第35話 耳に届いた名声(ザイラ視点)
ヴァルツィモア市内のラヴィトラーノ邸では、ほとんどの使用人たちが辞めていなくなり、静けさが雪のように降り積もっていた。
もはや残っているのは、家令のコスタンツォとメイド長のベルタ、漕ぎ手のみ。この三人まで辞めてしまったら、ラヴィトラーノ家はいよいよ立ち行かなくなる。
ザイラも母のドミッティラも、さすがに三人の機嫌を損ねるわけにはいかず、以前のように横柄には振る舞えなくなっていた。これでは、どちらが主なのかわからない。
しかも、使用人たちがほとんどいなくなってしまった事実を周囲には隠さねばらならず、ストレスがたまる一方だ。
そんな中、ザイラは友人の令嬢から【香草茶の会】に招かれた。ベルタに身だしなみを整えてもらい、ゴンドラに乗る。
(全く、侍女たちまで辞めてしまうなんて……あれほどわたしにおべっかを使ってきたのに……)
本当ならお供を連れていきたいところだが、ベルタが館にいないと家政が滞るので仕方がない。
それに、外出に随行する侍女は格式の高い格好をしていなければならず、メイド長でしかないベルタは、お供に慣れていないうえに適当な衣装を持っていない。ベルタのために服を仕立てるのも癪だ。
今回の【香草茶の会】は小規模なので、侍女を連れていく必要があまりないのが救いだ。
かつて、オルランド家の夜会にはエメルネッタを連れていったが、あれはラヴィトラーノ家の相続人である彼女が自分たち母娘に従っているというアピールのためだった。だから、質はよくても野暮ったい、年代物のメイド服を着せた。
(ああ、もう! エメルネッタのことを考えると腹が立つ!)
多少美しいとはいっても、なぜあの娘がリーヴァリートの婚約者に選ばれたのか、ザイラには理解不能だ。自分のほうがはるかに美しく、優れた貴婦人なのに……!
むしゃくしゃしながらゴンドラに乗っていると、友人の邸宅に着いた。
今回の【香草茶の会】は真夏だということで、二階のサロンで行われた。香草茶とお菓子が並べられたテーブルを囲み、令嬢たちの会話が始まる。
「誰それが名家のご令息と婚約した」「誰それが結婚して早々に子を授かった」などなど、ザイラにとっては面白くない噂話ばかりだ。
「ところで、お聞きになりました? オルランド家ご当主の婚約者でいらっしゃるエメルネッタさまのことですけど」
ザイラは身体を硬直させた。それなのに、全神経が聴覚に集中してしまう。
「ああ、錬金術で掃除用具を開発して、元首閣下に表彰されたことですか?」
「情報が古いですわよ。この間は、ゾルポリ家令嬢の体調が急変した原因を突き止めたそうです。しかも、その解毒剤だか中和剤だかを作られたとか」
「あ、わたくしも小耳に挟んでおります! ベラドンナの目薬が原因だったのでしょう? わたくしは使い過ぎなくてよかったですわ」
「本当に。一度すべての化粧品を見直したほうがよろしいかもしれませんね」
「でも、エメルネッタさまが錬金術師として所属している、オルランド商会の化粧品なら安全なのではございませんか?」
「そうですね。オルランド商会は、ベラドンナの危険性を呼びかけているそうですわ。きっと、これからオルランド商会が作る化粧品は安全なものになるでしょうね」
「社交界にはあまりお顔を見せないらしいですけれど、エメルネッタさまはすごい方でいらっしゃるのですね。こんなことになるのなら、もっとお近づきになっておけばよかったわ」
侍女たちが辞めてしまったせいで、あまり社交界に参加できなくなったザイラは、エメルネッタが元首に表彰されたことも、錬金術師として活躍していることも知らなかった。
愕然として話を聴いていると、友人の一人が声をかけてきた。
「ザイラさまはエメルネッタさまとご連絡を取っていらっしゃるの? ずいぶんとひどい……というか、よそよそしい態度をおとりになっていたわよね」
明らかに、こちらが否定することを見越した質問だ。ザイラは乾いた口を開けた。
「……たまに連絡は取りますわよ? 義理とはいえ姉妹ですもの。当然でしょう?」
「それなら、今度エメルネッタさまを紹介してくださいな。エメルネッタさまほど才色兼備な方なら、きっと社交界の華になれますよ」
「ま、まあ、そのうち……」
その友人を除き、令嬢たちは誰もが気の毒そうな顔をしている。ザイラと親交がある令嬢たちは、自分たち母娘がエメルネッタをどう扱っていたかを知っているからだ。
彼女たちはこう思っているのだろう。
『まあ、おかわいそうなこと。せっかくお身内に出世した方がいらっしゃるのに、みすみす恨みを買うようなまねをして』
(悔しい悔しい悔しい……!!)
友人だと思っていた令嬢たちに嘲られたことも。
エメルネッタがリーヴァリートと婚約したことも。
そのエメルネッタに錬金術の才能があり、元首に表彰されるほどの功績を上げたことも。
(許せない! お母さまになんとかしてもらおう)
屈辱に震えながらも、席を立つことができなかったザイラは、藁にもすがる思いでそう考えていた。




