第33話 持ち込まれた事件(前編)
その日、わたしは新商品の開発に勤しんでいた。庶民向けのドライシートの開発は一段落ついたので、時間に余裕ができたのだ。
前世でも現世でも、「庶民は上流階級の間ではやったものを好む」と聞いたことがあるので、どの程度売れるのか楽しみにしている。
今度作るのは、前世では欠かせなかったカーペットクリーナーだ。オルランド邸ではたくさん動物を飼っているので、あると助かるだろうな、という気持ちから開発を始めた。
初めて会ったときは生後三か月弱だったエスターテも、すっかり大きくなり、身体を覆う斑点が消えた。成獣の証であるたてがみも生えてきている。相変わらず、甘えん坊だけどね。
あとでエスターテをモフモフしてこよう、と思っていたとき、ノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
返事をすると、入ってきたのはリヴァさまだった。
「エメルさん、今よろしいですか?」
「大丈夫ですよ。まだ何を素材として使うか考えている段階ですから。正直、気分転換がしたかったところです」
リヴァさまは口元を緩めたあとで、「実は……」と話を切り出す。顔を引き締めたことから、深刻な話題であることがわかる。
「知人の貴族からの相談です。その方のご令嬢が【香草茶の会】に参加したところ、突如錯乱したそうなのです」
それは穏やかではない話だ。ただ、「錯乱」という言葉に引っかかりがある。前世でもそういう話を聞いたような気がしたのだ。ただ、友人知人が錯乱したわけではなく、何かで読んだ、とかその程度の記憶だったような……。
わたしが首をひねっていると、リヴァさまは真剣な顔で言った。
「エメルさん、錬金術師としてそのご令嬢を診てもらえませんか? 知人に、『高名な錬金術師でいらっしゃるエメルネッタ嬢に、ぜひ娘を診ていただきたい』と頼まれたのです。もちろん、謝礼も払うそうなので、ただ働きにはなりません」
「お金のことはともかく……錬金術師より医者に診せたほうがいいのでは?」
「医者では原因がわからなかったそうです。ただ、『薬品か何かが原因かもしれない』と言っていたので、どうせならエメルさんのような高名な錬金術師に依頼したい、と思ったそうです。それと、商人として言わせてもらいますが、お金のことは重要ですよ。たとえ知人であっても、報酬を受け取るか受け取らないかで、感謝されるか、それともいいように使われるか、明確に分かれてしまいますから」
うう、肝に銘じておこう。それにしても、「高名な錬金術師」と連呼されると、さすがにこそばゆい。
ただ、ビアンキ先生の助けがあるとはいえ、前世の商品を再現できたことから、わたしも錬金術師としての自覚を持つと同時に、自信がついてきた。わたしの知識が役に立つのなら、という思いもある。
それに、リヴァさまの役にも立てるし。リヴァさまとオルランド商会の名声に貢献できるなら、喜んで引き受けたいところだ。さっきから感じている引っかかりの正体も突き止めたい。
「わかりました。わたしでお役に立てるようなら、喜んで引き受けます」
***
リヴァさまの知人は、ゾルポリ家という貴族のご当主だった。リヴァさまとゴンドラに乗り、ゾルポリ邸に赴く。
出迎えてくれたご当主と夫人は憔悴しきっていた。よほどご令嬢のことを愛しているのだろう。
錯乱して以来、寝込んでいるというご令嬢の寝室に向かう途中で、ご当主からご令嬢の今までの経過を聞く。
「最初に現れた症状は不眠でした。次第にまぶしさを強く感じるようになり、日傘や帽子が手放せなくなりました。やがて動悸も頻発し、娘はその悩みを友人に手紙で書き送ったようなのです。そして、『気晴らしにでも』と誘われた【香草茶の会】で錯乱してしまいました。娘は自分の体調が悪いことよりも、友人たちの前で正気を失ったことにショックを受けているようで……」
お話から、強い苦悩が伝わってくる。わたしとそれほど歳の変わらない、多感なご令嬢だ。もう友人たちに合わせる顔がない、と思い詰めているのだろう。
しかし、不眠・まぶしさ・動悸・錯乱……やはり、どこかで読んだ覚えがある。
ご令嬢の寝室の前で、わたしはリヴァさまとはいったん別れた。婚約者でもない殿方が、年頃のご令嬢の寝姿を見るわけにはいかない。わたしだって、リヴァさまに他のご令嬢の寝姿を見てほしくないし。
いや、自分のだったらいい、というわけではないけど!
寝室の中に入る。ご令嬢は美しい顔立ちなのに、やつれた姿で眠っている。わたしは医師ではないので、触診はせず、ご令嬢の様子をただ観察した。
特に気になる点はなかったので、ご令嬢が身体に直接つける日用品や使っている薬などを夫人やゾルポリ家の使用人に見せてもらう。
「不眠が始まる少し前から今までに、召し上がったものを教えてください」
献立を考える料理人が呼ばれ、食事の内容を詳しく教えてくれた。
うーん、特に変わったものは食べていない。
もう一度、今までに見せてもらったものを思い返しながら、寝室を見回す。化粧台に目が留まる。先ほどは見落とした可愛らしい箱が載っていた。
「あの箱はなんですか?」
夫人が「ああ」という顔で答えてくれる。
「あれは娘の化粧品入れです。ご覧になりますか?」
ローズウォーターなどの基礎化粧品は見せてもらったけど、おしろいなんかはまだ見ていない。
転生してからは薄化粧しかしないから、完全に化粧品のことを失念していた。
「ぜひ見せてください!」
夫人がうなずくと、ご令嬢の侍女が箱を開けてくれた。化粧台の上に、次々と中身を置いていく。
この世界の化粧品には、前世の現代人から見ると、毒性が強くて危険視されているものも結構ある。例えば「鉛が使われているおしろい」とか「口紅や頬紅として使えるが、水銀を含んでいる、前世で【賢者の石】とも呼ばれていた辰砂」とか。
わたしが薄化粧しかしない理由も、化粧品の危険性ゆえだったりする。
そこまで考えて、ハッとした。侍女が広げた化粧品の中に、目薬のような小さな瓶があったのだ。
「これは、目薬、ですか……?」
「はい。こちらをつけると瞳が大きく見えるので、令嬢方の間ではやっているそうですよ」
穏やかに説明してくれる侍女に、わたしは必死に問うていた。
「ベラドンナ……この目薬の名前は、美しい淑女ですね!?」
「は、はい……」
驚く侍女をよそに、わたしはベラドンナの瓶を手に取った。




