6. その言葉に救われたー佐山視点ー
──中学2年の冬、本屋の参考書コーナー。
中学2年の佐山威人は、分厚い過去問を手に取っては戻しを繰り返し、そしてため息をついた。
「…やっぱ高いなぁ、私立。」
何度も手にしていたのは、都内でも屈指の進学校の参考書。
先端科学コースがあり、彼が夢中になっている「ヒューズ細胞」の研究に必要な設備も整っていると聞く。
しかし、佐山家は兄弟が多く、家計に余裕はない。母子家庭であるため、自分が私立にいく学費はあるはずないのだ。
それに長男である自分が夢のためだけに無理を通すわけにはいかなかった。
「佐山くん?」
背後から聞き慣れた声がした。
振り返ると、雲雀の家の使用人である創が、整ったメイド服の姿のまま、こちらを見つめていた。
年上の女性、という印象だが、どこか子供のような素直さと儚さを併せ持つ不思議な存在だった。
「創さん…なんでここに?」「都さんに頼まれて、夕食の材料を買いに来たついでに、少し寄り道を。」
誤魔化す暇もなく、彼女はスッと横に並び、手にした参考書を覗き込む。
創は佐山の手元の赤本に視線を落とし、少し微笑んだ。
「受験のことで悩んでるんですね?」
「はい。本当は最先端の研究ができる理科系の私立高校に行きたいんですけど学費が高くて。俺が言っちゃったらチビ達絶対行けって応援するはずなんです。それに母さんももっと仕事増やすに決まってる。でも、ウチ、兄弟6人いて……俺が我儘言って私立なんか行ったらチビ達の将来の幅が狭くなっちゃうし、それに母さんにも迷惑かけちゃうから...」
その言葉に、創は真剣な眼差しになった。
「……」
創は少しだけ黙り込み、それからにっこりと微笑んだ。
「佐山くん。特待生制度はご存知ですか?」
「え、まぁ、名前くらいは…でもああいうのって、もっと特別な人しか…」
「調べてみないと分かりませんよ。今の成績なら、可能性はあります。」
そう言って、創はスマホを取り出し、学校の特待制度について調べ始めた。
申込方法、試験日程、過去の倍率――どれも佐山ひとりでは調べきれなかった情報が、創の冷静な手によって次々と明らかになっていく。
「佐山くんは、何も諦める必要ないんですよ。お兄ちゃんだからって、我慢する必要なんてないんです。我慢強いことは良いことですが、少しは我儘言った方がいいですよ。佐山くんのお母様も、ご兄弟も、きっと雲雀くんだって貴方の我儘を聞くの、待ってるんですから。もちろん私も。」
その言葉に、心臓がどくんと鳴った。
「…どうして、そんなに俺に親切にしてくれるんですか?」
自分はただの、雲雀の友達でしかない。創にとっては、主人の知人でしかないはずだ。
創はふと視線を落とし、静かに答えた。
「佐山くんは、雲雀くんの唯一のお友達ですし――それに、私の“大切な人”に少し似ているんです。だから、つい助けたくなってしまって。」
もしかしてそれは前話してくれた創の父親のような人のことだろうか。
ー創さんの大切な人。
その人に似ていると言われたことが、妙に誇らしかった。
その日、威人はおかしかった。勉強が手につかなくて、胸がドキドキして、でもその感情が少し心地よくて。
心の中で創の言葉を反芻した。
ー「何も諦める必要はない」、か。
可愛らしくて、聡明で、どこか人間らしくない不思議な雰囲気のある年上の女性。
彼女はただの雲雀の使用人なんかじゃない。
――佐山にとって、心を動かされた存在であり、初めて守りたいと思った存在でもあった。
***
「母さん、俺……この高校に行きたいんだ。」
口から出た瞬間、心臓の鼓動が大きくなった。パンフレットを握る指先が微かに震える。息が詰まりそうだった。
でも、言わなきゃいけない。
言うって、昨日あの人と約束したんだから。
「学費は……特待生になれば授業料全額免除でさ。ちょっと遠いけど、交通費とか弁当代とかは俺がバイトして稼ぐよ。だから、お願い……応援して欲しいんだ。」
言いながら、自分でもびっくりした。
こんなにも、俺は――この未来を望んでるんだな。
母はパンフレットを受け取って、しばらくじっと見つめていた。
「ここ……すっごく賢い高校なんでしょ? 私でも聞いたことあるわ〜。
なーんてね。」
茶化すように笑ったあと、母はふっと真面目な顔になる。
「……あまりお母さんを舐めるんじゃありません。実は、威人の志望校……知ってたの。」
「えっ?」
「この前、あんたの部屋に入ったとき、たまたま机の上に置いてあったパンフレット見ちゃってね。……貴方のことだから、どうせまた、黙って我慢するんだろうなって思ってたの。だから……びっくりしちゃった。」
母の顔に浮かぶ優しい笑みを見て、胸がいっぱいになる。
「言ってくれて……ありがとう。」
――泣きそうだった。
創さんの言うとおりだった。「自分の想いは、ちゃんと伝えなきゃだめですよ」「佐山くんは、ちゃんと待っていてくれる人がいるんですから」
母さんは、俺のことを信じて、待っていてくれたんだ。
俺の口から、「行きたい」と言うのを――。
その夜、部屋に戻ると、机の上に小さなメモが置いてあった。母の文字だった。
“どんな道でも、威人が選んだなら、それが一番いい道だと思います。”“困ったら、お母さんに相談しなさい。どこまでも応援するから。”
胸の奥に、静かに火が灯った。
あの人に背中を押されて、ようやく言葉にできた想い。
それが、こんなにあったかい未来に繋がっていくなんて。
――ありがとう、創さん。
あなたはきっと、俺の人生を変えてしまった。




