第31話 青天の霹靂
「奥さま……いえ、エメルネッタさまにお手紙でございます」
そう言って、家令のエルモが手紙を差し出してくる。もしかして、わざと言い間違えた? 今までもエルモはわたしを敬ってくれていたけど、【床用ワイパー】が大ヒットしてからは特にその傾向が強くなったような……。
そう、あれから順調に売り上げを伸ばし、【床用ワイパー】は大ヒット商品となったのだ。
とはいえ、リヴァさまの奥さま扱いされて悪い気はしないので、わたしもそれらしく応じる。
「どなたからかしら?」
「封蝋に押されている印章は、ヴァルツィモア大印章――元首のものですね」
「はっ!?」
わたしは奥さまらしさを完全に忘れ、恐る恐るエルモから手紙を受け取る。
手紙を閉じている大きな封蝋には、確かに有翼獅子の印章がくっきりと押されている。この国では元首しか使えない印章であり紋章だ。
元首――貴族で構成された大評議会で選ばれる、ヴァルツィモアの代表者。選挙で選ばれるのに終身職であることが、前世の民主主義国家の代表と違うところだ。
「いとも晴朗なる君主」と称されるので、敬称は日本語に翻訳すると「殿下」でもいいような気がするけど、わたしは「閣下」と翻訳している。君主とはいっても、選挙で選ばれる共和制国家の代表だし、だいぶ権力に制限がかけられているから。
立憲君主制の君主と決定的に違うのは、血筋によって選ばれないところ。貴族しかなれないし、元首を何人も輩出している家系もあるけどね。
とにかく、元首の紋章であるヴァルツィモア大印章を目にしたわたしは固まってしまった。
中身を読むのが怖い! 知らない間に自分が犯罪に手を染めていたらどうしよう! 脱税の罪とかで! ヴァルツィモア貴族には納税の義務があるのだ。
オルランド商会所属の錬金術師になってから、わたしも給料やボーナスをもらっているけど、税金のことはリヴァさまに任せっぱなしなのだ。今度、リヴァさまに詳しく聞いてみよう。
というか、何が書かれているのかが怖すぎるから、この手紙はリヴァさまと一緒に読んだほうがいいような気がする。
庶民向けのドライシートの開発に取り組んでいたわたしは、研究室を出て二階に下り、リヴァさまの書斎に向かった。
扉をノックし、リヴァさまの返答のあとに入室する。
机の前に座るリヴァさまは、書類から顔を上げた。
「どうしました?」
こちらを見てふわりとほほえむリヴァさまに相好を崩しそうになり、わたしは咳払いをする。この表情は元首からの手紙を見せるのにふさわしくない。
わたしは机を挟んで、リヴァさまの前に立った。封蝋に押された印章を彼に見せる。
「リヴァさま、聞いてください! 実は元首から手紙が届いたのです! ヴァルツィモア大印章が封蝋に押されているので、間違いありません!」
一瞬、リヴァさまはぽかんとしたのだけど、すぐに興味深そうな顔になった。
「大印章が押されているということは、元首じきじきの親書でしょう。内容が気になりますね」
「げ、元首閣下御自らお書きになった手紙だということですか!?」
「おそらく。開封してみては?」
「は、はい……!」
封蝋を半分剥がして手紙を開封する。現在のヴァルツィモアでは、手紙は一枚の紙を折り畳んだものが主流なので、震えそうになる手を叱咤しながら、手紙を開いていく。
手紙を黙読したわたしは、ますます信じられないような気持ちになり、その場に縫い留められたように硬直した。
落ち着いていながら、じれたようなリヴァさまの声が耳に届く。
「……なんと書いてあるのですか?」
わたしは我に返り、手紙の内容をかいつまんで伝える。
「あ、すみません。大評議会でわたしの表彰が決議されたので、近々、元首公邸に来てほしい、と書かれています。
「表彰?」
「はしょり過ぎましたね。【床用ワイパー】を開発し、我が国の商業を活発にした功績を表彰したいのだそうです」
表彰――前世でたとえるなら、叙勲されるようなものだ。
すごいことだけど、戸惑いも大きい。わたしは正直に、懸念を口にした。
「……ですが、【床用ワイパー】を売ってくださったのは、リヴァさまやアルマンドさま、それに社員の皆さんですよね?」
「確かにそうですが、そもそもエメルさんがいなければ、市場に出ることはなかった商品ですよ。ふむ、今の元首はなかなか食えない人物だそうですが、オルランド商会ではなく、開発者のエメルさんに目をつけるところがやはり抜け目ない」
政治的な駆け引きということ? わたしの頭では処理できず、パニック寸前になってしまう。
「え? え? どういうことですか?」
「元首は【床用ワイパー】と【汚れが落ちる魔法の布】が、我が国の新たな産業になると見込んで、あなたとのコネクションを築いておいて損はない、と考えたのでしょう。そのための親書であり、表彰です」
「……そう言われると、なんだか怖いですね。元首に利用されたりするのでしょうか?」
リヴァさまはこちらを安心させるように、フッと笑った。
「わたしも叔父もついていますから、大丈夫ですよ。先方にとって、わたしは『まだ議席も持たぬ若造』ですが、それを逆手に取るということもできます」
ドミッティラにわたしたちの結婚契約書にサインさせたときも思ったけど、リヴァさまは策士だ。彼が大評議会の議席を持つ二十五歳になり、世間から一人前として扱われだしたら、困る人たちが相当出てくるような気がする。
でも、わたしにとっては心強い。特に、自分の開発した商品の利権が、貴族の権力闘争に巻き込まれる可能性がある、と知ってしまった今では。
わたしは、こちらを見上げているリヴァさまに尋ねる。
「リヴァさまは、この表彰を受けるべきだと思いますか?」
「あなたの功績です。受けるべきだと思いますよ」
即答だった。リヴァさまは、単に好きというだけでなく、現世でわたしが一番信頼している人だ。その人に背中を押してもらったのだから、覚悟を決めるべきだと思った。
「わかりました。わたしが表彰されれば、オルランド商会にさらに箔がつきそうですし。……ただ、まだ少し怖いのです。この手紙には、表彰される場所は元首公邸だと書いてあります。元首公邸なんて、わたしには縁がない場所だと思っていましたから」
元首公邸は単に元首が住む館というだけではなく、議会や委員会が開かれるヴァルツィモアの政治の中心だ。貴族であっても女性は政治に参加できないので、出入りすること自体がレアケースだといえる。
わたしの緊張が伝わったのだろう。リヴァさまがほほえんだ。
「エメルさんが不安なら、わたしがエスコートしましょうか?」
それは願ってもない!
「いいんですか!?」
「わたしは喜んでエスコートしますし、この場合、可能だと思いますよ。エメルさんはオルランド商会に所属する錬金術師なうえ、わたしの婚約者でもありますしね。申し出を邪魔されたとしても、わたしがなんとかしてみせます」
「心強いお言葉です……!」
リヴァさまは本当に頼りになる。
わたしはリヴァさまにエスコートをお任せすることにして、親書の返事に関する相談を始めたのだった。




