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第9話 聞こえる声と地下室の異変


トルマンの依頼を終えてから、数日が過ぎた。

金貨20枚という大金を手にしたことで、俺の懐にはしばらく余裕ができた。ギルドで細々とした依頼を受ける必要もなくなり、俺は自邸での生活を存分に満喫していた。


主な日課は、三つ。

一つ目は、屋敷の整備だ。物理的な掃除はほとんど終わったが、広大な屋敷には、手入れをすべき場所がまだまだたくさんあった。荒れ果てた庭の雑草を抜き、錆び付いた蝶番に油を差し、傷んだ屋根を修繕する。まるで、巨大な生き物を少しずつ手懐けていくような感覚だった。


二つ目は、吸血刀の鍛錬。

庭で素振りをするだけでは、刀の渇きは癒せない。俺は定期的に森へ出かけ、手頃なゴブリンやオークを狩ることにした。血を吸うたびに、刀はより鋭く、より俺の意志に忠実になっていく。もはや、ただの武器ではない。俺の腕の延長であり、信頼できる相棒だった。


そして三つ目が、俺自身の変化と向き合うことだった。

あの家に住み始めてから、俺の感覚は日に日に鋭敏になっていた。特に、霊感とでも言うべき第六感が、異常なほど発達している。街を歩けば、人々の感情の機微――喜び、怒り、悲しみといったオーラが、色としてぼんやりと見えるようになった。

最初は煩わしかったが、慣れてくると、これはこれで便利な能力だった。商人が嘘をついているか、チンピラが喧嘩を売ろうとしているか、その気配を事前に察知できる。傭兵稼業にも、間違いなく役立つだろう。


「……これも、この家の魔力のおかげか」


俺はリビングのソファに深く腰掛け、天井を見上げた。

地下の魔力溜まりは、吸魔石によって適切にコントロールされている。屋敷全体に満ちる適度な魔力が、俺の肉体と精神を少しずつ変質させているのだ。それは、決して不快な変化ではなかった。むしろ、全身に力がみなぎり、頭が冴え渡るような、心地よい感覚だった。


そんなある日の午後。

俺は書斎の整理をしていた。先代当主が残したであろう膨大な量の書物。そのほとんどは魔道具に関する専門書や、取引の記録だった。埃を払い本棚に並べ直していく。地道だが、この家の過去を知る上で、重要な手がかりになるかもしれない。


その時、ふと、奇妙な声が聞こえた。

『……ここ……』

『……まだ、ある……』


それは、亡霊の声とは違う。もっと無機質で、物自体が発しているような、微かな囁き。

俺は耳を澄ませる。声は壁の中から聞こえてくるようだった。

俺は声のする壁を、コンコンと叩いてみる。すると、一箇所だけ、明らかに音が違う場所があった。他は石壁の硬い音がするのに、そこだけが空洞のあるような軽い音がする。


「隠し通路か、何かか?」


先代当主は、よほど隠し事が好きな男だったらしい。

俺は壁の継ぎ目を丹念に調べ、やがて、本棚の陰に隠れた小さなスイッチを見つけた。それを押し込むと、ゴゴゴ……と重い音を立てて、壁の一部が横にスライドし、新たな通路が現れた。


通路の先は、狭く暗い螺旋階段になっていた。どこに続いているのか。

俺は松明を手に、慎重に階段を下りていった。

この感覚には覚えがある。そうだ、あの地下室へと続く階段と同じ、ひんやりとした湿った空気。


階段を下りきると、そこは見覚えのある場所に出た。

あの広大な地下室だ。だが、俺がいつも使っている扉とは、反対側の壁から出てきた形になる。ここは、書斎と直結した当主専用の隠し通路だったのだろう。


地下室は、俺が整備した時のまま静けさを保っていた。

床の魔法陣の上には、吸魔石が整然と並び、空間の魔力を静かに吸収し続けている。

だが、何かがおかしかった。

俺がこの部屋に入った途端、囁き声が、よりはっきりと聞こえてきたのだ。


『……こっち……』

『……我らを、見つけて……』


声は、地下室の隅、俺がまだ手をつけていなかった瓦礫の山の方から聞こえてくる。そこは、呪いの石像を破壊した時の残骸や、打ち捨てられた古い家具などが積み重なっている場所だった。


俺は松明を掲げ、瓦礫の山に近づいた。

声を頼りに、瓦礫を一つ一つ取り除いていく。すると、その一番下に古びた鉄製の扉が隠されているのを発見した。

地下室の中にある、さらに別の地下室。いわゆる隠し倉庫だろう。


扉には頑丈な錠前がかかっている。だが、長い年月で錆び付いており、俺が力を込めると、バキンという音と共に呆気なく壊れた。

重い鉄の扉を開けると、カビ臭い、澱んだ空気が流れ出してきた。

そして、その奥には。


『……ようやく……光が……』


無数の魔道具があった。

壁際の棚にぎっしりと並べられている。そのどれもが強力な魔力を放っていた。だが、その多くは吸血刀や幻想鏡のような、明らかに「呪物」に分類される品々だった。

不気味な仮面、ひとりでに血涙を流す女神像、持ち主の幸運を吸い取るというダイス。

先代当主は、表の商売で扱う魔道具とは別に、こうした曰く付きの品々を、ここで秘密裏に取引していたのだろう。


「……宝の山か、ガラクタの山か」


俺は思わず呟いた。

これらの呪物を制御できれば絶大な力になる。だが、一歩間違えれば俺自身が呪いに呑み込まれるだろう。ハイリスク、ハイリターンな品々だ。


俺が棚を眺めていると、その中でもひときわ異質なオーラを放つ一冊の本が目に留まった。

黒い革で装丁された、分厚い古書。表紙には何の文字も書かれていない。

だが、俺がその本に手を伸ばした瞬間。


『触れるな』


本から、直接、強い拒絶の意思が伝わってきた。

これまでの呪物とは違う。明確な自我を持っているかのような、強い力。


『我は、選ばれし者以外の接触を許さぬ』

「選ばれし者、ね。そいつは、どういう基準で決まるんだ?」

『……我を、御せるだけの魔力と、魂の強さを持つ者』


面白い。

俺は挑発するように、ニヤリと笑った。


「なら、試してみるか。俺に、その資格があるかどうか」


俺は躊躇なく、その黒い本を手に取った。

その瞬間、本から凄まじい精神攻撃が叩きつけられた。恐怖、絶望、苦痛。俺の精神を内側から破壊しようとする、悪意の嵐。

だが、俺はそれに耐える。幽霊屋敷の呪いを祓い、嘆きの人形を無力化し、吸血刀を従えた俺の精神は、もはや並の呪いでは揺らがない。


「……どうした。その程度か?」


俺が耐えきると、本の抵抗がふっと消えた。

そして、今度は静かに、俺という存在を吟味するような気配に変わった。


『……面白い。人の子よ、汝の名は』

「カインだ。お前は?」

『我に名はない。ただ、こう呼ばれていた。『アカシック・グリモワール』……世界の理を記した、禁断の魔導書、と』


魔導書は、静かに語り始めた。


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