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⑫ 命の轍 ―忘れても失わないもの―


丘の上の、小さいアパート。

いつも帰るべき場所であったその場所は、

今や窓も壁も天井も、そして床すら崩落し瓦礫の山となっていた。


アパートの外壁は外側から抉ったような跡が残っていた。

人の力ではない、冷たい暴力の痕だった。


崩壊を微妙なバランスで支えていた床に、最後の一撃を与えたのは、

外ならぬユウトだった。


のし掛かってきたアンドロイドを跳ね除けようと力を加えるが、

先にアパートが根を上げたのだった。


崩壊していくアパートを横目に、オリオンを奪っていったレイたちは去っていった。


ユウトは今、瓦礫の下の一部であるかのように、横たわっていた。


どこかから漏れた水が、瓦礫を伝わり、そして最後に頬を撫でた。


その感触でユウトは目覚めた。


「なんだ…どうなった…?」

自分が今どこにいて、どうなっているかを確認するために周りを見渡す。



そして自分が何者なのかを、思い出した。

「オリオン!」


立ち上がろうとするも、足がついてこない。

いや、瓦礫に挟まれ、足は瓦礫の向こう側で力なく動くだけだった。


数度、瓦礫を押し返してみるが手ごたえはない。

大きな屋根そのものが、足首にのしかかっていた。

何度も押し返そうと力を込めるが、無駄なことだった。


それでも、手を止めることはしなかった。


「――返してもらう」

その声、そしてあの赤い目。

オリオンでありながら、オリオンでない者。

オリオンをアレと呼ぶ者。


ユウトの頭の中で、あの質問がゆっくりと波紋を広げていく。

「――では、なんです?」


あの時、自分がどうして動揺してしまったのか。

どうしてすぐに答えられなかったのか。



ユウトはびくともしない瓦礫を前に、持ち上げるのをやめた。

仰向けになり、天を仰ぐ。

夜空にはすっかり昇ったオリオン座が輝いていた。


「そんなの…決まってるじゃねーか」

小さくつぶやいた言葉は、自分自身に向けられていた。


ユウトは改めて周りを見渡す。

手が届く範囲に、コンクリートから突き出た鉄骨が見えた。


それを引き抜く。

今自分が考えている手段を実行するには十分な長さだった。


ユウトは自分自身の太ももを名残惜しそうに撫でてやる。

幾度も戦場を、幾度も仕事を、幾度もオリオンと歩いた足を撫でてやる。


そして自らベルトを強く太ももに巻いた。


適当な木片を咥えると、呼吸を整える。


手段の準備は整った。

あとは――決断だけだった。


またユウトは空を見上げた。

オリオン座が強く輝く。


鉄骨を握る手が震えていた。恐怖でも痛みでもない。

失いたくないものが、あまりにも大きかった。


そして持っていた鉄骨で――



――自分の膝を打った。



「………!!!!!」


声にならないうめきが瓦礫の山に静かに響いていた。



全身から脂汗が出る。

口の中で木片が悲鳴を上げる。



それでも、二度目を打った。

涙、よだれ、その他の体液を出しながら体は苦痛から逃れようとする。


それでも、それでもと、三度目を打った。


ユウトの体は義体に置き換えられていた。

無論、今打ち付けていた足も、義体に違いはない。


だが義体といっても血が通っていない金属ではない。

生体素材の義体には、本物と同じだけの血管と筋肉…そして痛覚も同じだけ存在していた。



四度目。

ついに手ごたえが変わっていた。

瓦礫に響く音は、次第に湿り気を帯びていた。


気を失いそうになる…それほどの痛み。

それでも、止めなかった。


何度も口に木片を噛んだ。

そのたびに、木片が代わりに悲鳴を上げていた。


五度目。

木片が零れ落ち、軽い音を出した。



ついに目的を達成したユウトは瓦礫から這い出て行く。



体の一部を、その場に残して。




どこへ行くか、どこに行けばいいのか。

そんなことを考えるよりも、自分を突き動かすものがあった。

体半分進むごとに、太ももに巻いたベルトから命が噴き出す。



自分が進んだだけ、自分の生きている証、その轍が地面に描かれていた。



それでも、前に進む理由は一つだけだった。


「いま…行くぞ…」





そして、瓦礫の向こうから

重々しいエンジン音が近づいてきた。


迷彩柄の軍用トラックが、

砂塵を巻き上げてユウトの前に止まった。


ブーツが砕ける音。闇に滲んだ迷彩。

誰かが無言で彼を抱き上げる。


ライトの光へ、手を伸ばす。

その指先が、かすかに震えていた。


そこで、ユウトの意識は途切れた。




国道はたくさんの車が渋滞を作っていた。

みな、国道を抜けて三鷹から離れようと同じ方向を目指す。

数珠つなぎになった赤いテールランプをよそに、迷彩柄のトラックはその逆を目指して走っていった。


ときおり道の段差に揺れるトラックの中で、担架の上のユウトは重たい瞼を開けた。

窓の外を見ると街灯が規則的に顔を出す。どこかに向かっていることは分かった。

トラックの中を見回すと床には止血帯、鎮静剤、造血剤などが散乱し、

応急処置を受けたことがうかがえた。


思考がはっきりとしてくるにつれ、自分には向かう場所があることを痛みと共に思い出す。

奪われたオリオンを探しに行かねばならないということ。

だが、立ち上がろうとするも、力が入らない。

