第7話 評判と金貨と奇妙な依頼
夕暮れの光が街をオレンジ色に染める頃、俺はアークライトの北門をくぐった。
森での戦闘は、思った以上に早く片付いた。これもすべて、新しい相棒である吸血刀のおかげだ。その切れ味は、これまでの俺の戦闘スタイルを根底から覆すほどの衝撃だった。
そのまま傭兵ギルドへ直行し、受付カウンターで依頼完了の報告をする。受付嬢は、俺がたった半日で、しかも一人で依頼を完了させたことに目を丸くしていた。
「か、カイン様、お一人で……? 北の森のアンデッドを、全て掃討されたと?」
「ああ。墓地にいた奴らは、一匹残らず片付けたつもりだ。念のため、ギルドの方で確認してくれ」
「は、はい……。承知いたしました。確認が取れ次第、報酬をお支払いしますので、少々お待ちください」
受付嬢は慌てた様子で奥へと引っ込んでいった。おそらく、確認のために斥候か、別の傭兵チームを派遣するのだろう。
俺は待合スペースの椅子に腰を下ろし、ギルド内の喧騒に耳を傾けていた。すると、案の定、俺に関する噂話が聞こえてくる。
「おい、見たか? 『骨拾い』のカインだ」
「ああ。幽霊屋敷に住み始めてから、初めての仕事じゃないか?」
「たった一人で北の森に行ったらしいぜ。正気とは思えん。あそこのアンデッド、最近妙に数が多くて凶暴だって話だぞ」
「呪われて、頭のネジでも飛んじまったんじゃねえか?」
好き勝手言ってくれる。だが、今の俺にとって、そんな陰口は心地よいBGMのようなものだった。結果さえ出せば、評価は後からついてくる。それが傭兵の世界だ。
しばらくして、酒場の方から見慣れた金髪が歩いてくるのが見えた。護衛依頼を終えたレオだ。彼は俺の姿を見つけると、驚いた顔で駆け寄ってきた。
「カイン! もう戻ってたのか! 無事だったか?」
「ああ、見ての通りだ。かすり傷一つない」
「本当かよ……。北の森の連中は、かなり厄介だって話だったぞ。どんなもんだった?」
「まあ、数はいたな。30……いや、40体近くはいたか。最後にグールも一匹おまけでついてきた」
「よ、40体!? それを一人で!?」
レオは絶句した。彼の驚く顔を見るのは、なかなか面白い。
「新しい剣の切れ味が、思った以上によくてな。面白いように斬れた」
「新しい剣? そんなもん、いつの間に……」
「例の家で見つけた。曰く付きのな」
俺がニヤリと笑うと、レオは「うげえ」という顔をして一歩後ずさった。
「やっぱり呪いのアイテムか何かだろ! そんなもん使って、大丈夫なのかよ……」
「使い方次第だ。今のところ、最高の相棒だぞ」
俺たちがそんな話をしていると、先程の受付嬢が戻ってきた。その手には、ずしりと重そうな革袋が握られている。
「カイン様、お待たせいたしました! 派遣した斥候から、依頼対象のアンデッドが掃討されていることの確認が取れました。信じられない速さです……。こちら、基本報酬の金貨8枚と、迅速な任務完了に対する特別報酬として金貨2枚、合わせて金貨10枚になります」
受付嬢は、畏敬の念すら込もった目で俺に革袋を手渡した。
金貨10枚。
これでまた、しばらくは食うに困らない。何より、自分の力で稼いだ金の重みが心地よかった。
「すげえ……。本当に10枚稼ぎやがった……」
レオが呆然と呟く。
「まあな。これでまたパンが買える」
「お前の金銭感覚、どうなってんだよ。豪邸の主のセリフじゃねえぞ」
報酬を受け取り、俺はレオと一緒にギルド併設の酒場で一杯やることにした。俺はいつもの安いエール、レオは少し値の張る黒ビールを注文する。
「しかし、お前、本当に変わったな」
