第20話 家庭教師の錬金術師(後編・前半ベレニーチェ視点/後半リーヴァリート視点)
「製造した……!? しかも発見まで……!?」
ベレーニチェ・ビアンキは驚愕した。
一見して深窓の令嬢にしか見えないエメルネッタが、自分が聞いたこともない、クエン酸という新たな物質を発見し、結晶化したうえ、トロナ鉱石以外から重曹とセスキ炭酸ソーダを作り出したということが、にわかには信じられない。
特に、重曹とセスキ炭酸ソーダをトロナ鉱石以外から作る方法は、あるにはあるが、まだまだ安定した製造方法からは程遠いのだ。
それに、錬金術師の世界という男社会をはい上がり、優秀だといわれるようになった自分でさえ、まだ新たな物質は製造できていない。
(そうだ、クエン酸とやらがどんな性質を持った物質なのかを聞いてみよう。偶然、新たな物質を作り出してしまうことだってあるわけだし……!)
偶然に三種類もの物質を製造できるものなのかという疑問は、いったん脇に置いておく。
表面上は冷静を装い、ベレニーチェは聞いた。
「クエン酸とは一体、どのような性質を持った物質なのですか?」
「わかりました。クエン酸は名前のとおり酸性の物質です。アルカリ性の汚れを落とし、アンモニア臭を抑える効果があります」
「さようでございますか。ところでなぜ、重曹とセスキ炭酸ソーダを一から製造なさったのですか?」
「当時のわたしには、トロナ鉱石が高価だったからです」
「さ、さようでございますか……ご自分でお作りになるとは、よほどそれらがご必要だったのですね」
「はい、喉から手が出るほど必要でした。重曹はご存知のとおり弱アルカリ性の物質です。酸性の汚れや臭いを中和し、研磨作用も持つので、家事に役立てるために製造しました。セスキ炭酸ソーダは、重曹と同じく弱アルカリ性の物質で、研磨剤には使えませんが、より汚れを落とすのに向いているので製造しました」
「ありがとう存じます。あの……失礼を承知で確認いたしますが、もしかして、これらすべて、掃除のために?」
エメルネッタは満面に笑みを浮かべる。
「はい! わたし、家事が大好きなのです!」
(変わったお嬢様だ……!!)
しかし、才能と錬金術的知識があることは認めざるを得ない。才能の無駄遣いのような気もしないでもないが……。
(いや、でも、わたしだって実家でも一人暮らしの今でも家事は使用人任せだけれど、彼女たちが掃除してくれるから研究や仕事に集中できるわけで……)
考え方を変えれば、世の中のためになる物質の製造方法が発見されたのかもしれない。
そう思うと、錬金術師としての好奇心がむくむくと湧いてきた。
「差し支えなければ、クエン酸の作り方を教えていただけますか? もちろん、守秘義務は守りますので」
「よろしいですよ。レモンの果汁を絞り、煮詰めて過剰な水分を飛ばします。その後、石灰水の透明な上澄みを加えると白い沈殿が現れるので、濾過し、硫酸を加えます。その液をさらに濾過し、蒸発させると現れる結晶が、このクエン酸です。わたしは、レモン汁のこともクエン酸と呼んでいますけれど」
「なるほど……! レモン汁を結晶化するという発想はございませんでした! では、重曹とセスキ炭酸ソーダはどのようにして作っていらっしゃるのですか?」
エメルネッタの独創的な発想に興奮したベレニーチェは、食い気味にさらなる質問をした。
「特に変わったことはしておりませんが……わたしは重曹を作るために市販のソーダ灰ではなく、海藻灰を使っています。ソーダ灰も使ってみたのですが、品質が安定しなかったので。海藻灰を水で溶かしたあとに濾過し、蒸発・乾燥させて炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)を作ります。炭酸ソーダに【天の息吹】と水を加え、析出した結晶を濾過して乾燥させると重曹の完成です。さらに炭酸ソーダと重曹を一対一の割合で溶液にして、再結晶させるとセスキ炭酸ソーダが出来ます」
