第1話 シンデレラは家事が大好き
「まあ、よく似合っていること。やっぱり、お前にはみすぼらしいメイド服がお似合いね、エメルネッタ」
継母・ドミッティラにそう言われ、わたしは改めて自分の着ている服を見下ろす。
確かに型が古くてやぼったい印象はあるけど、元々の質は悪くないメイド服だ。眠るとき以外は、いつもメイド服を着ているわたしにとっては、むしろ外出着にも等しい質。
ん? 外出着?
ひらめいたわたしはガバッと顔を上げる。
「奥さま、こんなによい服をお借りできたということは、もしかしてよそのお屋敷にでも派遣されるのですか!? 大歓迎です! お掃除でもお洗濯でも、誠心誠意、心を込めて家事をさせていただきます!」
ドミッティラとその娘――わたしにとっては義理の姉に当たるザイラが、ひくっと顔を引きつらせ、二人同時につぶやく。
「……相変わらず変人ねえ」
さすが一卵性母子。
感心しているわたしに、ドミッティラは気を取り直したように告げる。
「お前はこれから、オルランド家の夜会に参加する、わたしたちのお供をなさい。美しいザイラの引き立て役のメイドとしてね」
「そうそう、今回の夜会には国中の貴族令嬢が呼ばれているの。きっとご当主は結婚相手を選ぶおつもりなのよ。わたしのような美しい令嬢こそが、オルランド家の奥方になるべきだわ」
ザイラの自画自賛はいつものことなので聞き流す。実際、ザイラは美人だしね。
それはともかく、名家オルランド家のご当主といえば、弱冠二十歳なうえに精悍な美青年だという噂だ。しかも、国でも有数の商会・オルランド商会の商会長でもある。
新興貴族の我が家としては、ぜひとも射止めたい相手だろう。家格も旧家ならではのコネクションも財力も、うちとは段違いだから。
それにしても、よそに派遣されるわけではなかったことが残念だ。何度か経験はあるものの、パーティーの付き添いって、そもそもメイドというより侍女の仕事だし、家事をするわけでもないから、つまらないのよね。
ま、しょうがないか。家事は逃げないもの。
わたしは家事ができれば、それで幸せ。他に何もいらないくらい。掃除・料理・洗濯・皿洗い・整理整頓……すべてが大好きだ。
わたしがそこまで家事を好きになったのには、単純だけど複雑な理由がある。
わたしは、いわゆる前世が日本人で、家事代行サービスの社員をしていたのだ。もちろん、好きで入社した。両親が共働きだったせいで、子どものころから家事をしていて、それが全く苦にならなかったから。
派遣先のお宅という現場で、それは楽しく働いていたんだけど、通勤中に交通事故に遭ってしまった。享年二十五歳。
その記憶がよみがえったのは、現世の実母が亡くなって、今は亡き父がドミッティラと再婚したあと。彼女に初めてメイドの仕事をさせられたときに、ぶわーっと前世の記憶が濁流のように押し寄せてきたのだ。まだ慣れない手つきで雑巾がけをしていたあのときを、わたしは生涯忘れないと思う。
それ以来、メイドの仕事はわたしにとって、ご褒美どころか天職になった。現世で記憶を取り戻させてくれた、この世界の神々には、本気で感謝している。
おかげさまでわたしは、家庭を司る炉の女神さまの信奉者になったくらいだ。
「わたしたちは準備をしてくるわ。エメルネッタ、お前は一足先に一階ホールで待っていなさい」
ドミッティラとザイラが屋敷の居間から去ったので、わたしはもう一度身だしなみをチェックして、部屋を出た。一階に下りる。
「エメルネッタお嬢さま、奥さまとザイラお嬢さまのお供をなさるのですね」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
声をかけてくれたのは、家令のコスタンツォとメイド長のベルタだ。長年我が家に仕えてくれていて、夫婦でもある二人は、わたしが幼いころから何かと気にかけてくれている。家政やメイドの仕事について仕込んでくれたのもこの二人だ。
ベルタが目を伏せる。
「本来なら、エメルネッタお嬢さまもご令嬢として夜会にご参加になれますのに……。オルランド家のご当主がお嬢さまをご覧になったら確実にお心が動く、とわかっているだけにわたしは残念でなりません」
「ベルタ、わたしはそこまで器量よしではないわ」
「そんなことありません!」
