第22話 リーヴァリートの思い(リーヴァリート視点)
季節はすでに真冬。出社したリーヴァリートは、二階の玄関ホールで外套とエメルネッタから贈られた帽子を脱ぐと、館から付き添ってきた従者に渡した。
商会内を歩いていると、すれ違う社員たちから次々と祝福の言葉をもらう。
「新商品の売れ行きが順調ですね! おめでとうございます!」
「本当に、よいご婚約者をお迎えになりましたね!」
リーヴァリートは笑顔で彼らに応えた。特にエメルネッタが褒められたことがうれしい。
二階にあるオルランド商会の商会長室に入る。デスクの前の椅子に腰掛け、今日さばく予定の書類に目を通しながらも、考えるのはエメルネッタのことだ。
昨夜、エメルネッタに吉報を伝えた直後の夕食の際、リーヴァリートは彼女にこう聞いた。
「給料の他にも、今回の商品開発のお礼をしなければなりませんね。何か欲しいものはありませんか?」
エメルネッタは首を横に振りながら答えた。
「生活や錬金術に必要なものはそろえてもらっていますし……それに、わたしはリヴァさまにご恩返しがしたかったのです」
言われた言葉の意味がわからず、リーヴァリートはオウム返しに尋ねた。
「恩返し?」
「わたしを実家から保護してくれたことへの恩返しです。もし、今もあの家にいたらと思うと、とても怖くて。あのままだったら、わたし、あの環境が異常だと気づけませんでした。そんな状況から救い出してくれたのはリヴァさまですから」
いつも明るいエメルネッタが、そんなことを考えていたとは知らなかった。
リーヴァリートは一瞬言葉に詰まり、なんとか質問をひねり出す。
「……では、わたしのために商品開発を?」
エメルネッタは花が綻ぶようにほほえんだ。
「はい……!」
リーヴァリートは恥ずかしくなってしまい、何も言えなかった。たぶん、そのとき自分の頬は赤くなっていたと思う。
思い起こしながら、リーヴァリートはぼんやりとした幸せを感じていた。
(変な気分だ。血がつながっているわけでもない女性が、わたしのことをそこまで考えてくれているなんて……)
今は仕事を引退して、家族とともに暮らしている乳母以外の血のつながらない女性は、リーヴァリートにとって、恐ろしい存在だった。
継母のバジーリアは、まだ幼かったリーヴァリートを館で見かけると、決まって舌打ちし、にらみつけてきた。「可愛くない子どもね。わたしは子どものころからさんざん苦労してきたのに、恵まれているからって大きな顔をして。……さっさといなくなればいいのに」と暴言を吐かれたことも、一度や二度ではない。
血筋だけが取り柄の貧乏貴族の娘であり、オルランド家の権威と財力目当てに嫁いできたことが見え見えの女。
父とバジーリアの間に子が出来なかったことは、リーヴァリートにとっても家族にとっても幸いだった。弟か妹が生まれていれば、きっと自分はその子を憎んでいただろうから。
父は両親――リーヴァリートにとっては祖父母――から、「血筋がいいからといって、相手の若さと美貌目当てで再婚すると痛い目に遭う」「せめてリヴァが物心ついてから再婚しろ」と再婚を反対されていたにもかかわらず、強行した。
父は元来、あまり物事を深く考えず、自分の欲求に従って行動するタイプだった。せめて跡継ぎの長男が叔父・アルマンドだったなら、祖父母の心労はだいぶ変わっていただろう。
しかも父は、リーヴァリートのことを「血をつなぐ跡継ぎ」としか見ていなかった。そのうえ、再婚後に祖父との仲が険悪になったあとは、明らかにリーヴァリートを疎んじていた。祖父が「お前のようなろくでなしではなく、リヴァを跡取りにする!」と一喝したからだろう。
事実、法的にオルランド家の次の跡取りをリーヴァリートにすることが無理だと諦めたあとの祖父は、それならばオルランド商会の実質的な後継者を孫に、と心を砕いていた。
そして五年前、放蕩の末に父が死んだ。祖父は即座にバジーリアを別邸に追い出し、リーヴァリートはオルランド家と商会の正式な後継者となった。
ホッとしたのもつかの間、三年前、リーヴァリートは立て続けに祖父母を失った。今思い返しても、人生で最もつらい時期だった。
