第34話 持ち込まれた事件(後編)
ベラドンナ――前世のヨーロッパでも、数百年前に化粧品の一種として使われていた目薬だ。
原料はナス科の多年草・ベラドンナで、猛毒のアルカロイドを含むが、薬用とされる。アトロピン、ヒヨスチアミンなどの製造原料だ。
多くの薬に副作用があるように、目薬としてのベラドンナも使いすぎると危険で、最悪の場合、死に至るという。
まぶしさを感じるようになったのは、ベラドンナに散瞳の効果があるからだ。
瞳孔を拡大し、美しく見せる効果のある一方で起こる副作用。
眼底検査の際、瞳孔を拡大する目薬を使うと、車の運転に差し支えるようなまぶしさと視界のぼやけに襲われる、と聞いたことがある。
「ご令嬢はベラドンナを頻繁に使っていらっしゃいましたか?」
「はい。『使うようになってから、美しいと褒められる』と大層気に入っていらっしゃいました。一日に何度もさしておいででしたね」
「何か月もですか?」
「もう三か月ほどになりますかしら」
間違いない。ご令嬢の錯乱の原因はベラドンナだ。ベラドンナは脳にも作用するため、長く使うと幻覚や感情の不安定さが出るようになる。半年以上使っていたら錯乱程度では済まなかっただろう。
前世で一時期、毒性のある物質について書かれた本やネット情報を見るのにハマっていたことが役立つ日が来るとは……。
「原因がわかりました。ご説明いたしますので、ご当主をお呼びください」
***
ゾルポリ邸の応接室。ゾルポリ夫妻とリヴァさまが椅子に座ってわたしの説明を聞いている。
わたしの説明を聞き終えたご当主は、顔を青くしながらも口を開いた。
「それでは……娘はベラドンナのせいで錯乱したのですか」
「はい。おそらく間違いないと思われます」
「治療法はありますか?」
「とにかく、もうベラドンナを使わないでください。それで症状の進行は止められるはずです。解毒剤については聞いたことがありませんが、わたしのほうで作れないかどうか試してみます」
ベラドンナの目薬の主成分である、アトロピン中毒の解毒剤になるのはフィゾスチグミンのはずだ。だが、原料は西アフリカ産なので、おそらくまだヴァルツィモアでは発見されていない。
ただ、この世界でベラドンナの目薬を作ったのは、化学に精通している錬金術師のはず。それなら、錬金術でどうにかなるのではないか、と思う。
ご令嬢もベラドンナを使い始めて三か月と、割と短い期間で進行した中毒なので、中和剤のようなものでも作れれば、早くに快方に向かうだろう。
現在もベラドンナが流通している以上、人の命に関わる問題だ。新商品の開発はしばらくお休みして、ビアンキ先生の力も借りつつ、解毒剤か中和剤を作ってみよう。
わたしの言葉を聞いたご当主は、いくぶんか安心したようだ。
「ありがとうございます。ぜひお願いいたします。娘が元の健康体に戻ってさえくれれば、謝礼に糸目はつけません」
「わたくしからも、ぜひお願いいたします」
ご夫婦そろって頼み込まれてしまった。これは、ぜひとも薬の開発に気合いを入れて取り組まないと!
「わたしのほうでも、ベラドンナの危険性を周知徹底し、市場に出回らないように尽力いたします。ご夫妻は朗報をお待ちください」
リヴァさまがそう締めくくり、わたしたちはお暇することになった。
帰りのゴンドラに二人で揺られながら、リヴァさまが言った。
「我が商会でも化粧品は取り扱っていますが、恥ずかしながら、今まで安全性に関しては考えたことがありませんでした」
「無理もありませんよ」
前世の日本で売られていた化粧品のように、細かく成分名を表記する義務もないし、化学がそこまで発達していないから仕方ない。
「ですが、エメルさんの助けを借りて、これからは安全性の高い化粧品を作ってみようかと思います。協力してもらえますか?」
優しくほほえむリヴァさまに、わたしはぐっと両の握り拳を作って答える。
「もちろんです! リヴァさまのお役に立てるだけでなく、世の女性たちが安心して美しくなれる手助けができるなんて、光栄です!」
「ありがとうございます。……ところで、もしかしてエメルさんがいつも薄化粧なのは、うすうす化粧品の毒性に気づいていたからですか?」
この質問に正直に答えるのは、ちょっとまずいかも。だって、前世の記憶があるから化粧品を避けていたわけだし。相手がリヴァさまといえども、前世の記憶のことは知られないほうがいい。
わたしはちょっぴり罪悪感を抱きつつ返答する。
「は、はい。錬金術の知識がある者としては、いろいろと引っかかることがあったので……」
「さすがですね。まあ、エメルさんは素顔も可愛らしいので、化粧の必要はあまりありませんが……メイクでより美しくなったあなたも見てみたいです」
破壊力のありすぎるセリフに、わたしはしどろもどろになって、「そ、そうですか……うれしいです」と応えるのが精一杯だった。
出会って一年近くたつけど、最近のリヴァさまはわたしの女性らしさを褒め過ぎる。これで告白はまだなんだから、もどかしいなあ、もう。
リヴァさまは、そんなわたしを眺めてクスッと笑った。
翻弄されている!
でも、リヴァさまが見せてくれた笑顔は、名家の当主でも大商会の商会長でもない、年相応の若者のものだ。わたしの前で、彼は心の鎧を脱ぎ捨てて素に戻ってくれる。
わたしはその事実が、ひどくうれしかった。




