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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第18話 至れり尽くせり

 わたしは階段を上り、二階にあるリヴァさまの書斎に向かった。今日の彼は、家で仕事をしているのだ。後ろからはロミーナがついてくるパタパタという足音がしている。


 わたしはリヴァさまの書斎の前に立つと、扉を三回ノックした。「どうぞ」という彼の声が返ってくる。

 わたしは静かに扉を開ける。リヴァさまはわたしが訪ねてきたとは思っていなかったらしく、一瞬、目を見開いた。


「……どうしました?」


 わたしはリヴァさまが書類仕事を片づけている机の前まで歩いていくと、言い放った。


「今まで黙っていたのですが、実はわたし、趣味で錬金術を研究しているのです!」


 わたしのセリフを聞いたリヴァさまの反応は、予想外のものだった。

 彼は安堵あんどめいたうれしそうな顔をしたのだ。


 え? どういうこと?

 疑問符を頭上に浮かべているわたしの心中を察したらしく、リヴァさまは冷静な表情で補足する。


「ロミーナから聞きました。使用人たちが使っている【魔法の粉】を作ったのはエメルさんだと」

「あ、そうだったのですね。は! ロミーナ!?」


 わたしは彼女に何も言わずに、この書斎まで走ってきたことを思い出す。ついてくる足音は聞こえていたから、きっと今は廊下にいるはず。


「リヴァさま、ちょっと失礼します!」


 断りを入れると、わたしは廊下に出た。

 案の定、ロミーナは寂しそうに扉の脇に立っていた。わたしを見ると、驚いたような顔をする。


「エメルネッタさま、もうお話は終わったのですか?」

「まだなの。ごめんなさい、ロミーナ。何も言わずに走り出してしまって」

「それをおっしゃるために、わざわざ……?」

「そうだけど……」


 わたしの答えに、ロミーナはぱあっと笑顔になった。


「ありがとう存じます!」

「書斎の左隣に、来客の従者を待たせておく控え室がありますから、そこで待っているといいですよ」


 いつの間にか、リヴァさまも廊下に出てきていて、ロミーナにそう助言してくれた。

 ロミーナはお礼を言って控え室に入っていく。

 リヴァさまが珍しくおかしそうに笑う。


「エメルさんは、ロミーナを友人のように思っているのですね」

「え、はい。……いけませんか?」


 実家ではもっと使用人たちになじんでいたから、今更彼女たちを下に見るなんてできるわけがない。

 リヴァさまは首を横に振った。


「いいえ。身分にかかわらず、他者を対等に見るのは健全だと思います。逆に、本来上下関係を持ち込むべきでない家族や友人を対等に見られなくなってしまったら、人としておしまいです」


 リヴァさまの言葉には実感が籠もっている。わたしも実家での出来事の数々を思い出した。


「そうですね……本当に」


 リヴァさまは表情を緩める。


「それで、わたしに何かご相談でも? 錬金術を研究していることを言いに来ただけではありませんよね?」

「あ、実はそうなのです。すみません、突然押しかけてきたり、かと思えば、急に廊下に出たりしてしまって」

「構いませんよ。元気で好きなもののことになると脇目も振らないのが、エメルさんのよいところですから」


 そんなふうに言ってくれるんだ……。

 わたしは照れてしまい、言葉を返せなかった。リヴァさまはそんなわたしを見て、不審げな顔をするでもなく、目を細める。


「よろしければ、テラスで話しましょうか。気分転換したいときは、あそこでくつろぐことにしているのです」


 リヴァさまと初めて出会った場所ね。

 そう口にするのは恥ずかしくて、「はい」と答えるにとどめる。


 二人で二階のテラスに出る。昼間見るテラスは夜とは違い、明るく白が際立っていた。夜は神秘的に見えた天井のフレスコ画が、今は荘厳に感じられる。

 わたしたちは運河を臨む開廊ロッジアに置いてある椅子に、テーブルを挟み、向かい合って座った。


「お茶を飲みますか?」


 リヴァさまは本当に気が利くなあ。

 わたしは首を横に振る。


「いいえ。先ほど部屋で飲んできたばかりなので。お気遣い、ありがとうございます。あ、でも、リヴァさまがお茶を飲みたいのなら、ご一緒します」


 なんだか言い訳がましくなってしまった。

 リヴァさまはくすりと笑う。


「わたしも仕事中に飲んだので大丈夫です。エメルさん、無理はしないでくださいね。わたしはなんでも言い合える夫婦が理想なのです。もちろん、罵詈雑言を言い合う関係は嫌ですが、あなたならそんなこともないでしょうし」


 どうしよう。わたしの婚約者(契約結婚だけど)が尊すぎる。

 頬が熱くなってきたので、手で顔を扇ぐ。


「今日は暑いですね」

「? 秋ですし、涼しいですが」

「いえ、暑いです。ところで、先ほどの話の続きですが……」


 わたしが苦し紛れに話題を変えると、リヴァさまは表情を引き締めた。かっこいい。


「そうでしたね。エメルさんが錬金術を使えるとロミーナから聞いたとき、『もしかして、エメルさんがラヴィトラーノ家を出る際に持ち出した革袋の中身が【魔法の粉】だったのだろうか』と思ったのですが、間違いないですか?」

