はザイラを猫可愛がりしているから、娘と一緒に暮らすことが再婚の条件だったのだろう。
父は長子のわたしが娘であることに失望していたから、ドミッティラとザイラがわたしをメイド扱いしても、大して口出ししなかったのだと思う。
というのも、ヴァルツィモア貴族は男子しか家督を相続できないからだ。入り婿が家督相続を認められた例も少数ながらあるが、名家に限られている。
女性であるわたしは、財産相続権は持っているものの、ヴァルツィモア貴族としてラヴィトラーノ家の当主になる資格はない。私には弟もいなければ、若い男性の親戚もいないので、ヴァルツィモア貴族としてのラヴィトラーノ家は、父の代で断絶ということになる。
家や財産は残るから、わたしとザイラは結婚するまで、ドミッティラは未亡人で居続けるかぎり、「パトリツィア・ディ」を名乗ることは許されているけどね。
ただ、ラヴィトラーノ家はヴァルツィモアとは制度の違う陸上領土の貴族でもあるので、そちらの家督はわたしに息子が生まれれば継がせることはできる。
前世の先進国では考えられないようなことだけど、それは先人たちが権利を勝ち取ってきたから。当たり前のように権利を享受できていた前世は恵まれていたんだなあ、と今になって痛感する。
ところで、わたしがいろいろ考えている間に、リーヴァリートさまがぐるぐる歩き回りながら、「家柄は悪くない……」だの「容姿も性格も満点……」だの「いや、それは人としてどうか……」だの、ぶつぶつつぶやいているんだけど、なんなんだろう?
主人の様子を観察していたエスターテも、「ナァ?」と小首をかしげている。かわゆい。
わたしは居たたまれず、リーヴァリートさまに声をかけることにした。
「あの……どうなさいました?」
リーヴァリートさまはぴたりと止まった。わたしを振り返り、真剣な表情で口を開く。
「エメルネッタ嬢、わたしと結婚してくれませんか?」




