表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

7. 母と娘

「明日から1ヶ月だけ、海外出張なの。」


カップを手に笑う都さんは、今日も変わらず柔らかい。紅茶の香りがふわりと鼻をくすぐる。心が温かくなるのは、それが都さんだからだ。

その香りが、明日にはもう、二度と戻ってこない。

未来を私は知っている。


明日は、来栖都が死ぬ日だ。


世界線は決まっている。飛行機は落ちる。彼女は戻らない。それが、この時代に送り込まれた淡路創に課された“了解済みの未来”だった。


それは決められた死。

変えてはいけない歴史。もし変えてしまえば、もっと多くの人が苦しむ未来に繋がってしまう。だから、私は──止められない。


「……じゃあ、明日から少しの間、家を空けるわ。創、その間、雲雀のこと、よろしくね。」


いつも通りの声で、都さんが笑う。

そう穏やかに言った彼女に、創は言葉を失った。そう言って紅茶のカップを差し出すその手を、私は思わず握ってしまいそうになる。

目の前の都さんは、いつも通りだった。

明日、自分がこの世から消えるなんて知らずに。


「……はい、承りました。お気をつけて」


声が震えそうになるのを、必死に押し殺す。心なんて、持っているはずじゃなかった。私はは“道具”だった。

任務を遂行するために作られた存在。それなのに、どうして。

どうしてこんなにも、苦しいのか。

都さんは、初めて私に「名前」をくれた。

『淡路創』という名は、彼女が微笑みながら与えてくれたものだ。感情のなかった私に、居場所をくれた。この家で初めて知った。

紅茶の味、毛布の温かさ、人の声の優しさ。

それら全部が、都さんのものだった。


都さんは、ただの任務対象の母親なんかじゃない。

……私の、大切な人だった。


「本当に、大丈夫なの?」と都さんが覗きこむ。


私は笑ってみせた。

でも、表情が崩れそうになる。

笑顔が保てない。

唇が震えてしまう。

 

「どうしたの? 創?」

「……ごめんなさい、ちょっと、寂しくなってしまって……」


その言葉に、都さんは目を見開いて──ふっと、優しく笑った。


そして次の瞬間、私を抱きしめてくれた。

柔らかくて、あたたかくて、母親の匂いがした。


「ありがとう、創。あの子をあの部屋から引きずり出してくれて。あの子を、世界と繋いでくれて。母親なのに、私にはできなかった。母親失格よね...」

「……そんなこと、ありません」

「それとね……私、あなたのこと、家族だと思ってるの。もうひとりの娘だって。創、あなたは私の大切な、愛しい子よ。」


言ってはいけない。止めてはいけない。変えてはいけない。

それなのに、私の中に湧き上がる感情は、止まることを知らなかった。


「……一ヶ月なんて、ちょっとじゃない。だから……そんな悲しそうな顔、しないで?」


都は、創の髪を優しく撫でた。


「またね、創。」


その言葉を最後に、都は背を向けた。

創は一歩も動けなかった。

ただ、彼女の背中を、目が覚めるほど鮮明に、見送った。


「――いってらっしゃいませ、都さん。」


玄関で1人ぽつりと呟く。

その声は、もう彼女には届かない。


明日、彼女は戻らない。未来は変えられない。

それは理解していたはずの別れ、どうしようもなく苦しく私はしばらくただそこに立ち尽くした。


ー何かの拍子で戻ってきてくれないか


なんて、あり得ないはずの未来を思い描いて。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