「はい」

「【魔法の粉】はエメルさんのオリジナルですか? 掃除に使う錬金術で作った粉など、聞いたことがなかったので驚きました」

「クエン酸という粉だけは、オリジナルだと思います。他にこっそり発見していた人がいなければ、の話ですけど。あとの二種類の粉は海藻灰を元に作られるソーダ灰を改良したものです」


 正確には、クエン酸はわたしのオリジナルではないのだけど、たぶんこの世界ではわたしが初めて発見して結晶化させたものなので、そういうことにしておく。本にも書いていなかったし、お店にも売っていなかったからね。


「その場合は発想がかぶったというだけの話です。ソーダ灰を改良したというのも素晴らしい。ヴァルツィモアの産業によく使われていますからね」


 そうなのだ。ガラス・石鹸せっけん製造や染色にソーダ灰は欠かせない。だから、余ったソーダ灰を水に溶かしたものや、薪を燃やしたあとに残る灰から作った灰汁あくなんかは、昔からこの国でも食器洗いなどの家事に使われていた。


 前世の歴史でも灰による洗浄は、洋の東西を問わず行われていたらしい。化学知識がなくても生活に応用してしまえる、昔の人の知恵ってすごい。

 わたしは前世の化学知識を使って、ソーダ灰を純度の高い、重曹とセスキ炭酸ソーダにしただけだ。


「着想はどこから得たのですか?」


 実に商人らしい質問。リヴァさまは本当に大商会の商会長なんだなあ。

 さすがに、前世の記憶のことはだまっておくべきだろう。ヴァルツィモアの国教では、輪廻りんね転生を説いていないし。


「手軽に使え、家事の効率を上げるものを作れないかと考えていたときに、たまたま実家の図書室で、祖父が残した錬金術の本を見つけたのです。何かの手がかりにならないかと読み進めていったら、わたしが作りたかったものと類似した物質について書かれた本があって。『これだ!』と思いました」

「……なるほど。独学ということですか」


 リヴァさまは難しい顔をしている。

 独学だと、何かまずいのだろうか。わたしは不安になってきた。


「……何か、まずいことでも?」

「いえ、そういうことではないのですが、普通、錬金術は高度な教育を受けなければ使えるようなものではないのですよ。わたしもそれなりの教育は受けましたが、錬金術の専門書を読むのは苦労しますね」


 リヴァさまはオルランド商会の商会長になるために、子どものころからエリート教育を受けていたはず。

 錬金術の本って、そんなに難しかったんだ。わたしは子どものころから家事が好きだったせいで、掃除に化学知識が必要だとわかっていたから、理科や化学の授業は真剣に受けた。そのせいもあって、化学の成績はよかったしね。

 大学の学部は理系の知識も必要な家政学部だったし、好きだから数学以外の理系の講義は積極的に受けていた。


 うん、前世の教育を甘く見ていた。

 どう反応しようか迷った挙げ句、わたしはすっとぼけることにした。


「え……そうなのですか?」

「ええ。読み書きができるというだけでは、まず習得するのは無理です。まして、オリジナルの物質を発見して作ることなど」

「そ、そうですか……」


 この世界ではあり得ない、国教の教義に反する人物だと思われたらどうしよう? ほら、前世の中世ヨーロッパでは魔女狩りとか異端審問とかあったし。

 わたしが冷や汗をかきながらドキドキしていると、リヴァさまは言った。


「エメルさんは、一度きちんとした錬金術の教師に教わったほうがいいと思います」

「え……」


 わたしが拍子抜けしていると、リヴァさまは不安そうな顔をした。


「嫌ですか? ギルドに所属している、優秀な錬金術師を探す予定ですが」

「いえ! 嫌なわけではないのです! ただ、そこまでしてくれるんだ……と、ちょっとびっくりしてしまって」


 リヴァさまは照れたように笑った。


「わたしとしても打算がないわけではありません。エメルさんが引き続き、【魔法の粉】を作ってくれるなら、使用人たちの仕事の効率も上がりますし」

「あ、そういうことなのですね」


 思わずそう応えてしまったけど、リヴァさまのさっきの反応は照れ隠しのような気がする。

 おそらく、リヴァさまはわたしの錬金術の知識を独学のままにしておくのは惜しい、もっと飛躍できるはず、と思って教師をつけることを提案してくれたのだと思う。なんと素晴らしい旦那さま、いや婚約者か。

 リヴァさまはさらに続ける。


「そうだ、引き続き【魔法の粉】を作ってくれるのならば、研究室が必要ですね」

「え、お部屋まで用意してくれるのですか!?」


 そもそも、そのためにリヴァさまの書斎を訪れたのだけど、まさか彼から言い出してくれるとは思わなかった。

 リヴァさまは驚いているわたしに、ニコッと笑ってみせる。


「はい、当然でしょう?」


 わたしはこの方と契約結婚できることを、信仰する炉の女神・ヴェラーナさまに心の中で感謝しまくった。

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