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第5話 吸血刀と幻想鏡


地下室の三大問題を一掃し、俺は再び地上へと戻った。

あれほど重く澱んでいた屋敷の空気は、まるで嘘のように軽やかになっている。亡霊たちの気配も、呪いの気配も感じられない。ただの、少し古くて広いだけの、静かな家になっていた。


「よし、掃除の続きだ」


気分も新たに、俺はエントランスホールの絨毯と格闘を再開した。

ブラシで擦り、雑巾で拭く。地道な作業だが、もはや邪魔は入らない。集中して作業を続けると、あれほど頑固だった血痕も、少しずつ薄くなっていくのが分かった。完全に消すのは無理だろうが、気にならない程度にはできそうだ。


数時間後。エントランスホールと廊下の掃除を終えた俺は、汗を拭いながら床に座り込んだ。体は疲れているが、気分は最高だった。自分の力で、この家を「住める場所」に変えていく。その実感は、何物にも代えがたい満足感を与えてくれた。


一息ついた俺は、地下から持ってきた木箱を改めて開けてみた。

中には、二つの魔道具。

まずは、黒檀の鞘に収められた刀。そっと引き抜いてみると、闇を溶かし込んだような、漆黒の刀身が現れた。陽の光が届かない地下室で見た時よりも、その妖しさは際立っている。刀身には、血を流すための溝(樋)が深く刻まれていた。


「……こいつは」


手に取った瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。刀が、まるで生き物のように脈動しているのを感じる。そして、脳内に直接、飢えと渇きが流れ込んできた。

血が欲しい。新鮮な、生命力に満ちた血を。

その強烈な渇望は、並の精神力では抗えないだろう。持ち主を操り、無意味な殺戮へと駆り立てる。典型的な呪いの武器だ。


だが、俺はそれに抗う。

「うるさいな。黙ってろ」

俺が己の魔力を込めて念じると、刀の脈動が少しだけ弱まった。どうやら、俺の対アンデッドに特化した魔力は、こういう呪物に対してもある程度の耐性を持つらしい。


俺はこの刀の扱いについて、直感的に理解していた。

これは「吸血刀」。血を吸わせれば吸わせるほどに切れ味を増し、持ち主との同調を高めていく。逆に、血を与えずに放置すれば、飢餓状態に陥り、周囲に無差別に呪いを振りまく厄介物だ。

だが、面白いことに、この刀には一つの大きなメリットがあった。血を吸った後、わざわざ拭き清めずとも、そのまま鞘に納めて問題がない。吸い取った血は、すべて刀身に吸収され、その力となるからだ。手入れが楽、というのは、俺のような無精者にとってはありがたい特性だった。


「傭兵稼業で血を吸わせる機会には困らんな。使い方次第では、強力な武器になる」


俺は刀を鞘に戻し、次に手鏡を手に取った。

銀の縁取りが美しい、アンティークな品だ。鏡面は曇り一つなく、磨き上げられている。覗き込むと、疲れた顔の自分が映っていた。

だが、ただの鏡ではない。鏡の奥から、心地よい微睡みのような、甘い誘惑が滲み出してくるのを感じる。


これもまた、危険な魔道具だ。

「幻想鏡」。持ち主に、望むがままの心地よい夢を見せる。だが、その夢はあまりに甘美で、一度囚われた者は現実に戻ることを拒むようになる。三日三晩、夢から覚めなければ、その魂は完全に鏡の中に囚われ、永遠に夢の世界を彷徨うことになる。魂を喰らう、呪いの鏡だ。


「……なるほどな。これもまた、厄介だ」


吸血刀と幻想鏡。

どちらも先代当主が商品として、あるいはコレクションとして所持していたものだろう。呪物を保管するために、魔力溜まりである地下室は最適な場所だったに違いない。

普通なら、すぐにでも処分すべき危険な品々だ。だが、俺は違った。


「面白い」


俺は二つの魔道具を、再び木箱にしまった。

この家も、この道具も、すべては「使い方次第」だ。リスクを管理し、その特性を理解し、最大限に利用する。それは、危険と隣合わせの傭兵稼業で俺が培ってきたスキルそのものだった。


その日から、俺の奇妙な新生活が本格的に始まった。

日中は、屋敷の掃除に明け暮れた。リビングの床を磨き、書斎の家具を整理し、客間の割れた窓ガラスを板で塞ぐ。少しずつ、家が綺麗になっていくのは単純に楽しかった。

掃除の合間には、吸血刀を腰に差し、荒れた庭で素振りをした。最初は微かに感じられた刀の渇望も、俺の魔力に馴染むにつれて、徐々にコントロールしやすくなっていった。これは、単なる武器ではない。俺と共に成長する「相棒」になるかもしれない。


