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② 誰かの子を拾った夜。 ―命令の残響―

ある兵士が言った。

古今東西、兵士とは自分たちが想像するほど敵を殺していない。

むしろ、殺そうとしていない。

人には、生まれながらに「殺すこと」への強烈な抵抗があるのだと。

だが、その抵抗は――自らと他者の距離が離れるほど、

「機械」という媒介を挟むほど、薄れていく。

のちに心理学者になった兵士は、そう記している。

けれど戦争は、その抵抗をより効果的に消す方法を見つけた。

戦場は、怒号も銃声も聞こえない“静かな戦争”へと移り変わっていった。


戦場は、より遠く、より安全に、そしてより静かな戦争へと姿を変えた。

人の痛みと恐怖は、金属の中に隠された。

兵士の視線すらも、幾重もの機械が遮った。

人々はそれを“義体”と呼んだ。

感情も制御下におく義体。

それはまるで、パンクしても走り続けられるタイヤのようだった。

痛みも、恐怖も、限界までもが制御され、裂けて爆ぜるその瞬間まで走り続ける兵士を作り出した。

戦場は『倒す』場所ではなく、『確実に殺す』場所へと変わり、

やがて、いくつもの国が、国土ごと、静かに殺されていった。



日本もその例外ではない。

かつて東京の西に位置した三鷹市。

国立天文台があったその地は、戦争で重要な場所だった。

そこは恐ろしい兵器によって、地盤は崩れ、その穴に雨と川が流れ込んだ。

今や街は海抜を失い、静かな水の都となり、

夜には、かつて天文台が見つめた星々が、水面に揺れている。

一世紀ぶりに星を取り戻したその水面は、いまも、天と地のあわいを映している。

人も、国土も、深い穴を抱えて生きている時代だった。

そして、その穴を埋めてくれるはずの“義体”による精神介入にも、限界があった。


あの狙撃の失敗は、ユウトにとっても限界の表れだった

引き金を引く瞬間、わずかに震えたのは、肉ではなく“残された人間”の部分。

だが、軍部が問題にしたのは、発射されなかった二発目の弾丸だった


ユウトは帰還後、すぐさま拘束され、軍警察の取り調べを受けていた。

雪が音を吸ったあの夜から、季節は雨期に変わっていた。


「大戦の英雄に聞くのもバカバカしいんですがね。任務放棄ですか?」

狭い部屋に一つの机と、二つの椅子。

一人はバインダーを片手に質問をし、両手を拘束され、俯いている。

「命令不服従はゆるされない事なのはご存じでしょう?」

男の声はどこか余所行きで、それが誰かの録音を意識しているとしか感じられなかった。

ここに来る途中、作戦用の装備を外され、ユウトの体は、凶器ではなくなっていた。

「2か月の雪中作戦で義体に何か、不具合があったんじゃないですか」

男は、自分が聞きたい答えをあえて質問したが、ユウトは何も反応しなかった。




目を閉じても、開けても、あの笑顔が消えない。

目の前の白い机は、光を反射しながら、まるでスクリーンのように、あの親子を何度も何度も映し出していた。


父親として、最後の瞬間まで“父親”を貫いたターゲットの笑顔は、今もユウトの中に焼きついている。

痛みで叫ぶこともなく、死を前にして手を振り続けたターゲット…

誰にも、機械にも頼らずに、生身の体で、消えゆく命で最後まで仕事を果たした。

善良で、尊敬すべき男。

――恐ろしいほどに、立派だった。

世界に残された最後の良心を殺してしまった――

そんな損失感は、確実にユウトの心を蝕んでいく。


―心の痛みで死ねるのなら、どれほど楽だろうか。


取り調べは一旦の終わりを迎え、迷彩柄のトラックに載せられる。

二人の軍警察とユウトが揺られていた。

軍警察の隊員たちは複雑そうな顔をしていた。

大戦の英雄と呼ばれる義体化部隊。


見た目は人と変わらず、汗もかき、髭も伸びる。だが戦場では、勝利そのものを体現した

大戦中のプロパガンダの影響もあるが、現実として彼らは伝え聞く以上の仕事をした。

いつしか、兵士の間では彼らは不死身であるとまことしやかに語られている。


だが…人は必ず死ぬ。


恐れを知らぬ義体化集団にも、いつかは死が訪れる。

だが、彼らは簡単な事では死ねないのだ。

損傷した箇所を際限なく機械化し、最後は消滅するまで戦場にいる事を強制される。

それが不死身の、英雄の正体であった。



雨は強い雨に変わり、橋に差し掛かった。

見下ろせば、鼠色の濁流。吸い込まれそうな深さ。

もし飛び込んだら死ねるだろうか?