「その製造法自体は、多くの錬金術師が試してまいりましたが、再現性が低いことが問題でした。ですが、エメルネッタさまは難なく作っていらっしゃるご様子。どのような工夫をなさっていらっしゃるのですか?」
「えーと、海藻灰を海水で洗っているからでしょうか。あとは錬金釜で水を蒸発させるときの温度を一定にしたり、【天の息吹】を送り込んでいるとき、泡立つ音が変わった瞬間に送るのを止めたり……」
「なるほど!【天の息吹】はどのように送り込んでいらっしゃるのですか?」
エメルネッタは戸棚から、市販されている大きめの気送管――ふいご型の送気ポンプのついたガラス管のチューブを取り出した。
「これを使って、ガス槽から直接【天の息吹】を送り込んでいます」
「市販のものですね」
自分も使っている、なんの変哲もない器具だ。オルランド家当主の婚約者が使っている器具だから、もっと先進的なものを期待していたのに。
少し落胆しながらベレニーチェは聞いた。
「他にも何かコツがあるのでは……?」
「そうですねえ……」
エメルネッタは考え込みながら答える。
「溶液の温度をぬるめのお湯で湯煎して一定にしているから……? それとも、液の撹拌を自然対流に任せているから……? 先ほども申し上げたとおり、泡立つ音が変わった瞬間も大切だと思っていますし……あとは【天の息吹】を一定時間、ゆっくり細かく送っているからでしょうか……そうだ! 気送管を使うようになって、【天の息吹】の送り方を工夫するようになってから、成功率が格段に上がったのです」
「それです! それ! 一定時間ゆっくり細かく!」
というか、どの方法も画期的だ。だが、おそらくエメルネッタの言うとおり、【天の息吹】の送り込み方が巧みだから成功率が上がっている。
安定的に重曹を生成するには、そこまで繊細な作業が必要になるのか。自分も含め、今まで思いつく錬金術師がいなかったことも当然だ。
しかも、この若さでクエン酸という新しい物質を発見し、精製までした。
今、自分は奇跡を前にしている。時代を変える錬金術師が現れたのだ。
「素晴らしいです!」
説明を聞き終えたベレニーチェは興奮のあまり、エメルネッタの手を握ろうと手を伸ばした。だが、彼女が一錬金術師ではなく貴族であることを思い出し、硬直する。
ベレニーチェは、エメルネッタの前にひざまずいて頭を垂れた。
「エメルネッタさま、わたくしはあなたさまにお教えする資格はございません。かえって教えを請いたいくらいでございます」
「え、ええ……!? お顔を上げてください、ビアンキ先生」
ベレニーチェが顔を上げると、慌てた様子をしていたエメルネッタがこちらの目を見て言った。
「ビアンキ先生から教えていただきたいことはたくさんあります。ですから、まずは身分差のことは置いておいて、友人のような関係から始めませんか? お互いに教え教えられるような関係です」
窓から太陽の光が差し込み、エメルネッタのストロベリーブロンドの頭髪を照らす。ほほえむエメルネッタを目の当たりにして、ベレニーチェは思った。
(あふれんばかりの才能と慈悲……女神だ……女神がおわす。炉の女神・ヴェラーナの顕現だ……!)
***
ベレニーチェが最初の授業を終えて帰る時間になった。
リーヴァリートは「ビアンキ先生と少し話があるので」とエメルネッタを玄関ホールに残し、一階ホールまで下りた。
若い女性への苦手意識を抑え、ベレニーチェに質問する。
「わたしの婚約者の様子はどうでしたか? 好きなもののこととなると周りが見えなくなるところがあるので、気になりまして」
ベレニーチェは顔を輝かせ、即答する。
「天才です!」
リーヴァリートはその場に立ち尽くした。