エールを一口飲んだレオが、しみじみと言った。
「そうか?」
「ああ。前のお前なら、アンデッド40体なんて依頼、いくら得意でも一人じゃ受けなかっただろ。もっと慎重だった。なのに今は、なんだか……自信に満ちてるっていうか、怖いもん無しって感じだ」
レオの言う通りかもしれない。
あの家を手に入れ、自分の力で住める場所に変え、強力な武器まで手に入れた。それらの成功体験が、俺の精神に大きな影響を与えているのは間違いなかった。貧乏暮らしに慣れ、どこか諦めに似た感情を抱えていた以前の俺とは、明らかに何かが違う。
「そうかもしれん。少なくとも、幽霊も呪いも、もう怖くはないな」
「……俺は怖い」
俺たちが他愛ない話をしていると、不意に、一人の男が俺たちのテーブルに近づいてきた。
小太りで、身なりの良い商人風の男だ。その顔には、困り果てたような、切実な色が浮かんでいる。
「失礼。あなたが、あの『幽霊屋敷』を住処にしているという、カイン殿ですかな?」
「……そうだが、あんたは?」
俺が訝しげに尋ねると、男は深々と頭を下げた。
「私は、トルマンと申します。アークライトで魔道具商を営んでいる者です」
「魔道具商?」
奇妙な偶然に、俺は眉をひそめた。あの屋敷の先代当主と同じ職業だ。
「ええ。実は、カイン殿に、ぜひともお願いしたい依頼がありまして……」
「依頼なら、ギルドを通してくれ」
「いえ、これはギルドには通せない、内密の依頼なのです。もちろん、謝礼は弾ませていただきます」
トルマンと名乗る商人は、声を潜めて言った。その目は真剣だ。
レオが、面白そうな、それでいて面倒くさそうなものを見る目で、俺とトルマンを交互に見ている。
「……話だけ、聞こうか」
俺がそう言うと、トルマンは安堵したように息をついた。
「ありがとうございます。実は……私の店で扱っていた商品に、問題が起きてしまいまして」
「問題?」
「はい。とある呪いの品が、暴走してしまったのです。夜な夜な、店の中で奇妙な現象が起き、従業員が怖がって誰も寄り付かなくなってしまいました。高名な神官殿にもお願いしたのですが、祓うことができず……。そこで、カイン殿の噂を耳にしたのです」
トルマンは続けた。
「曰く付きの幽霊屋敷を、たった一人で浄化し、平然と住んでいる方がいる、と。アンデッド討伐のエキスパートでもある、と。あなた様ならば、この呪いをどうにかできるのではないかと思いまして……」
なるほど。俺の評判は、思わぬ形で広まっているらしい。
『骨拾い』という不名誉なあだ名が、巡り巡って『呪いや霊の専門家』という、少しだけ格好のついた肩書に変わりつつあるようだ。
「具体的には、何をすればいい?」
「私の店にある、呪われた人形……『嘆きの人形』を、どうにか無力化していただきたいのです。破壊でも、封印でも、構いません。どうか、お願いできませんでしょうか」
トルマンは、テーブルの上に小さな革袋を置いた。中からは、金貨が擦れる音がする。前金だろう。
「報酬は、成功報酬で金貨20枚。いかがでしょうか」
金貨20枚。
破格の報酬だ。それだけ、彼が追い詰められているということだろう。
俺はレオと顔を見合わせた。レオは「お前、そういうの、ホイホイ引き寄せる体質なんじゃないか?」とでも言いたげな顔をしている。
呪われた人形。
正直、面倒くさい。だが、金貨20枚は魅力的だ。それに、俺の力がどこまで通用するのか、試してみたいという好奇心もあった。
俺はトルマンに向き直り、静かに頷いた。
「……わかった。その依頼、引き受けよう」
こうして俺は、またしても奇妙な『訳アリ案件』に、首を突っ込むことになったのだった。