コスタンツォとベルタの後ろから、わらわらと同僚のメイドたちが現れる。
「エメルネッタお嬢さまは御髪もきれいなストロベリーブロンドですし、瞳はブルートパーズのよう。ドレスをお召しになれば、ザイラお嬢さまなんて目じゃございません!」
「エメルネッタお嬢さま、あんなババァ、澄まし顔で蹴っ飛ばしてやればいいんですよ」
「いいなぁ、わたしもオルランド家のお屋敷を見てみたいですぅ」
「もし、オルランド家のご当主を見たら、感想を聞かせてくださいね!」
メイドたちは小鳥がさえずるように、口々に好き勝手なことを言う。それぞれ育った環境は違うが、気さくに接してくれるいつもの彼女たち。
わたしが彼女たちと仲良くなれたのは、たぶん錬金術のおかげだ。
なぜ、メイドのわたしが錬金術に関わっているのかというと――それはひとえに家事を追求するためだ。
この世界の錬金術は、前世の世界でいう化学がベースになっている。
わたしが錬金術に可能性を感じたのは、〝この世界にクエン酸やセスキ炭酸ソーダはないのかな?〟と思い、館の図書室でいろいろ調べていた八歳のときだ。
代用品はあれど、石鹸以外に洗剤のないこの国では、とにかく汚れを落とすのが大変だ。掃除用のクエン酸やセスキ炭酸ソーダがあれば、家事の心強い味方になる。
そう思ったわたしに残酷な事実が突きつけられた。クエン酸は、この国どころか、この世界には存在しないらしい。クエン酸の元となるレモン汁は、鍋や金属器具の汚れ落としに使われていたけどね。
しかも、セスキ炭酸ソーダは輸入品で高価らしい。セスキ炭酸ソーダに近い成分の重曹も、料理用に使われてはいるが、同じように高価だった。
けれど、わたしは諦めなかった。それなら作ればいいのだ。
幸いにも、わたしは館の図書室で大量の錬金術の本を見つけた。クエン酸やセスキ炭酸ソーダを作る手がかりが書いてあるかもしれない。
わたしは、早速自室(屋根裏部屋)で空き時間に実験を繰り返すようになった。コスタンツォとベルタの協力もあり、クエン酸が完成したのは一年後のことだ。
わたしは自信作であるクエン酸を自分で使うだけでなく、メイド仲間たちにも勧めた。
年の差があったこともあり、元令嬢であるわたしの存在に困惑していて、初めはどう接していいのかわからなかった同僚たち。彼女たちとも、クエン酸がきっかけで会話が弾むようになった。皆、「掃除が楽になった」と言って喜んでくれたのだ。
メイドたちは、今でもわたしのことを「お嬢さま」と呼んでくれる。わたしにとって、彼女たちは大切な同僚だ。
大好きな仕事と仲間たち。
こんな生活がいつまでも続けばいいと思うけど、そういうわけにもいかないだろう。
なぜなら、わたしは今日で十八歳になったから。
わたしより数か月早く生まれた、同い年のザイラは婚活に余念がない。彼女が結婚したら、たぶんわたしも婿を取らされる。法律上、この家の相続権を持っているのはあくまでわたしであり、ドミッティラは当主代理に過ぎないから。
ドミッティラとしては、死ぬまで貴族の夫人として裕福な生活を送るために、わたしに適当な婿を迎えさせ、当主代理として権勢を振るいたいところだろう。
わたしもそのことに対して否やはない。
だって、この国は前世の先進国ではないのだ。貴族として生を受けた以上、巫女にでもならないかぎりは、結婚するのが当たり前。
ただ、わたしとしても相手に対して希望はある。
それは、結婚後も家事をさせてくれること。
名家出身の婿をもらってしまったが最後、「そんなみっともないことをするな!」と暴言を吐かれてしまうことは、想像に難くない。
この国の上流社会では、家事は使用人のするものだから。
目指すは、うちよりちょっと家格が落ちるくらいの縁組ね。それに気弱な男性がいい。そうすれば、家事をしていてもうるさく言われないだろうし。
絶対にありえないことだけど、例えばオルランド家のご当主などもってのほかだ。
そもそも、婿に来てもらえないだろうし。
「みんな、お土産話を楽しみにしていてね。オルランド家のお屋敷の清掃具合を観察してくるわ。【八頭の獅子】に数えられる名家に行くなんて、めったにない機会だもの」
「もー、お嬢さまったら、家事のことしか考えていないんだから!」
皆と笑い合いながら、わたしは準備を整えたドミッティラとザイラが来るまで、話に花を咲かせたのだった。