ここで自分自身がかなり血を失っていることを思い知った。


「気がついたか」


運転席に一人座っている男に視線を向けた。その背中には見覚えがあった。

「…止めろ、止めてくれ。俺にはやることがあるんだ」

「落ち着けよ。まだ歩けないだろ。義体は回収できなかった。今付けてるのはただの棒だ。走ろうなんて思うなよ」


運転席から聞こえてくる声は聞き慣れたものだった。

常に同じ戦場で観測と狙撃を担当する二人組。


あの雪の日の狙撃も、その例外ではなかった。



運転席に居たのは、あの雪の日の狙撃を、別の角度から見ていた男だった。


「お前が無事でよかったよ。実はな…ずっと見てたんだ。

 俺とお前の回線はずっと切ってなかった。だからバイタルが跳ねた時は、焦ったよ」

「盗み見とは、ずいぶんといい趣味だな」

「そういうな。俺だって後ろめたかった。だが、報復を止めるには必要だ」


ユウトの心には、再会を喜ぶ余裕など一片もない。

どんな犠牲を払ってもいい。

そんな赤黒い、泥のような復讐心が沸騰していた。


担架を掴む拳は、骨組みを軋ませるほどに強く握られている。


……分かっている。冷静でいなければ、失う。


だが、こうしている間にもオリオンが何をされているのか?

悪い想像ばかりが脳裏をかき回していた。


トラックが町の混乱を背後に、より静かな方へ進んでいった。

三鷹水系の穴の中央、その暗がりに向かって。


ほどなくして車は路肩にとまる。

静かな町にエンジン音だけが響いていた。

「どうして…助けた」

「俺だって人間だ。軍に全部売り払ったわけじゃない」


男は荷台から長い箱を取り出した。

銃痕だらけの箱が重たい音と共に出てきた。

「お前の装備だ」


あの雨の日に証拠として押収された箱だと気付いた。


ユウトは片足を引きずりながらその箱の前に立つ。

表面を撫でてやると、過去の自分を思い出す。

黒い外装に、部隊のマーク。

個人を表す軍籍番号。

そして弾痕跡の横に、白いテープで雑に貼られた一枚の紙。


《死亡確認済》


そんな白いテープを剥がすと、死んだはずの自分がしがみついてくるように指先に絡みついた。

それを乱暴に投げ捨てると箱を開けた。


ユウトは箱の中で過去の自分と対面する。

その中には、殺意を形にした器具たちが並んでいる。


黒光りする銃口、白く塗られた装備、汗が染みついた軍服。


そっと銃に触れる。

命を奪うだけの機械。自分の殺意を何倍にも倍増する危険な機械。

――この世界を壊しても、オリオンだけは取り戻してやる。


「あの日のままだ。必要なものをもってけ」

ふと、銃を握りしめながらあの日のことを思い出す。

あの声は、この男が言ったのだろうか。


「………なあ、あの時なんで『撃ってはいけない』と言ったんだ」


男は少しだけ、言い淀む。

そして――


「俺は撃てと言った。ずっとな」


「それじゃあの声は…」



男は黙ってユウトの目の奥の変化を見つめた。


「お前が言ったんだよ」


ユウトの呼吸が止まった。


その瞬間、あの日の情景が雪の温度ごと蘇った。

無音の世界。

いつもよりも重たい引き金、そして一発の銃声…そして二発目を狙おうとした瞬間。


そこで聞こえた声は———自分自身だった。



「………俺か」


それは誰にも届かない。


「俺の声か」


あの時と同じ、自分に一人にだけ聞こえる、小さなつぶやきだった。



手の中に納まる銃を見つめなおすと、

先ほどまではなかった銃の重さを初めて感じた。

そしてその冷たさも。

先ほどまで黒光りしていた銃口も今は輝きを失っていた。



ユウトは銃を箱に戻した。

かつての自分を封じ込めるように、蓋をゆっくり閉じる。


殺意も、怒りも、もういらない。




「忘れたと思っていたが…失ってはいなかったんだな」


ゆっくりと立ち上がると、応急処置でつけられた義足が、澄んだ音を立てた。


「銃はいいのか」

「戦いに行くわけじゃない。迎えに行くだけだ」

「それならその足でも大丈夫かもな。あの子は穴の中心だ。早く行ってやりな」

「助かったよ」

「いいさ、俺とお前の仲だろ」


拳を重ね合わせ最後の挨拶をしたユウトはトラックに背を向けた。

足を引きずりながら、一歩、また一歩と夜へ進む。

穴の中心には、きっとオリオンがいる。


ゆっくりだが確実な足取りだった。



「ユウト」


その声に立ち止まるが、振り返らない。


男は少しだけ視線を落とし、絞り出すように言った。


「 …お前ら、いい家族だったぜ 」


ユウトは何も返さない。

代わりに、義足が返事をしていた。




人格とは、記憶の連続によって形作られる——

そんなふうに言われることがあります。


では、もし記憶を失い、

その“形”が崩れてしまった時。

その人の中には、何が残るのでしょうか。


私は思うのです。

記憶や理性よりも先に、

もっと大切なものが、きっとそこにはある、と。


物語はいよいよ終盤へ。

最後まで見届けていただければ幸いです。


クライマックスに向けて完成度の高いものをお届けするため、時間を頂きます。

次回は12月8日以降の予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。

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