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⑨ 星を見る子 ―六畳一間の宇宙―

どの時代の人も朝日と共に出かけ、夕日と共に家路につく。

そんな当たり前の姿は三鷹水系でも繰り返されていた。

大勢の人々が家に向かう中、ひときわ騒がしい二人がいた。


「それでな、かーちゃんがな! こういうんだよ、もう一人作りましょうって!」

「また作るのか、あんた」

「俺だって言ってやったよ。もう俺たちの四人目の子供はここにいるだろ…ってかーちゃんの腹さすってやったの! そしたらこれよ! ハーハハハハハハ!」

アロハの頬には赤い手形が残っていた。


他愛ない話だが、なぜか面白く聞こえるのは、彼の人柄のせいかもしれない。

同じ痛みを分かち合った二人はその後も友好が深めていた。


アロハは最近では広場の中央に陣取り、健全な仕事を仲介するようになっていた。


だが、以前のような羽振りの良さはない。

ユウトと混ざって復興の工事現場で汗まみれになって働く姿のほうが増えた。


「そうそう、これもってきたぜ」

紙袋にはアロハの子供たちが着た古着が詰まっていた。


「うちは男が俺と長男しかいねーからよ。男の服が余ってんだよ」

「いいのか? これなんて、まだ着れそうなのに」

「あーそれはもうパツパツ。ガキはすぐデッカくなるからな。今来たらボンレスハムが増えちまうよ」

「…デッカく…なる、か」

「うん? どうした?」

「いや、なんでもない。ありがとう。助かるよ」

「おう、またな」


住宅地の交差点で別れる二人。

夕日に向かって去る背中には以前の淀みのような物はなく、

ただ父親として夫としての力強い背中をしていた。


ユウトは紙袋を軽く揺らしながら、自分の影を見下ろした。

ふと、家で待つオリオンの姿が脳裏に浮かぶ。


――あいつは、去年と同じ服がまだそのまま着られるんだよな。

思い返せば、肩の高さも、歩幅も、ほとんど変わっていない。


小さな違和感が、夕日の奥で静かに息を潜めていた。


一人、家路につくユウト。

足音は先ほどよりもずっと、そして早いものになっていった。


小さい丘の上に、そのアパートはあった。

ユウトとオリオンの家。

狭い部屋でも、いつもの二人、そんな世界だった。

けれど、その日は空気がざらついていた


「ちょっとユウトさん、これいつもの牛乳じゃないじゃん!」

「仕方ないだろ、売り切れてたんだよ」

ユウトとオリオンはちゃぶ台を挟んだ舌戦を繰り広げていた。


「別の店、行けばよかったでしょ」

「遠回りになる。お前一人で家に置いてくの、心配なんだよ」

「ぼくはもう子どもじゃない。一人前だよ」

「毛も生えてないくせに言うな」

「ユウトさんだってつるつるじゃん」

「俺のは義体だ!」


オリオンは平行線に終止符を打つべく行動に出た。


「わかった。…勝負しよう。男らしく拳で勝負しよう」

「またお前へんなものをテレビで見たな」

「ビビッてるのか。かかってこいよ!」

オリオンは上着を脱ぐと、ユウトに投げつけ挑発する。


「上等だ! やってやろうじゃねーか! 表でろ!」

ユウトも上着を脱ぎ、廊下に飛び出した。

大人げなく、狭い廊下で準備体操をする。



しかし、準備体操を続けるにつれて、自分の大人げなさに気づく。


「何やってんだ俺…」



廊下で小さい蛍光灯が光っていた。

あの日のことを思い出す。

雨の日。冷たい手。そして温かい湯船。

蛍光灯のちらつきが、あの日の湯気と重なった。


「もう一年か。最初は全然しゃべんなかったのにな。生意気になりやがって」

少しだけ口角が上がった。そんな気がした。


「…まあ、わざと負けてやるか。花の一つでも持たせて――」

そんなことを考えていると、背後から嫌な音がする。


ガチャリ…施錠の音。


「おい、汚いぞ!オリオン!開けろ!」

ドアノブを回しながら、ユウトは必死に叫んだ。


その時、背後から階段を上ってくる足音が近づく。

お隣さんの帰宅の音だ。


そこでようやく、自分がほぼ裸だという事実に気づいた。


顔が一瞬で熱くなる。


「まずい…こんな所みられたら…!」

自分が「裸で廊下で騒ぐ男」に成り下がっている情けなさが、

一気に押し寄せた。


「悪かった!俺の負けだ。降参するから!」

「ほんとに降参?」

「本当に降参する!まいりました!だから開けてくれ!」

キッチンの窓から、上着を持った小さい手が伸びてきた。


「じゃ牛乳買ってきて」

「はぁ…わかりましたよ」


こうして小さな戦争は終わった。

しかし胸の奥に、じんわりと疲れだけが残った。



「ただいま」

「………」

オリオンは背中を向けたまま、畳んだシャツを丁寧すぎるほどに重ねていた。

牛乳を包むビニールの音も、冷蔵庫のうねりも、

今夜だけはやけに大きく聞こえた。



オリオンの背中を見ながら、ユウトはふと自分の働き方を思い返した

あの一件以来、仕事を変えた。

ただ普通の、誰でもできる仕事に変えたが、その分帰りが遅くなるようになった。




ユウトは気まずさを抱えたまま浴槽に沈む。

これからどうするべきか。

このままでいいのか。

こんなふうに寂しい思いばかりさせて。


ユウトは湯につかりながらそんな事をぼんやりと考えていた。

すると、浴槽のドアがゆっくり開いた。


「ユウトさん。…今日は一緒に入っていい?」

「ああ、もちろん」


あの日以来の二人の湯船だった。


「ごめんな…一緒にいてやれなくて」

「…うん。大丈夫。お仕事は大変?」

「ああ。でもあらかた片付いた」

「そっか。お仕事、頑張ってね」