大戦中の経験からこれくらいでは死ねないと悟っていた。

義体化集団の中でも多くの損傷と、それを機械で埋め続けた肉体。

大戦も終結した今、彼は国内にいるただ一人、最後の英雄になっていた。


気づけば、若い男に何度か質問されていた。

証拠品の戦闘用装備をチラチラと見ている若い男だ。

憧れと、尊敬、言葉の一つ一つの後ろについていたが、ユウトには届かない。


耳が求めていたのは、最後のあの言葉だった。


「撃ってはいけない」


あれは幻聴だったのだろうか、それとも…

いくら思考を巡らせても生身の脳は答えを出せずにいた。

だが、そんなユウトをしり目に世界は進んでいく。

閃光。そして破裂音。降りしきる雨粒の一つと目が合った。その歪んだレンズの先で誰かが倒れた。

雨の音よりも大きく、雨の音より湿った音。

若い男が苦悶の表情で、ゆっくりと“この場所から”居なくなっていく。

人ではなく、ただの肉へと変わっていくその瞬間に、

また一人、向こう側へ行ったのだと悟った。


転がっていた男が持っていた銃を拾い、車の外を見る。

ライトが3つ、こちらに牙をむいた。


「攻撃を受けています!応援を頼む!」

無線機に怒鳴り散らすもう一人の軍警察は、ひどく焦って見えた。

数発の弾丸を放つ。叫ぶよりも泣くよりも、まずは敵を倒すことに集中する。


滑りやすい危険な道を猛スピードで進んでいく。

トラックは蛇行を繰り返す。狭い林道に入った瞬間の襲撃。

ユウトは直観的に理解した。

これは報復攻撃であると。



こういった事態を防ぐための作戦だった。

こういった犠牲を防ぐための作戦だった。


だが、今となってはただ戦うしかない。

ひとつ、また一つとライトを撃っていくが、

銃も次第に軽くなり、気づけば喚き散らす男も今は居なくなっていた。


そしてトラックのドライバーもすぐに居なくなった。


コントロールを失ったトラックは林道を下っていく。

速度が落ち、ライトとの距離が近くなる。

敵の、運転手の顔が見える。

銃が軽くなったのはお互い様子で、銃のマガジンを交換しているのが見えた。


ユウトは二、三歩を下がると勢いをつけて運転手の胸に飛び込んだ。

トラックの荷台から飛び出した体は、空を舞った。

途中、また雨粒と目が合ったが、それを置き去りし運転席のガラスに進んでいった。

ガラスを突き破り、狭い社内での格闘の末、ユウトはついに最後の敵を倒した。


最後の敵を車から蹴落とすと、ユウトは新しい運転手となった。

報復が再びあることを予想し、濁流に落ちていくトラックを横目に、

ユウトは林道を進んでいく。


ガラスが広がった車内で、これからの事を考える。

報復から身を隠す…ここで生まれ育ったユウトは難しくはないだろう。

だが、同時に軍に戻る事も難しい。


また雨が強くなる。

雨は問題ではなかった。義体化されたガラスの目はただまっすぐ前を見ていた。

ライトを調整しようと視線を一瞬下げ、そしてまた視線を戻す。

だが、視線の先には小さい人影が見えた。


ユウトは考えるより前に体が動いた。


アスファルトを切り裂く音と、その音に反応して、林の中で鳥が逃げていく羽音が響いた。


人影は酷く小さい、少年の形だった。

車から飛び出して、濡れた地面にもたつきながら、人影に駆けていく

「大丈夫か、怪我はないか」

ユウトは珍しく取り乱した様子で少年に声をかけた。

真夜中に、雨の中に、一人の影が立っていた。

やせ細った体が、冷たい雨に震えていた。

ユウト自身も、少年の安否に心が震えていた。


少年は倒れこみそうになり、ユウトはそっと優しく抱きかかえた。

「オリオン…」

そう耳元で呟くと、少年は意識を失う。

あの時の声が、また聞こえた気がした。

季節外れの星座を名乗る少年の重さを感じながら、ユウトは立ち尽くしていた。

ただ一つ。

ユウトの耳には少年の“生きている音”が確かに聞こえていた。




もう、誰の命令も聞こえなかった。

今回は、銃にされた兵士を人へ戻す物語です。

兵士は、私たちが想像するほど多くの敵を殺していません。

戦争とは俯瞰すれば“統計の殺人”ですが、

殺される側にとっては、人生に一度きりの“絶対の現実”です。


気づかぬうちに、私たちは殺人を前提に物語を読み進めてしまう。

しかし、その前提こそが盲目なのだと思います。

それでも人は、目を閉じても歩くことをやめられない。

ならばせめて、一人だけでも——目を開けたまま進む者がいてもいい


次回は「温度」を感じる回になります。

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