第26話 辞めさせていただきます(コスタンツォ視点)
「今までお世話になりました。失礼いたします」
ラヴィトラーノ家の家令を務めるコスタンツォは、諦めに似た気持ちで、今日辞職したメイドの後ろ姿を見送った。
エメルネッタがオルランド家に嫁ぐことが決まり、出ていってからというもの、ラヴィトラーノ家では辞める使用人が続出していた。
無理もない。あれほど性悪な女主人・ドミッティラとその娘・ザイラが傍若無人に振る舞っているこの館で、使用人の皆が働いてこられたのは、ひとえにエメルネッタがいたからだ。
エメルネッタは錬金術で作った掃除用品を使用人たちに提供するだけでなく、落ち込んでいる者を励まし、メイドがケガや病気をしたときは、仕事を肩代わりしていた。
皆もエメルネッタを「都合のいいお嬢さま」として扱うのではなく、明るく屈託のない彼女を心から慕っていた。そのエメルネッタが去った今、この家に尽くす義理はなくなったというわけだ。
コスタンツォはため息をつくと、隣に立っている、妻でありメイド長のベルタに声をかける。
「ベルタ、わたしは奥さまにこのことを報告してくるよ」
「はい。でも、あなたも辞めた使用人の仕事までしなければいけなくなって、疲れているでしょう? くれぐれも身体には気をつけてね」
「それはお互いさまだよ」
コスタンツォは廊下を歩き、階段を上り、二階の居間を目指した。扉をノックすると、面倒そうな返事が返ってくる。
扉を開ける。ドミッティラとザイラが向かい合ってお茶を飲んでいた。
(……いい気なものだ。この大変なときに)
心の中で悪態をついたあとで、コスタンツォは報告する。
「また、メイドが一人辞めました。名前は――」
ドミッティラが手を振った。
「ああ、言う必要はないわ。どうせ覚えていないから。それよりも、ザイラの縁談の情報はないの? もちろん、オルランド家よりも良縁でないとダメよ」
エメルネッタは使用人一人ひとりの名前を覚えていた。
ドミッティラの自分たちへの軽視にも腹が立ったが、置かれた状況を理解しようとせず、朗報を待っているだけの態度にも腹が立った。
そもそも、貴族の子女の縁談を探してくるのは親である当主夫妻や後見人の役目だ。
家令や上級使用人が自らのネットワークを使い、縁談相手の事情や家風を調査するということはあっても、縁談相手そのものを探すということはほぼない。
せいぜい探してこられるのは、「某家の令息が、こういう条件の縁談相手を探しているらしい」というような情報くらいのものだ。
オルランド家よりもいい条件の縁談を見つけるのが難しいことに気づいたドミッティラは、早めにさじを投げ、責任をコスタンツォに押しつけたのだ。
これは、現実を突きつけてやる必要がある。
コスタンツォは静かな怒りを込めて反論する。
「そのような余裕はございません。大体、オルランド家に勝る縁談など、そうそうあるはずもないでしょう」
「……なんですって?」
冷水を浴びせられたドミッティラは目を見開く。彼女の向かいに座るザイラもぽかんとしている。
コスタンツォは続ける。
「エメルネッタお嬢さまが出ていかれてから、ラヴィトラーノ家では辞める使用人が続出しているのです。お気づきになりませんでしたか? 気づかれなかったでしょうね。使用人の名すら覚えていらっしゃらないのですから」
ザイラが不安そうに言う。
「そ、そういえば、最近は廊下で使用人と会わなくなったような……料理の味も落ちたし、館も少し汚くなってきた気がするわ……」
どうやら、その程度のことには気づいていたらしい。
コスタンツォは言った。
「そのとおりです。今この家は、深刻な人手不足に陥っています」
ドミッティラは目を白黒させる。
「どうしてそんなことに……」
「先ほども申し上げたように、エメルネッタお嬢さまが出ていかれたからです」
「エメルネッタが出ていくと、どうして使用人たちが辞めてしまうのよ?」
「エメルネッタお嬢さまは、大層、使用人たちから慕われていらっしゃったのです。それこそ、奥さまとザイラお嬢さまよりもよほど」
ドミッティラもザイラも呆然としている。
「な、なぜ……あの娘はメイドに身を落とした、家事しか取り柄のない変人のはず……」
「エメルネッタお嬢さまは常にわたしたち使用人に気を配り、仲間として助けてくださいました。メイド長のベルタが風邪で寝込んだとき、メイドたちに指示を出してくださったのもエメルネッタお嬢さまなら、わたしを手伝って、本来、奥さまがなさるべき家政を代行なさっていたのもエメルネッタお嬢さまです。エメルネッタお嬢さまが書類仕事も得意でいらっしゃることはご存知ですか? ご存知ではないでしょうね。あの方はザイラお嬢さまのように立派なご教育を受けていないにもかかわらず、生まれついての知性と教養をお持ちです。お美しさだけでなく、そういったところもオルランド家のご当主の目に留まったのでしょう」
「ま、まさか、あの娘がそんな……」
社交は得意でも、実務能力に乏しいドミッティラには、にわかには信じられないようだ。自分にはできないことを、見下していたエメルネッタができていたというのだから。
ザイラもそんなドミッティラの性質を強く受け継いでいるせいか、はたまた実務に関する教育を受けてこなかったせいか、家政の代行などとてもできない。
だが、今更エメルネッタを手放したことを悔やんでも遅い。ダイヤモンドの首飾りと引き換えに、ドミッティラがエメルネッタの結婚契約書に署名したことを、当然コスタンツォも知っていた。
(エメルネッタお嬢さま、どうかお幸せに)
不平不満を言わない性格のエメルネッタだが、少なくとも、この家にいるよりはずっと恵まれた生活を送れているはずだ。
オルランド家の当主とともにこの館を訪れたとき、とても上質な服を着ていたし、当主もエメルネッタのことをきちんとエスコートしていたから。
「あ、新しく使用人を雇えばいいじゃない!」
苦し紛れにそう言ったザイラを、コスタンツォは冷たい目で見やる。
「長年働いてきた使用人が次々と辞めていく館で、誰が働きたいと思いますか? そういった噂はすぐに出回りますよ」
「そ、そんな……じゃあ、わたしの縁談は……」
「最初に申し上げたように、わたしたち残った使用人は、エメルネッタお嬢さまの代行と辞めていった使用人たちの肩代わりをしなければならないので、お引き受けできかねます。それでは」
形ばかりのお辞儀をすると、コスタンツォは居間を出た。〝自分たちがこの家を出ていく日も、そう遠くはないだろう〟と思いながら。




