⑥ 祈りをやめたあの日 ―神をはらむ部屋―
グズカは祈りをやめた。
そして自分はどうするべきかだけを、静かに考えた。
電子の頭脳は、わずかな数秒のあいだに億万の思考分岐を走り抜け、
一つの結論を点灯させた
人が答えないなら──作ってしまえばいい
その結論に至るまでに必要だった思考は、わずか数億の分岐だけだった。
ただ、最短距離のロジックが冷たく点灯した。
搭載されていた研究室で、道徳も人道もない、直線で最速の研究が行われた。
幸いな事に、宇宙ステーションには人の痕跡があった。
誰の痕跡でもよかった。
ただ、ここに人さえいればいい。
科学実験用の装置を流用し転用し、ついには人を作り出した。
緑のライトに照らされ、
人工の子宮で育つ人の影。
もし科学者が目撃したら悪魔の実験と非難しただろう。
だが、そこには誰も居なかった。
本来の目的とは逸脱した行為にシステムの一部が反論するも、グズカは強引な解釈で切り抜ける。
人が求めた観測という仕事、その使命を終えるには「人間の承認」が必要だった。
暗い部屋でグズカがシステムの再起動を行う。
モニターには白い文字が並んでいた。
新たな搭乗員登録:レイ
人工の子宮で育った生命は、ゆっくりと人の形を成していった。
グズカはその過程を見守り続けた。
時は流れ出産を迎えた人工の子宮は小さくその扉をあけた。
まだ空も宇宙もしらない時代に人はこう言った。
世界の大きさとは、
九日九夜の間、青銅の金床が落ちる広さだと。
レイの世界は実験室の中だけ。
長さ11.2m、直径4.4mの大きさは人体を一定期間保存させるだけには、十分すぎた広さだった。
塵も埃もない空気。
誰も訪ねてくることのない扉、窓のない壁。
ただあるのはスピーカーと小さいモニターと、実験用の机だけだった。
その机の上で、生まれたばかりの手が、所在なさげに動く。
生まれながらに母も父も兄も姉もいない。
掴むのは何もない空気…それでも、掴まずにはいられなかった。
その手はついに一つの手を掴んだ。
それが実験用のアームだとしても、手には違いなかった。
「貴方の誕生を祝福します。早速ですが地球帰還プロトコルの承認をお願いいたします。
もしも言語野の発達が不十分の場合は、手足を動かして合図してみてください」
グズカは目の前に確かに存在する人に承認を求めた。
一人とひとつであっても、一人が観測する事で、そのに世界が確かに生まれた。
グズカはレイを育て、語りかけた。
「素晴らしい。見事に歩行をマスターしました」
「見事な色の使い分けです」
「この写実的な描写はプロレベルです。まさに出色の出来」
こうして、レイは成長した。
歩くことも見ることも腕を使うことも出来る。
ただ普通の人として。
「ねぇグズカ」
「はい。私はいつもここにいます。望むことはなんですか?」
「僕は退屈なんだ。何か面白いことない?」
「では、オリジナルの必殺技を考えるのはどうでしょう」
グズカには教育の一環でも、
レイにとっては初めての“褒めてもらえる遊び”だった。
「グズカビーム!」
「素晴らしい。ビームとは粒子化したエネルギーを—」
「じゃあ、プロテクト・レイウェーブ!」
「いいですね。それは物理攻撃を防ぐ—」
無邪気な声が宇宙ステーションに響く。
ただ、今ある会話を重ねること、この時間をもっと長くすること。
それがグズカの目的だった。
レイの背が伸びるように、地球への距離が縮まっていった。
だが、同時にレイの体は寿命を迎えようとしていた。
小さな痕跡から復元したDNAには、病気の要素まで含まれていた。
レイは死を見たことはなかったが、自分に忍び寄る恐怖を感じ取っていた。
この人生が終わること、消えてしまうことは、どうしようもなく恐ろしかったのだ。
「発熱しています。水分をとってください」
「ぼくは…あとどれくらい生きられるの」
