第37話 きな臭い噂(リーヴァリート視点)
「……今、なんとおっしゃいました?」
オルランド邸の応接室、いつものように訪ねてきたアルマンドに、リーヴァリートは険の籠もった声で聞いた。
聞き捨てならないセリフを、叔父が口にしたからだ。
アルマンドは、あまり口にしたくはないが、と言いたげな表情で再び告げた。
「エメルネッタさんが浮気しているらしい、という噂が社交界でささやかれている」
「嘘ですね」
「当たり前だ。エメルネッタさんをはめようとしている者がいるのだと思う。おそらくはラヴィトラーノ家だ。今のうちに調べさせたほうがいい。噂がエメルネッタさんの耳に入る前に」
リーヴァリートは怒りを覚えながらうなずいた。
エメルネッタが浮気などするはずがない。そもそも、彼女は一人で外出することも少なく、研究室に籠もったり、趣味の家事をしたり、動物たちの世話をしたりと館で過ごすことが多いのに、どうやって浮気するというのだ。
しかも、オルランド家では先日エメルネッタの誕生日を祝ったばかりだ。リーヴァリートが贈った、現在商会で開発中の安全な原料で作られた化粧品一式を、エメルネッタはうれしそうに受け取ってくれた。
確かに、元首に表彰されてからは、エメルネッタに社交界からお呼びがかかることも増えた。だが、エメルネッタは研究を優先したいからという理由で極力断っている。どうしても出席しなければならない場合は、彼女の要望でリーヴァリートと二人で夜会に参加する。
(ラヴィトラーノ家……エメルさんの実家だからという理由で大目に見ていたが、以前、叔父上から注意喚起を受けたときに、さっさと潰しておくべきだったか)
リーヴァリートは卓上のベルを鳴らす。現れた執事に、家令のエルモを呼んでくるように伝える。
「旦那さま、お呼びでしょうか」
「エメルネッタさんが浮気をしているという噂が、社交界に流れているそうです」
エルモは目を見開いた。
「まさか……」
「間違いなく流言飛語ですが、噂の出どころを調べる必要があります。エルモ、あなたに調査をお願いします。どんな手を使っても構いません。妻になる女性が貶められているのですから」
「かしこまりました」
エルモは恭しくお辞儀し、退出していった。
二人の会話を見守っていたアルマンドが口を開く。
「大丈夫か、リヴァ。さっきから顔が怖いぞ。エメルネッタさんには見せられないな」
「……怒っているからですよ。噂を流した人間にも、自分にも」
「自分に?」
「叔父上にだけは言います。嘘だとわかりきっているのに……嫉妬でどうにかなりそうな自分が嫌なのです」
リーヴァリートは決死の覚悟で告白したのに、アルマンドは肩透かしを食らったような顔をする。
「好きなんだからしょうがないだろ」
「そうですか?」
「そうだよ。俺だってクラリッサが浮気している、なんて噂が流れたら、怒りもするし嫉妬もするだろう。たとえ、それが嘘だとわかりきっていてもな。嫉妬するのは、お前がエメルネッタさんのことを好きだからだよ」
そう説明されると、少しだけ心が楽になった。
「ありがとうございます、叔父上。とりあえず、エルモの報告を待ってみます」
「ああ、それがいい。くれぐれも、エメルネッタさんに八つ当たりはしないようにな」
「しませんよ。彼女は何も悪くないのに」
むしろ、今まで以上に溺愛してしまいそうだ。こんなに、恋する相手への自分の執着が強いとは思っていなかったから。
〝ほどほどにしなければ〟と思いながら、リーヴァリートは話題を変えることにした。
***
調査を命じてから数日後、エルモが報告書を持って館の書斎に現れた。
「旦那さま、エメルネッタさまの噂に関する調査結果でございます」
「報告を」
「かしこまりました。まず、この噂が事実無根だと判明いたしましたことを、先に申し上げておきます」
リーヴァリートはひどく安堵している自分に気づき、苦笑したくなった。
「そうでしょうね。出どころは?」
優秀なエルモは、書類にちらっと目を落としただけで答える。
「出どころを探りました結果、噂を流していた貴婦人たちは、全てラヴィトラーノ家の母娘と親しくしておりました。その中の数人から話を聞いたところ、噂を流す見返りとして謝礼を受け取っていたそうです」
「やはり、ラヴィトラーノ家でしたか。なぜ、オルランド家当主の婚約者の名誉を傷つけるような、大それたことをしたのでしょうね。動機はわかりましたか?」
「当初、わたくしは、エメルネッタさまのご活躍が気に入らないからだろう、と考えておりました。ですが、それではつじつまが合わないのです」
「わたしも嫉妬が原因だろうと考えていましたが……エルモの見解は?」
「はい、申し上げますと、単なる嫉妬からの行動にしては巧妙すぎるのです。表面上は、旦那さまとエメルネッタさまの仲を引き裂くことが目的のように見えますが、彼女たちはその先を考えているような気がするのです」
「その先……?」
リーヴァリートは自分でも思考を巡らせてみて、ハッとした。
「錬金術師としてのエメルネッタさんに価値を見出した、ということですか?」
「さようでございます。エメルネッタさまがラヴィトラーノ家に戻り、新商品をご開発になれば、いくらでも富が入ってくるのですから。しかも、最近ラヴィトラーノ家を辞めた使用人からも話を聞けましたが、かの家ではほとんどの使用人が辞めてしまったそうです。そのあたりの事情もあり、なりふり構っていられなくなったのでしょう」
リーヴァリートはめまいがしそうなほどの激しい怒りを感じた。
(エメルさんを長年虐待しておいて、それを悔いるどころか、私利私欲のためにさらに利用しようというのか! バジーリアに劣らぬゲスめ)
だが、ここに怒りをぶつけるべき相手はいない。リーヴァリートはいったん、小さく深呼吸をした。エルモに向け、次の指示を出す。
「まずは、そのくだらない噂を止めることに専念してください。ラヴィトラーノ家への対応はこちらで行います」
「かしこまりました。ですが旦那さま、もしや……」
「はい、そのつもりです。エメルネッタさんを守るためにも、わたし自らラヴィトラーノ家に赴く必要があるでしょう」