夜は、幻想鏡を枕元に置いて眠った。

もちろん、魂を囚われないように、細心の注意を払って。鏡の力は、眠りの深さを調整するのに役立った。傭兵は、野営中でも常に警戒を怠れない。熟睡など何年もしたことがなかった。だが、幻想鏡を使えば、浅い眠りでありながら、深い休息を得たかのような効果が得られるのだ。夢の内容も、自分でコントロールできる。「温かいシチューを腹一杯食べる夢」とか、「ふかふかのベッドで眠る夢」とか。ささやかだが、貧乏暮らしが長かった俺には、それだけで十分な贅沢だった。


数日が過ぎた頃。

屋敷の掃除も一通り落ち着き、俺は久しぶりに傭兵ギルドへ顔を出してみることにした。そろそろ、生活費を稼がなければならない。金貨50枚の買い物で、俺の懐は完全に空っぽになっていた。



アークライトの傭兵ギルドは、いつものように荒くれ者たちの熱気で満ちていた。

俺が中に入ると、何人かの顔見知りが、驚いたような顔でこちらを見た。


「おい、あれ……カインじゃないか?」

「生きてたのか、『骨拾い』の奴……」

「東区画の幽霊屋敷を買ったって噂、本当だったんだな」


ひそひそと交わされる噂話。どうやら、俺の奇行はすでにギルド中に知れ渡っているらしい。俺はそんな視線を気にも留めず、依頼掲示板へと向かった。

薬草採集、荷馬車の護衛、ゴブリンの巣の駆除。相変わらずの依頼が並んでいる。どれか手頃なものはないかと探していると、不意に背後から肩を叩かれた。


「カイン! やっぱりお前か!」


振り返ると、そこにいたのはレオだった。

彼は俺の全身を上から下までじろじろと眺め、信じられないといった顔をした。


「……お前、本当に生きてたんだな。しかも、なんだか……顔色、良くないか?」

「そうか? 自分じゃ分からんが」

「ああ。前はもっと、こう……世を拗ねたみたいな、枯れた感じだったのに。妙に肌ツヤがいいというか……」


レオの言うことは、あながち間違いではないかもしれない。

あの家に住み始めてから、体の調子はすこぶる良い。地下の魔力溜まりを吸魔石で調整した結果、屋敷全体が適度な魔力で満たされるようになった。その環境が、俺の身体に良い影響を与えているのだろう。体内の魔力量も、以前より増している気がする。霊感が鋭くなったのか、街中の人々の感情の機微のようなものまで、ぼんやりと感じ取れるようになっていた。


「幽霊との同居生活も、案外悪くないぞ」

「同居って……お前、まだ祓ってなかったのか!?」

「いや、一掃した。今は静かなもんだ。掃除も終わって、快適そのものだぞ。今度、遊びに来るか?」

「絶対に行かん!!」


レオは全力で首を横に振った。こいつの恐怖心は本物らしい。


「それより、仕事を探しに来たんだろ? 何かいいのはあったか?」

「いや、まだ見てるところだ。金が尽きたんでな。何か稼がないと、今夜のパンにも困る」

「はっはっは! 豪邸の主が聞いて呆れるぜ。……ああ、そうだ。それなら、ちょうどいいのがあるぞ」


レオはそう言うと、掲示板の一枚を指さした。


『緊急依頼:北の森に出現したアンデッドの掃討』

『内容:夜な夜な森から現れるゾンビ、スケルトンの討伐。近隣の村に被害が出始めているため、迅速な対応を求める』

『報酬:金貨10枚』


アンデッドの掃討。俺の得意分野だ。

そして、金貨10枚という報酬は、この手の依頼にしてはかなり高額だ。それだけ、被害が深刻で、誰もやりたがらないということだろう。


「どうだ? お前にとっては、うってつけの依頼だろ。『骨拾い』の名人芸、見せてやれよ」

「……誰が骨拾いだ」


俺は軽口で返しながらも、その依頼書に手を伸ばした。

新しい家、新しい武器。そして、新しい身体の感覚。

それらを試すには、ちょうどいい。


「よし。この依頼、俺が受ける」


俺は依頼書を握りしめ、受付カウンターへと向かった。

久しぶりの仕事だ。新しい相棒である吸血刀が、俺の腰でかすかに脈打つのを感じた。

こいつの、本当の切れ味を試す時が来た。


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