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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第32話 新たな展開

 その日、わたしは初めて元首公邸の門を潜った。

 仮面舞踏会の思い出のある、【獅子の広場】までリヴァさまとゴンドラに乗り、いったん降りてから陸を歩く。それから、建物の外側にある【巨人の階段】を上り、正門から入ったのだ。


 文官に案内されながら、リヴァさまの右肘に左手を添え、話に聞く【黄金の階段】を上る。金箔きんぱく漆喰しっくいで装飾された見事な天井に、ため息が漏れる。


 わたしが元首ドージェと会う【謁見控えの間】は、三階にある。通路にはところどころ衛兵が立っていて、ここが元首公邸なのだということを嫌でも感じさせる。


「こちらが【謁見控えの間】でございます」


 文官が大きな扉の前で立ち止まった。両脇には二人の衛兵が立っている。

 二人の衛兵が、それぞれ両開きの扉を開ける。実際にはほとんど無音なのに、壮大な音がしたような気がした。文官が一礼して去っていく。


「わあ……」


 室内に入ると、思わず声が漏れた。壁に飾られた名画の数々に、フレスコ画が描かれた黄金の天井。あまりにも見事すぎて、感嘆の息も漏れる。


 奥の一段高くなっている壇上に豪華な椅子があって、豪奢な衣装を身にまとった六十歳前後の男性が腰掛けている。

 後頭部の丸みを帯びた先端が天井を向いている、コルノと呼ばれる帽子をかぶっていることから、その人が元首であることがわかった。


 元首を両脇から挟むようにして、計六名の男性が赤い絨毯じゅうたん沿いにたたずんでいる。噂に名高い元首補佐官だ。元首は常にこの補佐官たちと行動を共にするという。


「エメルネッタ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノ殿! および、その婚約者・リーヴァリート・パトリツィオ・ディ・オルランド殿!」


 扉の近くにたたずんでいた儀典官が、わたしたちの名を呼ばわる。

 わたし、本当に元首閣下に招かれて表彰されるんだ……。

 今まで信じ難かった事実が、急速に現実となって迫ってくる。


 わたしはリヴァさまにエスコートされながら、元首の前に進み出る。壇上の下で、いったんリヴァさまから手を離し、彼とともに最も敬意を込めたお辞儀をする。

 顔を上げると、元首はお歳を感じさせない若々しい顔に、人がよさそうな笑みを浮かべた。


「ほほう、そなたがエメルネッタ嬢か。そなたのような美しいご令嬢が、あのような画期的な商品を開発するとは……才色兼備とはこのことだな。リーヴァリート卿はよき縁に恵まれたな」

「恐れ入ります。仰せのとおり、彼女はわたしには過ぎた女性でございます」


 リヴァさまは普通に受け答えをしている。わたしなんか緊張でガチガチ、手汗もひどいのに。さすがはオルランド家のご当主だ。


「そうかそうか。エメルネッタ嬢はご婚約者のことをどう思っている?」


 ひえっ! わたしに質問が来た! そんなカジュアルな質問をされるとは予想だにしていなかったわたしは、必死に言葉を探す。


「……わ、わたくしも自分には過ぎた男性だと存じております。本当にもう、何から何まで素敵で、非の打ち所がございません」


 今すごく、この場では褒め過ぎたような気がする。一人反省会モードに入りそうなわたしに向け、元首は快活に笑ってみせた。


「なるほどなるほど!【床用ワイパー】誕生の裏には、そなたたちの仲(むつ)まじさがあるようだな! いや、わたしも見習いたいものだ」


 うん、元首閣下が大人の余裕を感じさせる方でよかった。


「さて、親書にも書いたが、このたびエメルネッタ嬢を招いたのは他でもない。【床用ワイパー】を開発し、昨今停滞していた我が国の商業を再び活発にしたそなたを表彰したい」