それでも、祖父が方々に根回しし、跡継ぎにふさわしい教育をしてくれたおかげで、リーヴァリートは若くしてオルランド商会の商会長を務めることができた。もちろん、アルマンドが後見人としても副商会長としても、自分を支えてくれるおかげでもある。
今度は自分が後継者を得ねばならない立場となり、リーヴァリートは結婚を考え始めた。だが、バジーリアによって植えつけられた、「財産と権威目当ての若い女性」への嫌悪感のせいで、いつの間にかリーヴァリートは女性不信になっていた。
以前から、新しく入ったばかりの若い女性使用人を苦手だと感じることはあったが、そこまで深刻だとは思っていなかった。
どうにもまずいことになった、と心から感じたのは夜会に参加した際、自分目当ての貴族令嬢たちに囲まれたときだ。
嫌な汗をかいてしまい、まともな応対もできない。気分が悪くなったことを理由に席を外し、ひどく情けない気分になったのを今でも覚えている。
女性向けの商品を扱う、オルランド商会の商会長として育てられたリーヴァリートは、女性の心理には敏いつもりだった。しかし、そんな知識はなんの役にも立たないことを思い知らされた。
初めて夜会に参加した少年のころとは、自分の立場も周りの状況も大きく変わっていたのだ。
皮肉なことに、当時のリーヴァリートは「やっかい者である次期当主の息子」であり、歳の釣り合う令嬢たちの親からは忌避される存在だった。そのことが、結果的にリーヴァリートを守っていたのだ。
ところが、今のリーヴァリートは「【八頭の獅子】に数えられる名家の若き当主であり、大商会の商会長」。おまけにやっかいな親族である継母は別邸に追放済みだ。
リーヴァリートは年頃の令嬢たちにとって、まさに格好の標的になっていた。
しかも、リーヴァリートを結婚相手と見なす令嬢たちも、バジーリアが嫁いできたときの年齢と近くなっている。
これではまともな夫婦関係は望めない。
そう思いながらも、生前はろくに孝行も出来なかった、自分を守り育ててくれた祖父母への恩返しをと思い、結婚相手を選ぶための夜会を開いた。
金目当てでない女性なら、見つかるかもしれない。
だが、やはり令嬢たちが怖くて、テラスでエスターテとともに現実逃避していたときだ。エメルネッタと出会ったのは。
最初は自分とは全く関係のない、どこかの家のメイドだと思った。だからなのか、紳士的に彼女に接することができた自分に驚きもした。
しかも、エスターテが彼女に懐いた。母子共に、自分以外の人間には懐かなかったエスターテが。
だから、必然だったのかもしれない。エスターテを恐ろしい義姉からかばってくれたエメルネッタが、ラヴィトラーノ家の令嬢だと知ったとき、この人となら結婚できるのでは、と思えたのは。
エメルネッタのをほうがはるかに苦労しているだろうが、彼女の境遇が自分と似ていたことも、背中を押した。
契約結婚とはいえ、彼女がプロポーズを受けてくれたことが素直にうれしかったし、同じ屋根の下で暮らしていくうちに安らぎを覚えるようになった。
エメルネッタはつらい境遇で育ったのにもかかわらず、一切ひねくれていない。ただ好きなことを特技にして磨き続けてきた者の、ひたむきさと純粋さがある。
時には、まぶしく思えてしまうほどの。
こんなふうに、身内以外の女性を特別に思えたのは、初めてだった。
(……エメルさんのことを、もっと知っていきたい)
尊敬の念はもちろんある。けれど、純粋なそれとも違う気持ちをなんと呼ぶべきなのか……頭では理解していても、リーヴァリートは怖かった。
その感情に名前をつけたとたん、彼女がどこか遠くへ行ってしまうようで。
守らねばならない。エメルネッタのことも、今の平穏な生活も。
今、リーヴァリートが気になっていることはただ一つ。ヴァルツィモア市内の別邸で暮らしているはずのバジーリアの動向だ。
アルマンドも言っていたとおり、バジーリアはリーヴァリートを嫌っているし、追い出されたことで逆恨みもしている。
リーヴァリートが婚約したと聞いて、なんらかの行動を起こしても不思議ではない。それなのに、うんともすんとも言ってこないのだ。
裁可した書類に署名しながら、リーヴァリートはふと羽根ペンを動かす手を止めた。
「もしや……何か企んでいるのか?」




