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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第29話 春迎えの祭りと想いの自覚

 その夜、商会から帰ってきたリヴァさまを、わたしは一階ホールで出迎えた。


「お帰りなさいませ、リヴァさま」

「ただいま帰りました」


 リヴァさまは優しく笑い、伴ってきた従者に、以前わたしが贈った帽子を渡す。それから、少し遠慮がちにこちらに近づいてくる。


「エメルさん、もうすぐ春迎えの祭りがあるでしょう?」

「はい。楽しみですよね。わたしは見物に行ったこともありませんが」


 母が生きていたころは、まだ小さいからはぐれたら危ない、という理由でバルコニーから、賑わう街を眺めるだけだった。

 成長してからはドミッティラの嫌がらせで、見物に行かせてももらえなかった。

 リヴァさまは理由を察したようで、表情に怒りをにじませた。


「見物に行ったこともない……。それはひどい。ぜひわたしと春迎えの祭りの初日を一緒に過ごしましょう。もちろん、テラスやバルコニーから眺めるのではなく、街に出掛けて、マスケラとして参加しましょう」


 え!? リヴァさまが一緒に行ってくれるの!?

 マスケラとは「仮面」の意味であるとともに、仮面をつけ仮装して、春迎えの祭りに参加する人たちの意味でもある。

 うれしさがぶわっとあふれ出てくる。


「はい! お供させてください!」


 リヴァさまは苦笑した。


「お供ではありませんよ。夫婦は対等でしょう?」


 それは、リヴァさまが日頃から言ってくれるセリフだった。

 ん? 夫婦、というか、婚約者同士として春迎えの祭りに行くってこと?

 それって……。


「もしかして……デートのお誘いですか?」


 リヴァさまの頬が赤く染まった。

 か、可愛い……!

 もしかして、恥ずかしがってる? うわわ、わたしまで恥ずかしくなってきた……。

 リヴァさまは金色の眉を下げて、自信なさげに尋ねてくる。


「ダメ……でしょうか?」

「いいえ! わたしでよければ喜んで!」


 自分でもびっくりするほど即答だった。というか、断る理由が見つからない。

 リヴァさまは軽く目をみはったあとで、ニコッと笑った。


「ありがとうございます。では、どんな仮装をするか、祭りまでに決めていきましょう。当日はどんなルートで行動するかも、わたしに任せてください」


 さすが、リヴァさま。頼りになる。というか、リヴァさまも仮装するのね。それはかなり楽しみかも。


 それにしても、こんなに素敵な形で春迎えの祭りに初参加できる日が来るとは思わなかった。〝当日まで体調には気をつけないと〟と思いながら、わたしはリヴァさまに向けてうなずいた。


   ***


 そして、春迎えの祭り初日の朝がやってきた。

 衣装はリヴァさまと二人で選んだ、水色に近い青を基調とした中世のもの。肝心の仮面マスケラは大きな水色の羽飾りがついている豪華なものだ。


 ちなみに、春迎えの祭りでつける仮面には「古い顔である冬から新しい顔である春に変わる」という意味があるんだとか。

 ちなみに、なぜ水色を基調にしたのかというと、リヴァさまが「あなたの瞳の色と合わせたいです」と譲らなかったから。


 俺さま気質の男性だったら、「俺の瞳の色に合わせろ」とか言いそうだけど、そこはリヴァさまらしい。

 リヴァさまらしいけど、自分の瞳の色に合わせた衣装を婚約者が着るというのは……とても恥ずかしい。


 とはいえ、これでわたしたちも正真正銘のマスケラだ。ロミーナたち使用人は「お二人とも素晴らしいマスケラです!」と言って送り出してくれた。


 初日に水上パレードは行われないので、ゴンドラで悠々と町中に出る。船着き場にはすでに、無数のゴンドラが並んでいた。

 春迎えの祭りの日に参加者が仮装するのは、身分を隠して異なる階層の人たちとも交流するためだ。仮面をつけて衣装に身を包んでしまえば、誰が貴族で誰が市民・庶民かなんてわからないものね。


 説明しておくと、「市民」はヴァルツィモア共和国の市民資格登録済みの富裕層、「庶民」は市民に登録されていない職人や下層商人などのことだ。


 陸は多くの人々でごった返していた。わたしたちと同じようなマスケラもいるし、着飾っただけの単なる見物人もいる。派手な格好をするのは、同行者とはぐれないようにするためなのかもしれない。


 リヴァさまとともに人混みに交じる。互いに寄り添って歩いているだけでも、心臓がドキドキする。

 あまりにも心臓の音がうるさくて、彼から少し離れようとしたときだ。


「あっ……」


 ちょうど人混みの流れが、わたしの歩いている道とリヴァさまの歩いている道では左右に分かれてしまった。〝どうしよう〟と思っていると、左手を大きな手で包み込まれる。リヴァさまの手だ。心臓がドキンと跳ねた。


