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商人貴族に同情されて婚約しましたが、わたしは家事が大好きです  作者: 畑中希月


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第10話 掃除のコツ(ロミーナ視点)

 その人は、とても美しかった。

 編み込まれたストロベリーブロンドの髪は愛らしく、透き通るようなブルートパーズの瞳は、本物の宝石のよう。白い滑らかな肌と整った目鼻立ちは、精巧な人形のようだった。


 今日のエメルネッタはメイド服を着ておらず、屋敷内を歩き回れるような部屋着姿だ。服が違うだけなのに、この前姿を目にしたときとは別人に見える。

 ロミーナはヘマをしそうになったところを目撃されたにもかかわらず、エメルネッタの姿に思わず見とれた。


(旦那さまが婚約者にお選びになるわけだわ……)


 ロミーナが黙っている理由を誤解したのか、エメルネッタは「あ」という顔をした。


「お仕事中に入ってきてごめんなさい。そういえば、リーヴァリートさまに頂いた真珠のネックレスをつけるのを忘れていたな、と思って戻ってきたのです」


 物腰も貴族令嬢そのものだ。しかも、花瓶を落としそうになったロミーナを責める様子もない。

 ロミーナは緊張と安心が入り混じった気持ちで応答する。


「さ、さようでございますか。お見苦しいところをお見せいたしました。申し訳ございません……!」


 エメルネッタはたおやかに笑う。


「気にしなくていいのですよ。よかったら、あなたの掃除の様子を見せてください。わたし、家事が大好きだから参考にしたいの。あなたのお名前は?」

「ロミーナ・カルツォライロと申します。ですが……わたしの掃除をご覧になっても、参考にはならないと思います」

「どうして?」

「実はわたし……掃除が、大の苦手で……」


 エメルネッタの掃除が手慣れたものだったと聞いているロミーナは、恥ずかしさのあまり、語尾を濁した。

 次にエメルネッタが発した言葉は、予想外のものだった。


「なら、わたしが掃除の仕方を教えましょうか」

「……え!?」

「これでも、実家では教え方がうまいと評判だったのですよ。見ていてくださいね」


 そう言うとエメルネッタは、低い棚の上に置かれている花瓶を慎重に持ち上げた。花瓶を持ったまま、少し離れた場所にあるサイドテーブルの前まで歩いていくと、魔導灯しか載っていないそこに、花瓶を置く。


「この部屋は片づいているので省略しますけど、棚を掃除するときは、まず置いてあるものを一時的に避難できるように、周囲の棚や机の上を片づけておくことが鉄則です」

「なるほど……」

「そして、片づけた机などの上に、掃除をしたい棚に置いてあるものをいったんどけます」


 それでは面倒くさくはないだろうか。エメルネッタがあまりに穏やかなので、ロミーナは質問してみる気になった。


「物を置いたまま掃除してはいけないのですか?」

「それだと、手が滑って物を落としたり、倒してしまったりということもありますし、面倒でも物をどけてしまったほうが、かえって効率がいいのです。物がなければ、ササッと棚を拭けますし」

「確かに……」


 先ほど花瓶を倒しそうになったロミーナは、深く納得した。

 エメルネッタは花瓶をどけた低い棚の上を、ロミーナが使っていた乾拭からぶき用の雑巾で拭き始めた。


「掃除の基本は『奥から手前へ』です。そのうえで右利きの場合、右から左の一方向に拭いていきます。そのあとは棚の側面をつかむようにして、ぐるりと拭きます」

「あ、そんなことをチーフから聞いたような……ところで、どうして先に乾拭きをするのですか?」

「ホコリやゴミなどの乾いた汚れを取り除くためです。先に水拭きをしてしまうと、湿ったホコリが拭いた場所にへばりついてしまうのですよ」

「あ! 確かに覚えがあります」


 時間がないときに横着したら、かえって水拭きした場所が汚くなってしまったことがある。


「そうでしょう? 次に水拭きをします」


 エメルネッタはロミーナが持ってきたバケツに掛けてあった雑巾を手に取り、水につけてから、慣れた手つきでしっかりと絞った。

 エメルネッタは低い棚を水拭きしたあと、再び乾拭きして、水分を拭き取った。それから、花瓶を元に戻す。


「あとは部屋の扉を開けておくと、水分を完全に乾燥させるのが早まります。次は飾り棚を掃除してみましょうか」

「はい!」


 おしゃれな白い飾り棚の中は、エメルネッタがこの館に来たばかりのせいか、あまり物が入っていない。エメルネッタはうれしそうに言った。


「掃除がしやすいですね。まずは物をどけて……」

「はい! わたしが致します!」


 ロミーナは飾り棚を開けると、入っていた小物を隣のサイドテーブルの上にどけた。

 エメルネッタはほほえむ。


「ありがとう。掃除のもう一つの基本は、『上から下へ』です。先ほどの手順どおりにやってみてください」

「はい!」


 ロミーナは乾拭きから始め、教えてもらったことを思い出しながら、丁寧に水拭きし、仕上げの乾拭きをしていく。


「上手ですね。棚に戻す物は、隙間を空けて置き直すといいですよ。そのほうがハタキをかけやすいので」


 エメルネッタに褒められて、ロミーナの胸に喜びが湧いた。


「ありがとう存じます! なるほど! 掃除って奥が深いですね!」

「そう言ってもらえると、うれしいです」


 そう応えながら、ちょっと首を傾けて笑うエメルネッタは美しい。ロミーナは頬が熱くなるのを感じつつ、意気込んで語った。


「わたし、今日エメルネッタさまに教えていただいたことを忘れないようにします! そして、誠心誠意、エメルネッタさまにお仕えいたします!」

「ありがとう。……でも、あなたのご主人さまはリーヴァリートさまでしょう?」

「では、エメルネッタさまにも旦那さまにも、熱意をもってお仕えいたします!」


 これが、のちのち振り返ってみれば、ロミーナの人生を一変させた出来事だった。

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