 元首の最も近くに立っている補佐官の一人が、筒状の紙を伸ばし、朗々と読み上げる。


「エメルネッタ・パトリツィア・ディ・ラヴィトラーノ殿、ヴァルツィモア共和国の名において、【床用ワイパー】を開発したそなたの功績に敬意を表し、表彰するものとする」


 補佐官から、再び筒状にした表彰状を受け取った元首は、それをわたしに授与してくれた。

 わたしが表彰状を手にかしこまっていると、元首が笑顔で尋ねてくる。


「ところで、エメルネッタ嬢、【床用ワイパー】だが、【汚れが落ちる魔法の布】のように、外国に輸出する気はないか?」


【魔法の布】は現在、近隣諸国に輸出しているところだ。隣国ではなかなか評判がいいと聞いているけど、輸出の計画は完全にリヴァさまにお任せしていて、わたしは関わっていない。

 わたしがリヴァさまに視線を送る前に、彼が答えてくれた。


「輸出に関しては、ただいま考えているところでございます。その前に、庶民向けの【床用ワイパー】を開発中でございますので、まずはそちらが先になりますこと、ご容赦くださいますよう」

「ほほう。高級路線のオルランド商会が、庶民向けの商品、とな?」

「オルランド商会の事業コンセプトは、以前から『女性の生活を潤す』でございます。家事を担うのはメイドをはじめとした庶民の女性が多く、庶民の奥方は自ら家事をせねばなりません。ならば、彼女たちの労力を減らすことこそが、オルランド商会の役目でありましょう」

「そうかそうか。さすが祖父君の薫陶を受けているだけのことはある。オルランド商会は将来も安泰だな」

「恐れ入ります」

「今後も励んでくれたまえ。それが共和国のためにもなる」


 元首閣下は笑顔だ。孫のような年頃のリヴァさまが、的確に返答したことがうれしかったのかもしれない。


「下がってよいぞ」

「はい。本日は誠にありがとう存じます」

「誠にありがとう存じます」


 リヴァさまのセリフに追随し、わたしは事なきを得た。

【謁見控えの間】を出ると、衛兵から離れた所でリヴァさまがふーっとため息をつく。


「……やはり、元首は噂どおりの方でした。もしエメルさんを一人でよこしていたら、製造・販売計画を変えられてしまうところでしたよ」

「え!? あのやり取りにそんな意味が!?」


 すっかり、噂とは違うよい方だと勘違いしていた。

 リヴァさまがついてきてくれて本当によかった。そう思う反面、駆け引きに慣れていない自分の情けなさを痛感してしまう。リヴァさまの右肘に添える手の力が、自然と強まった。


「……リヴァさま、ごめんなさい。頼りなくて」


 でも、リヴァさまは優しくほほえんだ。


「エメルさんが苦手な分野は、わたしがフォローしますから。逆に、新商品の開発はわたしにはできませんし。それに……」

「?」

「わたしは、あなたのそういうところが、可愛いと思います」


 頬が熱くなる。うつむいたあとで、おずおずと顔を上げると、リヴァさまの頬も赤く染まっていた。


   ***


 わたしが表彰されてから三日後、アルマンドさまがオルランド邸を訪れた。今日はリヴァさまも在宅しているので、わたしと二人、玄関ホールにてアルマンドさまを出迎える。

 挨拶もそこそこに、アルマンドさまはわたしに向けて言った。


「まずは表彰、おめでとうございます。実は、エメルネッタさんに直接知らせたいことがあって来たのですよ」

「ありがとうございます。ところで、知らせたいこととは……?」

「クラリッサによると、現在の社交界で、エメルネッタさんが元首から表彰された、ともっぱらの話題になっているそうですよ。『才能ある錬金術師がオルランド家当主の婚約者となり、彼を助けて大ヒット商品を開発し、表彰されるまでになった』と。貴族なら男女を問わず、話題にしているそうです」


 わたしがただただ驚いていると、リヴァさまが顎に手を当てた。


「ふむ……今のところよい噂が流れている分にはいいですが、このことを知ったラヴィトラーノ家がどう出るか……それだけが心配です」


 確かにそうだ。わたしに利用価値があることをあの人たちが知ったら、面倒なことになるかもしれない。

 不安が表情に出ていたらしい。アルマンドさまの前にもかかわらず、リヴァさまがわたしの肩にそっと手を置いてくれた。

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