 それでも、わたしが人混みに流されそうだったので、彼はいったん右手から左手にわたしの手を握る役目を移し、さらに右手でこちらの腰を抱くようにして、助け出してくれた。


「……大丈夫ですか?」


 耳元でささやくようにそう言われてしまい、わたしは頬の熱さを自覚しながら答える。


「は、はい……!」


 声が少しひっくり返ってしまう。リヴァさまが仮面の下で笑ったような気がした。


「はぐれると危ないので、このまま歩きましょう」


 ええ!? 手をつなぐだけでも心臓が大変なことになるのに、腰を抱かれたまま? 身体が密着して、心が悲鳴を上げているんですけど! でも、うれしい悲鳴、かな。


 彼といると心がフワフワする。会話するだけでうれしくて、こうして身体に触れられていても、少しも嫌じゃない。むしろ、もっと触れてほしいくらい。


 これって、リヴァさまのことが、好きだってことだよね……?


 出会ったときから好感を持っていて、彼のような素敵な男性の婚約者になれたことに浮かれた。

 自分でもあまりにもチョロすぎて、勘違いかと思いもした。リヴァさまはそれだけ、多くの人に好かれる性格だから。

 でも、今わかった。これは、たぶん勘違いじゃない。


 わたしはリヴァさまのことが好きだ。優しくて、賢くて、冷静で――少し不器用な彼のことが。


 目的地である【獅子の広場】にたどり着く。ここは、仮面舞踏会が開かれている場所だ。身分から解放された人々が、輪になって、あるいはペアになって踊っている。パヴァーヌと呼ばれる、本来は宮廷で踊られるダンスだ。


 リヴァさまはわたしから手を離したと思ったら、こちらの左手を取って、手の甲に口づけを落とした。


「わたしと踊ってくれますか?」


 わたしは夢見心地でうなずく。


「はい」


 聴こえてくる音楽に合わせて、わたしたちは踊り出した。リヴァさまがつけてくれた家庭教師にダンスを習っていてよかった。心からそう思う。こうして、特別な日に彼とダンスを楽しめるのだから。

 わたしたちの距離が近づいたとき、リヴァさまが口を開いた。エメラルドグリーンの瞳が、どこか切羽詰まっている。


「エメルさん、わたしは――」


 だが、音楽と人々の喧騒けんそうに、最後の言葉はかき消されてしまった。


「え、なんですか?」


 わたしが大きな声で尋ねると、リヴァさまはものすごくしょんぼりした声で答えた。


「……また今度言います」


 なんだったんだろう?

 踊り終えると、わたしとリヴァさまは立ち並ぶ屋台で食事をした。サクサクした食感のガラーニやドーナツのようなフリトアを一緒に食べる。春迎えの祭りの名物だそうだ。

 どちらも地元での呼び名で、一般的にガラーニはキアッケレやフラッペ、フリトアはフリッテッレと呼ばれているのだとか。


「子どものころ、祖父母とともに庶民の格好をして、屋台で買ってもらったのです。また食べられてよかった。しかも、今回はあなたと一緒ですし」

「わ、わたしもリヴァさまと食べられてうれしいです……!」


 告白みたいなことを言ってしまう。

 リヴァさまが驚いたような気配がした。そのあとで、こちらに向け、手を伸ばす。


「口元に食べカスがついていますよ」


 そう言って、わたしの唇の横についた食べカスを取ってくれた。

 心の中でわたしは叫び声を上げる。今日のリヴァさまは積極的すぎます!


 リヴァさまは大人向けのロマンス小説や漫画でたまに見られるように、相手の食べカスを自分の口元に持っていく……なんてまねはしなかったけど、それでも動揺してしまう。


 いくら春迎えの祭りに参加して気分が高揚しているとはいえ、好意を持っていない女性にそんなことはしないはず。いや、クズい男性ならするかもしれないけど、リヴァさまは絶対にしない。

 これって、もしかして相思相愛になるチャンスがあるんだろうか?


「リヴァさま、あの……」

「はい」


 告白しようと思った。心臓が壊れそうなくらい脈打っている。

 その緊張に、わたしは負けてしまった。


「……なんでもないです」


 しょげ返って力ない声を出すと、リヴァさまが優しい声で言った。


「大丈夫ですよ。お互いに頑張りましょう」


 あれ……? これって、わたしが言おうとしたことに感づかれてる……?

 もしかして、リヴァさまも今日わたしに告白しようとして、失敗したのかもしれない。

 そう思うと、心が温かくなった。


「はい。お互い勇気が必要ですね」


 自分の直感に従ってそう応えると、リヴァさまがフッと笑う。


「ええ、本当に」


 わたし、やっぱりこの人が好きだ。もっとリヴァさまに近づきたい。名実ともに彼のお嫁さんになりたい。


 わたしたちは暗くなる前に館に帰った。振り返ると今日一日が夢の中の出来事みたいだったけど、ちゃんと現実だとわかる。

 夕食のときにリヴァさまが、「今日は楽しかったですね」と優しくほほえみかけてくれたから。


「はい! 来年も行きましょう。もちろん、また二人で」


 わたしの返事に、リヴァさまは幸せそうにうなずいた。

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