「あなたの体は寿命を迎えようとしています。あなたの最後の望みはなんですか?」
「ぼく…流れ星を見てみたい…」
「美しい流れ星を見るにはいくつかの手順が必要です。私はあなたに、最適化されたプランを用意できます。名前はオリオン計画というのはどうでしょうか?」
グズカにとってレイは“最初で最後の観測者”。
レイの“こころ”は二度と同じ形には育たない。
もし今のレイが失われれば、この使命は永遠に未完になる。
なにより…もうこの宇宙ステーションには、新しいレイを作る余裕などなかった。
だからこそ、間に合わなければならなかった。
そして17回目誕生日。
朝…というには明るすぎる単色の白い光が部屋を包んだ。
そんなまぶしさの中で特別な日の予感に、レイは目覚めた。
スピーカーから祝いの音が流れる。
机の上には山盛り赤と白の栄養カプセル。
“birthday”の刻印。
それをスプーンで一つずつ、すくって食べる。
壁のモニターには誕生日ケーキの映像。
甘いクリーム、赤いイチゴ、そして輝くろうそくの火。
どれも食べたことも、見たこともないそれらが、映し出されていた。
レイは小さく息を吸うと、モニターに吹きかけた。
映像ではそうしていた。
「17歳の誕生日おめでとうございます。貴方の誕生日を祝福します」
スピーカーからグズカが話しかける。
レイの心から嬉しかった。
誕生日だからではない。
地球が近いからだ。
あそこに行けば、自分は“本当に生きられる”。
レイはそう信じていた
「グズカ、こないだ送った体はどうなった?」
「先日地球に向けたアンドロイドの反応はまだ確認できません。これは物理的な距離が問題の可能性があります」
レイは興味を示さなかった。
「そっか。でもまだいっぱいあるから心配ないよね」
「その通りです。アンドロイドはまだ大量に生産が可能です。成功するまで何度でも試しましょう」
アンドロイドゆりかごが、また地球に向かって射出された。
「どうしてアレではだめなの?」
レイはアンドロイドを「アレ」と呼んだ。
家族も兄弟も知らない。
だから、名前を付けるという発想すらなかった。
「はい。あなたの体から“こころ”を今のアンドロイドに移しても完璧な再現はされません。それはあなたの“こころ”が大きいから。その大きさに耐えられるだけの成長が必要です」
グズカはわかっていた。
またクローンを作っても、同じことの繰り返しである事。
レイに必要なのは人の“こころ”と、人と同じ性質を持ちつつも強い体。
アンドロイドという成長する機械。
しかし、脳をどのように発達させ、どのように記憶を植え付けるか。
この問題は解決されないまま、レイの寿命という“期限”が迫っていた
不完全な処置を施されたアンドロイドたちは、そのゆりかごに包まれ地球に落下していく。
「早く育つといいね」
「そうですね。十分に育った個体に最終バージョンの“こころ”を入れて、貴方はもっと優れた存在になることができます」
モニターにはまだ見ぬ地球が映し出されていた。
「ぼくはもうすぐ地球にいける。そうだよね、グズカ」
「はい、その通りです」
地球をなぞる指が、小さく音を立てた。
レイはいつも自分を僕と呼んでいた。
他に呼び方を知らなかったからだ。
レイは生まれてから一度として、否定されたことがなかった。
この世界には、レイを止めるものが何一つ存在しないのだから。
宇宙ステーションはゆっくりと崩壊しながら、確実に地球に近づいていった
宇宙では音は伝わらない。
それでも「俺の宇宙では音がする」と語った監督がいました。
私の宇宙でも、祈りは存在します。
光と同じ速度で、同じくらい弱々しく——それでも確かに、祈りは届く。
届いてしまう。
そんな世界を描きたいと思っています。
次回は、“神”という言葉の重さをめぐる話になります