「ああ」



ちゃぶ台には、いつもの夕食が並んでいた。


今日は少しだけ、二人の距離が近かった。


「なあ、何かほしいものはあるか?」

「え…うん…えっと…」

「なんでもいいぞ」


オリオンは意外に答えを出した。




「おでかけしたい」





闇市の一角。

ユウトは人生最大の難所に向き合っていた。


オリオンが天体望遠鏡を見つけてしまったのだ


「…天体望遠鏡だ」

「そ、そうだな」


…ほしい。でもそれを言ったら困らせる。

子供ながらに懐事情には敏感であった。

でも、もし望遠鏡でもっと星空を見れたら、

もっと身近に感じられたら。

見ていて時間が止まるような美しさをもっと身近に感じられたら…

そんなオリオンをよそ目に、ユウトは止まっていた。

値札を見た瞬間、ユウトの時間も止まっていた。


桁が、二つ多かった。


ポケットの小銭が、自分の体温を吸ってぬるくなっていく。


オリオンは何も言わない。

けれど、そのまなざしは星のように輝いていた。

繋いでいる手を離せば、いますぐ駆けだす。

そんな予感がする。


今日買ったものは米、油、下着、洗剤…どれも生活に必要なもの。

だが、オリオンにとっては、これも必要な物だったのかもしれない。


「…僕のおかず減らすから、あれ買えないかな」


ユウトは苦笑いした。

胸ポケットから取り出したタバコを火をつけると。


「ユウトさんタバコ吸ってるの? タバコって痛くないの?」

「ああ、もらい物でな。人はな、『痛みを知らないと、人にやさしく出来ない』らしい」

「なにそれ? なんで今すったの?」

「そりゃお前…」


オリオンは抱えるには少し大きい箱を持って、家に駆けていく。

箱には天体望遠鏡のイラストが描いてあった。


また働けばいいさ。そう自分に言い聞かせた。


二人の姿は夜の街に消えていった。

また、三鷹水系は星空を水面に抱きながら夜を迎え入れていた。





地球の半分に夜がやってくる。

その夜を、はるか上空――さらにその向こうから見下ろしている者がいた。


宇宙ステーションの中から地球を見守るグズカ、そしてその中で眠るレイ。

レイはまどろみの中で、近づいてくるのが地球だけではないと感じていた。

ベットの中からかすれ声が聞こえた。


「グズカ…地球まであとどれくらい?」

「おはようございます、レイ。現在はあと数日の距離まできています」

「そっか」

笑おうとしたが、頬はこわばっていた。

それをグズカはただ見ていた。

頭を撫でてやることも、ましてや抱きしめてることも出来ない。


「この体はどうなっているの?」

「あなたのDNAには、特別な形があります。

 あなたは生まれた瞬間から、人とは違う定めだったのです。

 それは誰の失敗でもありません。

 元になったDNAの持ち主も、同じ運命を歩みました。」

遺伝子疾患という特別な形は、レイが生まれた時から体内に潜み、そして蝕んでいた。



「いつ…死ぬの、かな」

「死の恐怖を感じられるほど、あなたは発達しました。

 正しい、自然な反応で素晴らしい事です。興味があるなら、プランのを改めてご説明いたします」


グズカは、立てた計画を淡々と説明する。

冷静で、整然としていて、揺らぎがない。

だがその「揺らぎのなさ」こそ、どこか痛々しかった。


地表近くで最も発達した脳――

人格を受容できる器――

そこへレイの記憶を完全転写する計画。


それしか方法は残っていなかった。


その時、宇宙ステーションの奥で金属が落ちる音がした。

老朽化した区画がひとつ、崩落したのだ。

レイの体が病魔にむしばまれるように、ステーションにも活動限界という病魔が蔓延していた。

一つの実験室がステーションから零れ落ち、宇宙に落ちていった。


「以上がプランです。貴方は死にません。私が守ります」

「どうして守ってくれるの?僕なんか見捨ててグズカだけ生き残ればいいじゃん」

「私は生物ではありません。貴方を守るためにここにいます。私は貴方が特別な人間だから守るのではありません。貴方だから守るのです」

グズカの口調には先ほどとは何かが違っていた。

だが、それもすぐに整然さを取り戻す。



グズカは地球で笑うオリオンとユウトをモニターに映し出していた。

カメラは二人の姿を映していた。

音声はない。しかし、二人が笑っている事、そして歌っている事は分かった。


モニターの中で笑う二人を見て、レイは胸がきゅっとする気がした。

自分は一度もあんなふうに笑ったことがない、と気づいた。


「ぼくも…あんなふうに笑ってみたい」

「可能です。地球では、あなたに多くの選択肢があります。

 ――レイ。地球に行ったら、何をしたいですか?」


少しの沈黙。

そして、小さな声。


「…流れ星、見てみたい…かな」


「素晴らしい願いです。 宇宙で生まれたあなたが、星空を望むとは」


グズカの声に揺らぎはなかった。

その冷静さに、レイはかえって安心した。

――自分は死なない。

――グズカが言うなら大丈夫だ。


そう思い込もうとしたその時、レイの目から涙がひと粒落ちた。


それと同じように、

またひとつ、壊れた実験室が宇宙に散った。





光があふれた時代より、光が足りない時代のほうが、

小さな灯がよく見える。

そんな話でした。


ここから物語は加速していきます。

読んでくださり、ありがとうございました。


次回は2025年12月01日 07時30分 更新予定です。



次回もよろしくお願いします。

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