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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第39話 婚約解消

 外出から帰ってきたリヴァさまは、何かを深く考え込むような顔をしていた。一階ホールでわたしと目が合うと、いつものようにほほえんでくれる。


「……エメルさん、話があります。あとでわたしの書斎に来てください」


 珍しく、有無を言わさぬお願い。けれど、わたしに断る理由はなかった。リヴァさまがわたしを傷つける話をするわけがないから。


「はい」


 わたしはいったん自室に戻り、リヴァさまが落ち着くのを待ってから書斎に向かった。

 書斎に入ると、リヴァさまに椅子を勧められる。わたしが腰掛けたあとで、向かいに置かれた椅子に座ったリヴァさまは、開口一番言った。


「エメルさん、婚約解消してください」

「え……」


 わたしはとっさに何も言えなくなった。

 どうして? わたし、何かしてしまったんだろうか。

 頭がすっと冷たくなり、心臓がバクバクと嫌な音を立てている。目に涙まで浮かんできた。

 嫌だ。リヴァさまと離れたくない。


 わたしの様子を目にしたリヴァさまが、今までに見たことがないくらい取り乱す。


「あ、申し訳ない! エメルさんのことが嫌いになったわけではないのです! わたしとしたことが、説明を省き過ぎてしまいました!」


 リヴァさまが椅子から立ち上がり、わたしの前でひざまずいて目線を合わせる。こぼれ落ちたわたしの涙をハンカチで拭ってくれた。リヴァさままで泣き出してしまうんじゃないかと思うような顔で、切々と訴える。


「きちんと説明すべきでしたね。実は、わたしは先ほどラヴィトラーノ邸に行ってきたのです。エメルさんの継母があなたによからぬことを企んでいるのではないか、という疑惑があったもので。そこでわたしは、エメルさんと婚約していたという男性と会いました」

「そ、そんな人知りません!」


 わたしは思わず大声で主張していた。

 わたしは前世でも現世でも、リヴァさま以外の人と婚約したことはない。

 リヴァさまは愛おしそうな目で、わたしを見た。


「わかっています。その男性はドミッティラ――呼び捨てにしますね――が用意した偽物です。ドミッティラは他にも、社交界にエメルさんが浮気しているという噂を流しています。わたしたちの婚約を破談にするためでしょう」


 それじゃ、婚約解消したらドミッティラの思うつぼなのでは?

 訳がわからず、わたしはただただリヴァさまを見つめる。

 リヴァさまは真摯な目をして言った。


「この婚約解消は、見せかけのものです。ドミッティラを油断させるための。まずは、ドミッティラの友人経由でわたしたちが婚約解消するかもしれない、という噂を流します。すでに浮気の噂が流れているので、人々も自然に受け入れるでしょう。そのうえで、エメルさんが一時的に家を出れば、ドミッティラを完全に欺けます。そのあとでわたしとエメルさんが合流、エメルさんの安全は確保し、わたしがドミッティラとザイラを二度とあなたに関われないようにします。もちろん、すべてが終わったら、実は婚約解消などしていなかったことや、ドミッティラの悪事を大々的に世間に公表します」


「あ……そういうことですか。すみません、頭が混乱していて」

「いいえ、わたしのことをひどい男だと思ったでしょう。申し訳ありません、芝居にせよ、あなたを追い出すことになるのですから」

「でも、それじゃリヴァさまが一方的に泥をかぶることになるのでは……? アルマンドさまや使用人たちには、真実を話すのですか?」


 きちんと話さなければ、リヴァさまが彼らの信用を失ってしまう。

 リヴァさまは首を横に振った。


「わたしはなんとしても計画を成功させたいのです。ですから万が一に備え、叔父にも時が来るまで真実は話しません。エルモにはわたしの手足となって動いてもらう必要があるので、話す必要がありますが」

「どうして、そこまで?」


 リヴァさまのエメラルドグリーンの瞳に、炎が灯った。本気で怒っているのがわかる。


「エメルさんを虐待しただけでなく、名声と才能までも利用しようとしているからです。そのために、あなたの名誉を傷つけ、偽の元婚約者まで用意して、わたしと引き離そうとした。ゆるせません。バジーリアと同じくらい」


 わたしが傷つけられたから、利用されようとしているから、そこまでしてくれるの?

 でも、喜んでいいものなのか、よくわからない。


 わたしは不安げな表情をしていたのだろう。リヴァさまがきつくなっていた目つきを和らげる。


「もちろん、これは単にわたしがしたいと思っている、いわばわがままです。エメルさんが本当に嫌なら、わたしは別の手段であなたを必ず守り、ドミッティラたちに二度と手出しはさせません」

「わたしは……」


 正直、迷いはある。ドミッティラもザイラも悪人には違いないけど、そこまでする必要があるのだろうか。しかも、リヴァさまがアルマンドさまや使用人たちに誤解されてまで。

 わたしが悩んでいると、リヴァさまは言った。


「わたしのことなら気にしないでください。といっても、エメルさんは優しいですから、そうもいかないとは思いますが。ただ、わたしは自分の復讐心を満足させたいと思う一方、こう思ってもいます。エメルさんに真の意味で自分の人生を生きてほしい、と」

「わたしの、人生?」

「はい。ドミッティラやザイラがまた何かしてくるかもしれない……そう思ってしまうことで、エメルさんが心のどこかで窮屈に感じるようなことがあってはなりません。エメルさんが心の自由を確保できるのならば、わたしはそれでいいのです」


 リヴァさまの瞳はとても優しかった。

 じんわりと身体全体にしみ渡るような幸せを感じ、わたしの胸は熱くなった。

 こんなにもわたしのことを想ってくれる人は、前世でも現世でも何人もいなかったと思う。

 リヴァさまを幸せにしたいし、リヴァさまと幸せになりたい。


 自分の人生、わたしはまだ取り戻せていないかもしれない。

 自分の役目もやりたいことも見つかった気でいたけど、きっとそれだけじゃあダメだったんだ。

 わたしが抱くドミッティラとザイラへの復讐心は、たぶんリヴァさまより強くない。それは、わたしが好きなことをしていれば満足してしまう性分だからだろう。


 でも、区切りはつけるべきなのかもしれない。ドミッティラとザイラにしかるべき責任を取ってもらい、安心してリヴァさまと生きていくための、前に進むための区切り。

 だから、わたしはリヴァさまに言った。


「そこまでわたしのことを考えてくれて、ありがとうございます。基本的にリヴァさまの計画に従いたいのですが……わたしから一つだけ提案があります。いいですか?」

「どのような提案でしょう?」


 わたしが要望を受け入れたことに、リヴァさまは口元を綻ばせたが、やや不安そうだ。

 わたしは穏やかに答える。


「リヴァさまと合流したあとのことなのですが……」

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